そういう行政をもったら「この世は終わりだ」くらい考えたほうがいい -木庭顕『笑うケースメソッドII』を読む-

 木庭顕『笑うケースメソッドII 現代日本公法の基礎を問う』を読んだ。

[笑うケースメソッドII]現代日本公法の基礎を問う

[笑うケースメソッドII]現代日本公法の基礎を問う

 

 内容は、紹介文にある通り、「公法の根底にある、近代ヨーロッパ概念である政治システムとデモクラシー。そしてそれらが全面的にギリシャ・ローマの観念体系に負うことを踏まえ、人権概念へと迫る」という内容である。
 AMAZONのレビューでは、「本書の脚注に挙げられている数多の文献のうち、ほとんどを読んでいないことに絶望感を覚える読者が大半なのではないだろうか」と書かれているが、その絶望感をやり過ごして、以下に、特に興味深かったところだけ、書いていきたい*1

占有呼ばわり

 私もロースクール棟の廊下で見ず知らずの学生にいきなり「あ、占有!」と指差されました。名誉と思うべきでしょうか。 (100頁)

 笑った。 

 みんなが迎合主義になったとき、たった一人孤立した個人を擁護するのが法じゃなかったんですか? (301頁)

 「社会通念」が幅を利かせすぎているが、それで済めば法は不要である。
 大事なことなので改めて。

そもそも外来文化

 近代ヨーロッパにとってもギリシャ・ローマの学者の産物、「外来文化」 (25頁)

 木庭のいう「政治」が、近代ヨーロッパにおいてさえ不完全にしか消化できず*2、さらに、源流たるギリシャ・ローマでさえ、未完に終わったこと、そして、それは我々と変わらないことを、忘れるべきはない*3
 そう、著者は書いている。

誰のものでもない「憲法

 中世イタリアのポデスタを見ればわかるとおり、憲法は外国人に起草してもらうのが正規でさえありました。 (25頁)

 憲法がすべての立場や主権者さえ越える以上、絶対多数、全員でさえ、自分たちで書けば、自己利益の追求になってしまう*4
 公平な専門家からなる第三者委員会が起草することが望ましい、と著者は言う。
 なお、引用部の「ポデスタ」とは、中世イタリアのコムーネにおける執政職を指す。*5 

政教分離と信教の自由

 政教分離と信教の自由は全然ちがう (114頁)

 政教分離の目的は信教の自由ではない。
 二つは異なるものである。
 実際、主権者が宗教を独占するホッブズ的体制でも、政教分離は貫かれている、と著者はいう。
 政教分離においては、方法は違っても、政治システムの中に「団体」を進出させてはいけない、というのが大原理である*6
 対して、信教の自由はあくまでも個人の精神の自由*7なのである。

「奴隷」だらけの現代

 ところが近代に関係が逆転し、働くほうは他人の占有内で、その他人の支配下で労働するようになった (131頁)

これはローマなら奴隷の地位である*8
 自分の労働を「使わせてやる」という優位が崩れてしまった*9 *10
 これをカヴァーするために分厚い立法がなされ、労働契約は事実上契約法を離脱し、代わりに占有保障の体制が構築されたのだと著者は見る。

アンティゴネ―と「反コンフォルミスム」

 アンティゴネーが死を賭して望んだ理由は、肉親に対する情ではありません。 (160頁)

 ソフォクレスのテクストにおけるアンティゴネ―について。
 死を以て埋葬を禁じるクレオンこそ当時流行の徹底した利益多元論に依拠し、血と土、互酬性、見せしめなどの古い観念に毒されていると著者はいう。
 アンティゴネーは、そうした利益計算が集団のロジックにほかならず、個人のかけがえなさを踏みにじることを、透徹した論理で明るみに出す*11
 徹底した反コンフォルミスム(反画一主義)なのである。

古代ギリシャ社会保障

 社会保障、とくに子供に対するそれは周知のごとく典型的なギリシャ的伝統です (185頁)

 20世紀以降国家サーヴィス・メニューに加わったというのは俗説だと著者はいう*12
 夜警国家など、イデオロギー色の強いスローガンに過ぎないとも。

真の合理性

 見かけの合理性と真の合理性は区別されなければなりません。後者は政治に固有の自由な議論によってのみ得られます。 (221頁)

 いっぽう前者は、誰か一人の頭の中だけに存在する「合理性」である。
 例えば、勝手な計算で効率的な団地を大規模に立てても、住宅問題の解決にはならない、と著者は述べている。
 著者にとって、「合理性」とは、複数の者同士の緊張感のある相互チェックを前提とするものである*13

行政の恣意

 そういう行政をもったら「この世は終わりだ」くらい考えたほうがいいですよ (204頁)

 外国人に本来発給すべき在留許可を出さないのは、その権利を侵害しているだけではない*14
 公的な作用が致命的に害されているのである。
 そういう政治システムであると、行政の恣意を生み、我々一人一人の自由が脅かされる*15

 

(未完)

*1:ところで著者は、「倫理が自然状態に内在しているなどという混乱した概念ですね」(281頁)という風に、ヘレニズム期からすでに自然を社会学的メカニズムで汚染することが始まっているとしている(近代の代表者としてプーフェンドルフを挙げている)のだが、この点については、まだこちらも消化しきれていない(彼の法学にどう位置づけるべきか解っていない)。本文とは何の関係もないが、備忘として書いておく。

*2:近代ヨーロッパにおける「政治」受容については、樋口陽一、蟻川恒正との「鼎談 憲法の土壌を培養する」において比較的簡潔に語られているhttps://ci.nii.ac.jp/naid/40021526946

*3:「西洋は西洋、日本は日本。何故よその事情に従わなければならないのだろうか?」と、本書のAMAZONレビューで問うている人がいるが、究極的には、「最後の一人」のため、ということになるだろう。そして、「ギリシャ・ローマの人々がある時、『どうしたら社会の中で力の要素がなくなるだろうか』と考える」、そこへの共感の是非であり、「木庭は言う。人の苦痛に共感する想像力があって初めて、何が問題かが掴(つか)める。よってまず直感せよと」という時の「想像力」の問題である(「毎日新聞 加藤陽子・評 『誰のために法は生まれた』=木庭顕・著」)https://mainichi.jp/articles/20181014/ddm/015/070/012000c 。 

*4:以前書いたとおり、著者のレスプブリカ概念を考えれば、決して特異な考えではないだろう。

この「立法者」は、つまるところ、主権者・人民に提案すべき法律を起案する者のことだから。彼自身の言い方に従えば、主権者の権力すなわち立法する権力それ自体からは区別される立法の権威なのだから。 ルソーはこうも言う。――「ギリシャ都市国家の多くでは、自分たちの法律の作成を外国人たちに委ねていた」。日本国民も、まさしく、その典型ともいうべき出来事を経験してきた

という樋口陽一の言葉を想起すべきところか。(『抑止力としての憲法』 https://kingfish.hatenablog.com/entry/20180216) 

*5:ポデスタはそのコムーネの外から選出された。「多くは他の都市から法知識のある貴族を招請し」、「選出・招請は、間接選挙、又は間接選挙とくじ引き(15)を組み合わせた方法等により行われた」という。「ポデスタとカピターノ・デル・ポポロの任期が極めて短く、再選が妨げられたのは、彼らの専横を押さえ、彼らが独裁者化するのを防ぐためであった。これは、取りも直さず、自治都市の共和政の伝統を守ることであった」。(三輪和宏「諸外国の多選制限の歴史」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/999740 )。まるで古代ローマ独裁官(任期付)である。

*6:既に旧版の『ローマ法案内』(羽鳥書房、2010年)等で説明する通り、古代ローマでは、「宗教について不寛容であるというのではなく、団体について不寛容」(43頁)であった。まず、自由な体制こそ重要であり、宗教が団体を意味する場合は全く自由ではありえない、という考えであった。

*7:木庭に言わせれば「占有」の一種であろう。

*8:木庭は、「同一占有内労働人員」を「奴隷」としている(「東京地判平成25年4月25日(LEX/DB25512381)について,遥かPlautusの劇中より」http://www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/10/papers/v10part08(koba).pdf )。ついでに、以下の証言も紹介する。

古代ローマの奴隷も貴重な労働力だったので、家族を持つことができる労働条件だった。木庭顕先生のローマ法の講義で、「古代ローマでは、奴隷が自分の家族と一緒に食事をする権利が保証されていた。現代日本のサラリーマンは、古代ローマの奴隷以下です」とおっしゃっていたのが、印象に残っている。

石川公彌子氏)https://twitter.com/ishikawakumiko/status/932499852776239106 

*9:田中純は、「アテナイが (引用者略) 家内奴隷制と市民権が出現して支配的な社会関係となるのは、ポリスの成立と同時期であったとされている」とし、「ポリスと政治の誕生がディアレクティカを通じて、ディアレクティカとして語られる以上、奴隷という『言葉なき者』の影がそこからまったく消失するのは当然である」と述べている(「心の考古学へ向けて──都市的無意識のトポロジーhttp://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/1002/ )。三部作がそろった現時点の木庭のローマ法学おいて、「奴隷」がどのような存在として位置づけられるのかは、なかなか興味深い問題である。とりあえずは、「フィンリーは、理念的に完全な自由――古典期のアテネ市民の置かれた地位がそれに近い――と完全な隷属――鉱山奴隷の境位のごとき――とを両極とする諸身分のスペクトルなるものを想定する。自由人にせよ、広義の奴隷にせよ、現実に人はこのスペクトルのどこかに位置づけられる、とするのである」(伊藤貞夫「古代ギリシア史研究と奴隷制」 https://ci.nii.ac.jp/naid/130003655720)とあるように、奴隷の自由/隷属の度合には幅があったことに留意が必要であろうし、ついでに、「近代の労働者は他人の占有内に入り込み、費用投下の通り道となる。占有サイドに立たないのである。奴隷と同じである。」https://twitter.com/tomonodokusho/statuses/970279219493158917 という木庭『新版ローマ法案内』の言葉も想起されるべきであろう。

*10:一点気になっているのは、木庭の「ローマ法」において、財産法的側面はともかくも、家族法的側面をどう見るべきかという点である。たしかに『新版 ローマ法案内』ではすでに身分法については触れられているのだが、そうではなく、例えば、「多くの点で、ローマ法における成人女性は、近代以前のほとんどの法制度におけるより独立していた」(中村敏子『トマス・ホッブズの母権論』128頁)とあるように(現代のアメリカで編集された古代ローマ法に関する判例集に載っているという)、ローマ法では、結婚においても別産制が貫かれたため、「自権者」として独立していれば、結婚後も女性は自分の財産を自由に使え、20世紀以前の英米の既婚女性よりずっと多くの財産権を持っていた、といった事柄を、木庭のローマ法研究においてどう位置づけるべきか、という話である。(中村の主張については、論文「ホッブズの「ファミリー」概念に対する古代ローマ法の影響」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005327670 をネット上で読むことができる。) 

*11:

クレオンはたとえ親族であろうと敵は埋葬しないという国家の制度を重視すべきと考えたのに対して、アンティゴネーは血縁だから埋葬するのではなく、敵だから埋葬しないという考えに反対している」「もう、死んでしまっていて、誰とも替えのきかない存在になっている」から、集団が個人を犠牲にしていくのを批判し、犠牲にされる個人を救うにはどうするかを考える。

(「揖保川図書館 大西」氏による木庭著『誰のために法は生まれた』に対する書評(たつの市立図書館発行「来ぶらり」2018 年 11 月 1 日 No.158 11月号 http://www.city.tatsuno.lg.jp/library/burari/documents/1811.pdf ))

*12:「典型的なギリシャ的伝統」は、次の著者の言葉に関連するものと思われる。たぶん。

交換を避け、一方的で見返りを切断された贈与が政治システム自体に対してなされ、政治システム自体がそのような贈与として見返りなしに信用供与する。古典的方式の場合、政治システムの人格化さえおそれ、特定主体から特定主体への、政治的決定による裁可を経た、贈与、として概念構成された。これは何も突飛なことではない。現在でも、税と社会保障の関係はこれであり、社会保険や年金団体による解決は上の最後の部分とパラレルである。今人々の生存を支えておけば、将来の税収になり、それはまた新たな人々の生存を支える。ポイントは、これが不透明な交換にならないようにすることであり、政治システムの任務は、それを透明にすべくガヴァナンスすることである。

(「科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書 信用の比較史的諸形態と法」 https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-20243001/20243001seika.pdf) 

*13:木庭とハイエクの議論はいくつかの点、例えばハイエクのいう「設計主義」には批判的であるといった点などで似通っているが、異なる点もある。例えば、木庭のいう「政治」を重視するか否か、という点である。

ナイトは「議論による統治」を目標とし、人間は知的であり、人間による民主主義的な議論により正しい法を確保することを理想とした。それとは反対に、ハイエクは、人間は無知であると見做し、進化した「法による統治」が必要と考え、民主主義についても消極的な賛成に留まった。

今池康人「フランク・ナイトによるハイエク批判の検討 : 「法の支配」と「議論による統治」」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006453249 )

*14:「現地情勢や人権状況の厳しさが明白な国・地域からの難民が、日本では難民としてなかなか認定されない」理由として、滝澤三郎は、法務省の「難民」の定義が狭いこと(法務省は条約を厳格に解釈し、「紛争難民」を「難民条約上の難民」であると認めないなど、その認定基準は厳しく、「本来救われるべき難民も日本に来ることを避けてしまう」)を挙げ、「外国から来た人々を管理し、取り締まる組織が、同時に難民を庇護するということは両立しにくい」点を問題点とし、「法務省の中でも人権を扱う、人権擁護局に難民認定審査を担わせることが良い」としている(志葉玲「認定率は0.2%「難民に冷たい日本」―専門家、NPO、当事者らが語る課題と展望」 https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180509-00084621/)。

*15:たとえば、生活保護申請における「水際作戦」等を想起すべきだろう。大西連「生活保護の水際作戦事例を検証する」http://synodos.jp/welfare/4583 等参照。

近代に発見された「作者」としての世阿弥 -田中貴子『中世幻妖』を読む-

 田中貴子『中世幻妖』を再読した。

中世幻妖―近代人が憧れた時代

中世幻妖―近代人が憧れた時代

 

  内容は、紹介文にある通り、「小林秀雄白洲正子吉本隆明らがつくった“中世”幻想はわたしたちのイメージを無言の拘束力をもって縛りつづける」とし、近代知識人たちの中世像と、研究で判明している中世の実像との落差を見ていく本。

 面白かった。

 以下、とくに面白かったところだけ。

とはずがたり』と金栗四三

 鎌倉時代の話なのに、ほとんどのレビュアーが平安時代の物語と勘違いしているのだ。宮廷で、女房と皇族・貴族の恋愛が絵が描かれればすべて平安時代のものと思っているらしい (50頁)

 『後宮』という『とはずがたり』をベースにした漫画のアマゾンレビューを見ての、著者・田中の感想である。
 ところで、『とはずがたり』は、山岸が「昭和十三年の冬頃」に「図書寮の図書目録」の「日本文学中の日記・紀行の部に、「とはずがたり」が収載」されていたのを発見したものである*1が、
この山岸は金栗四三の後輩である。*2

「さび」と俊成

 「さび」とは平安末期の歌人藤原俊成によって使われはじめた言葉であり、(略)これだけ長い時間の経過があるわけだから当然その内実や意味するところは変化しているだろう。 (54頁)

 たしかに、当然のことではある。*3
 「わび」や「さび」という語の変遷については、岩井茂樹「「日本的」美的概念の成立(2)茶道はいつから「わび」「さび」になったのか?」等が参照されるべきであろう*4

東山文化と太平洋戦争

 東山文化についての代表的な研究書が(略)昭和十七年(一九四二)から昭和二十年にかけて刊行されているのは偶然ではない。 (78頁)

  応仁の乱という大規模な内戦が太平洋戦争のアナロジーとされ。モデルケースとしての東山文化を称揚する必要があったのである。
 今のように戦争で苦しい時期でも、東山文化みたいな立派な文化を我々の祖先は築いたのだ、という意気であろうか。
 該当する研究書は、森末義彰『東山時代とその文化』(1942年)、笹川種郎『東山時代の文化』(1943年)、芳賀幸四郎『東山文化の研究』などである*5

西行の旅の期間

 高野山には約三十年間も暮らしているのである。 (略) 西行が旅に出ていた期間を総計しても三年未満だということになる。 (96頁)

 これは、川田順の研究に基づいている*6
 思ったほど、旅をしているわけでもないのである。
 なお、平安末期の奥羽への旅も、西行以前に、藤原実方や能因などの歌人がすでに東国に行っており、べつだん先駆的存在だというわけでは必ずしもない。

詞書は大切

 詞書と歌はセットなのである。だが、近代知識人はしばしば詞書を捨てて、歌の中に「真なるもの」があるかのごとく錯覚してしまう。 (177頁)

 こういうのは、西欧経由の近代詩の影響なのだろうと思われる。
 德植俊之も、詞書を省いて古典教育をおこなうことを、批判している*7

源実朝の実像

 「武」の最たるものとしての戦争や闘争から知識人が距離を置くための思想的基盤として、実朝の再評価が要請されたのである。実朝は沈黙し、無常を観ずる。何もしないことが、何かを饒舌に語ることになるわけだ。 (184、5頁)

 小林秀雄らへの批判である。
 戦わない、どちらにも立場をとらない、そんな自身を正当化するものとして、実朝が利用されることとなった*8

 今まで「いかにも実朝、いかにも万葉調」と賞賛されてきた和歌はすべて晩年に詠まれたと考えられてきたが (略) 、実朝がもっとも「実朝らしい」和歌の才能を発揮したのは二十一、二歳までだというのである。 (212頁)

 実朝の万葉調の歌は、きほん二十一、二歳頃の歌である*9
 「吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり」、「大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも」、「ものいはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ」、「時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ」、「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」、など「実朝らしい」和歌は、晩年の作品ではなかった。
 むしろ、「実朝が好んだ結句は、新古今的な結句であり、新古今集の特徴といわれるものを、実朝もまた有している」という指摘も存在する*10

近代に「発見」された『風姿花伝

 世阿弥の伝書は、実際の能楽師が読んだわけでもなかった。幼少期から口伝と稽古で芸を身につける能楽師にとって、世阿弥の直筆テキストを読む必要すらなかったのだろう。 (238頁)

 江戸以後の能の世界では、誰も『風姿花伝』などを読んだことが無かったようだ。
 じっさい、観世寿夫が1974年にそのような証言をしている。
 世阿弥の口伝書(『風姿花伝』を含む)は、吉田東伍によって発見され、1909年に刊行された。
 『風姿花伝』の場合、世に広く知られるようになるのは、1927年に岩波文庫から『花伝書』として刊行されてからである*11

 古典の文句を切り貼りした「綴れの錦」などと酷評され、文化的にも程度の低いものとして扱われてきた能は、伝書発見によって、 (略) 高い評価を受けることになった。 (238頁)

 能は実は伝書発見以前は、相対的に、程度の低いものとして扱われていた*12

近代における「作者」

 明治から昭和初期にいたる中等教育の国語教科書では『平安物語』や『太平記』に、根拠の乏しい作者説によってむりやり作者名を添えている (258、9頁)

 先も述べたように、世阿弥は近代に発見されることになった。
 当時の文学史では、作者の不明なテクストや「偽書」はほとんど、無価値に等しく、作者不在はすなわち作品の存在意義を失わせた。
 だから、世阿弥の「発見」は、能を由緒正しい「ニッポンの文学」に格上げさせたのである。*13

世阿弥ギリシャ悲劇

 世阿弥を時代的にさかのぼるギリシャ悲劇と比較することが多いが、これは能と世阿弥の研究に「国文学」研究者よりも海外文学や演劇の研究者によって先鞭がつけられたことによると考えられる。 (262頁)

 著者は、「難解で入手しがたいテクストを外国語の翻訳で読むことで、世阿弥や能を「発見」しやすかったのが理由である」とも指摘している(262頁)。*14
 実に興味深い。

 

(未完)

*1:横井孝「 山岸徳平博士の現写本考 : 実践女子大学図書館山岸文庫蔵本識語編年資料から」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006250390 より。

*2: ブログ・「ばーばむらさきの『I Love 源氏物語』」のコメント欄http://murasakigenji.blog.fc2.com/?no=683によると、「『源氏』の最後の冊を開いたら、まず目に飛び込んできたのが『金栗四三』の文字。1度も開かれなかったと思しき、まっさらの月報の最初に校注者・山岸徳平氏(東京高師の後輩)の思い出を綴っていたのでした」とのことである。該当するのは、おそらく、山崎校註の「日本古典文学大系 源氏物語」の最終巻の月報ではないかと思われる。(https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=235720632https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000953958-00 

*3:藤原俊成は歌論において、「幽玄」を歌の「最奥の理念」とした。「幽玄」は、この場合、ものを暗示する余情を指すが、それは複数の理念の統一である。その理念の一つが、「姿さび」である。「姿さび」は、「たけ高し」などの壮大さの理念に対して、「繊細な味を加えたもの」を指す。以上、「【日本文化のキーワード】第三回 幽玄」(『言の葉庵』http://nobunsha.jp/blog/post_50.html )を参照した。

*4:https://ci.nii.ac.jp/naid/120004966540

*5:川嶋將生「東山文化--その言説の成立」https://ci.nii.ac.jp/naid/110006388153 は、次のように述べている。

このように概観してくると、義政時代への注目は、その時代が応仁・文明の乱を挟んで、いわゆる下克上の時代へと突入した、混乱する時代であったこと、そして森末・芳賀両氏とも、そうした時代と、太平洋戦争に突入した昭和17年頃とが、混乱ということでは共通した時代と認識されたこと、しかしそうした時代であったからこそ、「国史の本質を露呈」した時代であったと捉えたことが、その背景にあったことが知られる。

*6:参考までに、2005年4月15日発行の「西行の京師」http://sanka11.sakura.ne.jp/sankasyu4/201.html によると、西行の最初の東北の旅は、「川田順氏説」で、「康治二年出発(1143年=西行26歳)」、「天養元年帰洛(1144年=西行27歳)」である。

*7:「中学古典和歌教材の再検討 : 古典和歌教材に詞書は不要か」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006599365

*8:五味渕典嗣は、「小林秀雄が口にし書いてしまったことの責任を免罪することでは少しもない」としつつ、小林の「実朝」の結末の一文は、「書き手小林にとっても、十全たる確信を持って提示できるようなものではなかった、ということでもある。つまり、読者の同意を得るためには、ある程の強制とともに語らねばならない、と小林自身、どこかで感じていたのではないか」と解釈している(「死ぬことの意味 : 小林秀雄「実朝」を読む」https://ci.nii.ac.jp/naid/110000376057 )。小林の性格を考えれば、その可能性はある。その罪は消えないだろうが。

*9:「昭和四年、佐々木信綱が発見した定家所伝本の奥書によって、この歌集は実朝が二十二歳までの習作を集めたものと判明した。これによって、歌の解釈が微妙に変更された」のである(駒澤大学総合教育研究部日本文化部門 「情報言語学研究室」のホームページ、 https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/kokugo_kinkaiwakashu22.htmより引用。 )。

*10:三木麻子「実朝詠歌,一つの方法--結句を中心として」(1979年)、26頁。https://ci.nii.ac.jp/naid/120002276567 

*11:大正期にはほとんど世阿弥受容が進展してはおらず、「大正期を通じて和辻哲郎安倍能成、野上豊一郎、桑木厳翼らいわゆる教養主義の担い手たちに読まれるようになり、 (引用者省略) 昭和初期の世阿弥受容につながっていく」。また、「世阿弥発見に先立って、能楽に関する学問的研究がまず開始され、それが契機となって、同書(引用者注:吉田東伍が校注した『世阿弥十六部集』)が刊行された」
ことにも注意が必要である。以上の引用(及び参照)は、横山太郎「世阿弥発見:近代能楽史における吉田東伍『世阿弥十六部集』の意義について」https://www.academia.edu/836090/%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5%E7%99%BA%E8%A6%8B_%E8%BF%91%E4%BB%A3%E8%83%BD%E6%A5%BD%E5%8F%B2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%B1%E4%BC%8D_%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5%E5%8D%81%E5%85%AD%E9%83%A8%E9%9B%86_%E3%81%AE%E6%84%8F%E7%BE%A9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6_Zeami_Discovered_Significance_of_Yoshida_Togo_s_Sixteen_Treatises_of_Zeami_for_the_History_of_Modern_Noh_Theater による。

*12:前掲横山論文も指摘するように、

坪内は、実際には「綴れの錦」という言葉を使っていないのだが、皮肉なことに、謡曲を擁護しようとした久米のこの文章のなかに見えた蔑称としての「綴れの錦」が、その後の謡曲を文学的に評価する際の、決まり文句となったのであった。

ここでいう「坪内」は坪内逍遥、「久米」は久米邦武を指す。久米、かわいそうである。

*13:前掲横山論文が指摘するように、

世阿弥が作者であった」という事実は、単に世阿弥という人物の経歴に修正を加えるのみならず、〈世阿弥非作者説〉に立脚したすべての文学史認識と謡曲価値認識を、根底から覆し、能を一級の国民「文学」の地位へと引き上げた。さらに、「文学史」テキストの中で謡曲がその時代にあって最も優れた文学であるとされた、室町時代の文学そのものの再評価のきっかけになったとも言えるだろう。

「作者」という存在は、近代においてそれほどに大きいものだったのである。

*14:ここでいう海外文学者の代表例としては、英文学の松浦一、同じく英文学者の野上豊一郎らがいる。野上は、バーナード・ショーなど英語演劇の研究者である。ここに、西洋史学者の野々村戒三も加えるべきであろう。ただし、野上は「役者、合唱部、仮面の比較を通して、ギリシア悲劇と能とは相似の関係にはなく、正当の対比ではないと指摘しておられる」と、荻美津夫は書いている(「能とギリシア悲劇との対比について:野上豊一郎「能の主役一人主義」の場合」https://ci.nii.ac.jp/naid/130003849498 )。 

自己利益を厳密に計算する思考なしに真の信頼は築きえない -木庭顕『法学再入門 秘密の扉―民事法篇』を読む-

 木庭顕『法学再入門 秘密の扉―民事法篇』を読んだ。

法学再入門 秘密の扉―民事法篇

法学再入門 秘密の扉―民事法篇

 

 内容は、「法律学の学習になじめない学生のために著者が実際に行った講義を、紙上で余すところなく再現。『二ボレ』Profと学生たちによる、面白くて鋭い、白熱した議論が展開される」といった内容。
 AMAZONレビューにもあったが、正直、特に後半は難易度が高い。
 
 以下、面白かったところだけ取り上げる。

「皆」から見捨てられた「最後の一人」

 もし「皆(みんな)」で見捨てたならばどうか。 (19頁)

 まえに取り上げた木庭の本と同様、占有の話である。
 「みんな(多数派)」があてにならないときどうするか。
 彼らに見捨てられた「最後の一人」に、法は焦点を当てる。
 たとえどちらが「正義」側であろうとも、法的手続きを破るのは厳禁である、ということである。
 以上、前回の復習である。

 公的空間は「誰のものでもない」 

 公的空間ではそもそも占有と果実が成り立たない (33頁)

 公的空間は、何かを利用して何か利益を生む、という構造ではない。
 そして、「皆」(≒多数派)のもの、という性質のものでもない。
 少数者が排除されてしまうからである。
 むしろ、誰のものでもない、と著者はいう*1。 

 そしてそうした空間は、本当に開かれていることが求められ、そのためには厳密な言語で構成される必要がある。
 権力や権威や利益が幅を利かせないような圏域、それが、裁判等の「政治システム」なのである。

 公共空間へのアクセスと占有

 公共空間へのアクセスなしには占有が壊死してしまう (24頁)

 相隣関係の問題*2である。
 当たり前であるが、ライフラインへのアクセスが出来ないと占有が死んでしまう。
 たとえ暴力を使わなくても道路等を封鎖して公共空間へアクセスできなくすれば、相手に無理強いできてしまうのである*3
 地上げではおなじみの手口である。
 法はそうした横暴を許すことはしない。

「直接性」の回復

 書いたものは、発話者を物の背後に隠すからです (48頁)

 裁判があくまでも口頭弁論によらねばならない理由はこれだと著者はいう。
 水平的で非権威的な言語交換のためには、直接性が不可欠である。*4 *5
 透明性が欠かせないからである。
 「政治システム」たる裁判は、開かれていること、厳密な言語で構成される必要があり、各主体の背後に権力や権威などが隠れてはいけない。
 そして、議論の主体が論拠を把握しあうことが重要である。
 そうした「回り道」が質の高い「決定」を生む。*6

 信頼とは詮索しないこと

 言うならば、「約束を守れ」ではなく、「約束を守らなくともよいのに」 (169頁)

 『走れメロス』の元の原型となった古代ギリシャのお話である*7
 これは横断的連帯の話なのだ、と著者はいう。
 「何故戻ってきた俺が代わりに死ぬと言っているのに」、「いや俺が死ぬ、そのために帰ってきた」というクライマックス、これこそがまさに友情なのだという。
 この発想は、信頼に対する考えにも通じる。

 真の信頼は詮索を拒否します(172頁)

 ツルの恩返しでいうなら、信頼していれば、障子は開けることはしない。
 相手のことを詮索しない、相手の自由を尊重することが重要である、唯一、信頼できるかどうかだけを見る。
 それが木庭における「信頼 (bona fides・善意・信義則)」の要である。*8
 もちろん、ひたすら信じるという甘え切った考えではなく、むしろ、厳密な利益計算が求められる。*9

 故意と責任

 取引世界からレッド・カードにより追放される (175頁)

 信頼を裏切った場合のローマ法での事例である。
 不透明なことをした場合、つまり、bona fidesの原理に反することをした場合、dolus malusという*10
 占有侵害となり、懲罰的な賠償責任を負い、ブラックリストにも登録されて信用剥奪となる。
 著者は、契約法の基本は故意責任だという。*11

「ありがとう」と労働

 お金を払うと同時に「ありがとう」とも言う。これはどうしてだろう? (271頁)

 医者と患者、家庭教師と生徒の母の話である。
 医者は患者の占有(身体)に治療を「入れる」(与える)、家庭教師は子供に知識・知恵を「入れる」(与える)。
 対して、普通の労働者はそうではない。
 使用者の保護・敷地に入って、働かせてもらう(与えられる)形になる。
 これだと、請負に近くなる*12

ローマ法が嫌った「法人」

 法人は気が遠くなるほど分厚い要件をクリアしなければ生まれなかった概念 (342頁)

 政治的システムと同じくらいに怪しい徒党が背後にいるのではないということが完全に保証されていることが、キリスト教の教会を基礎づける全概念構成によって保障される仕組みになっていた*13
 要は、透明性が教会の存続条件だったのである。
 それが出来ない学校法人や宗教法人などはローマ法では否定された。
 そもそも、ローマ法では、団体や集団には根底的に懐疑的である。
 こうした集団が透明性を失いがちであるからである。
 こうしたローマ法の傾向が法や政治システムの土台となっている。
 実際、ギリシャやローマでは法人は存在せず、結社団体は強く禁止されていたのである。

 

(未完)

*1:「ともの読書日記」は、

憲法とは「皆のもの」(占有して皆で取り分けることが出来るもの)ではなく、「誰のものでもない」(誰も占有しえない)と木庭先生がいうとき、私は、res publica共和国という言葉の原義はそう訳すべきであったのかもしれないと考え、改正限界の基礎理論は「誰のものでもない」という公共概念を前提とすべきなんだろうなと気づくことになります

と、「公共」は「誰のものでもない」ことを強調している。http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-fecc.html 

*2:「隣接する不動産の所有者の間で、隣地の通行・排水・境界などについて相互の不動産の利用を調整し合う関係」のことである。

*3:山野目章夫は、木庭顕著『現代日本法へのカタバシス』への書評 https://ci.nii.ac.jp/naid/130006627559 において、次のように書いている。

Q・Rの相続紛議に巻き込まれてAの保護が達せられなくなることの喜劇は、その直観により一瞬にして悟られたものであろう。そしてまた、その実務家の方々に、ながく乙土地のQ所有を立証しない限り相隣関係上の権利を主張することができない、と信じ込ませてきた者は、誰か。それは、『法定のものから『地役権』の語を剥奪し……基本的には『相隣関係』として括られる』(本書一五九頁)いう思考により、事態を所有者Aと、ひとしく所有者である(!)Qの関係として把握させる方向(そのことから②・③の連続性が看過される)を誤導した人たちではないか。

*4:直接性、書いたもの(エクリチュール)といった言葉から、例えばジャック・デリダの存在を想起する者もあるかもしれない。デリダの場合、西洋形而上学における「直接性」の根源的な脆弱さを脱構築差延などの概念を以て指摘することで、「パロールエクリチュール」等の階層性・序列制を揺るがせることが狙いだったと思われるが、木庭の場合は、そうした「直接性」の根源的な脆弱さを想定しつつも、「政治」の公開性・透明性を向上させることで、主体同士の水平性を回復させることが狙いだったように思われる。そういった点においては両者は異なる存在であるようにも思われる。ただし、会計学からは(後期)デリダにおける「責任の無限性」の概念を会計に応用した國部克彦などの研究者も登場している。國部の著書への書評において田崎智宏は、「先のSDGsでは『誰一人取り残さない(No one is left behind)』という理念が提示された。SDGsの策定プロセスでも多くの人々の闘技的な議論があった。企業経営においても闘技的議論とそのための能動的・多元的会計が実践されることを期待したい」と、木庭の「最後の一人」を思わせるような理念にも触れている(「書評 『アカウンタビリティから経営倫理へ――経済を超えるために』」http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1805/05.html 。なお、國部著については、藤井良広 による書評https://ci.nii.ac.jp/naid/130007501351も参照すべきであろう。)。こういった点をも考えると、デリダと木庭顕はそこまで遠い場所にいるわけではないのかもしれない。

*5:木庭自身はデリダ等ではなく、例えばホッブズスピノザなどによく言及する。本書の場合には、「記号を使わない精神的活動は存在せず」(83頁)といった、スピノザ的考えも登場する。記号は常にシニフィアンを要求し、それは物的な存在なのである。つまり、物的な存在を伴わないシニフィエ(精神や思考)などはあり得ない。木庭におけるその法学的意義は、「政治システムによって自由を概念することの重要な帰結は心身二元論」で、「政治は実力及び利益交換に満ちる領域から離脱する空間を構築することを意味します。しかし同時に、その領域の実力及び利益交換を制圧する任務を帯びます。だから二元論です。後者を放っておくわけではない」といった非乖離的な<二元論>に認められる(「Motoharuの日記」よりhttp://d.hatena.ne.jp/Motoharu0616/20170926/p1 )。なお、スピノザについては、「木庭教授自身が、『デモクラシーの古典的基礎』において『Spinozaの理論構成の中にわれわれは実はデモクラシーに関する潜在的に最も正統的な形而上学的基礎づけの可能性を見出すことができる』(23頁)と高く評価していた」という(「ともの読書日記」http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-779a.html )。 )

*6:木庭は以下のように述べている。

決定の実施が取引・迂回・サボタージュ等々にあわずにストレートに進むことがどこで保障されるのか、という批判であるように読みました。しかし、私見によれば、「カール・シュミットの真空」は却って彼が無視するデイアレクテイカの過程を通じてしか得られない、さきに(どうでもよい形で)決定しておいていざenforceしようと様々な手立てを講じてみても、むしろ混乱を招くだけであり、戒厳権力でさえ迂回されざるをえない、意外であるかもしれないが、議論の特定の構造が真の「主権」を生む、というのが私の考えです。多くの人には私が転倒しているように見えるでしょうが、私にはカール・シュミットの転倒は明らかであるように見えます

(「川出良枝『自由な討議と権力の不在』(本誌9号)に付して」http://www.jcspt.jp/publications/nl/010_200004.pdf )。自由な討議と最終的な集団的意思決定との摩擦的関係について、その決定の強制性をどうするのか、というのが、川出による『政治の成立』の書評での問い(http://www.jcspt.jp/publications/nl/009_199912.pdf )であった。これに対して、著者は、形式的ともいえる「議論の特定の構造」こそが真の「主権」を生む、と逆説的な返答しており、その「回り道」の効能を説いている。

*7:実際、「メロス」の話は、「南イタリアギリシャ植民都市圏、ピタゴラス教団周辺から出た伝承で、ヘレニズム期、ローマ時代に書き継がれ、近代になって翻案されました。これを太宰治が新たに翻案した」。そして、「契約は守らなくともよいのです。だけれども守る。だからこそ守る。自然とそうする。約束したからしようがない、守るか、ではありません。もっと実質レベルの信頼関係のために自発的にそうする」のである(以上、「picolightのblog」より。http://picopico.blog.jp/archives/1033966607.html )。契約における根源的な自発性の意義が説かれている。

*8:木庭は、bona fidesについて、「政治的結合体、自治団体の如きもの」が「個別的に二当事者間で信用を供与しあう。そういう自由な信用の関係を称して、bona fides の関係、つまりgood faithの関係」、としている(「信用の比較史的諸形態と法・研究成果報告書」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20243001/ )。そして、

この関係の特徴は、具体的にというよりヴァーチャルに政治システムに属する当事者が、合意をし、丁度政治的決定に対するようにこれに絶対の信頼を寄せる。まるで対価を期待しないが如くに先に商品を引き渡したり、代金を支払う。もちろん、やがてそれは報われるが、その関係は、無償で給付することが将来〈世代〉に返って来る、という政治的関係に似る。このタイムラグが、信用に該当する。それは、実体の取引が極めて頻繁であって(個々のデフォールトにもかかわらず)全体としては信頼できる、ということによって補強されている。

*9:木庭は、「法学再入門 : 秘密の扉 番外篇」(『法学教室』 (419), 2015-08)において、「むしろ皆が同じように考える、或いは考えるはずだという前提がとことん無いのでなければならない」(69頁)と、社会が深い亀裂によって裂かれていることが、徒党の排除に不可欠だとマキャベリは『マンドラゴラ』などで看破した事を書いているし、「無自覚のまま惰性で動いているのではない、成熟した、ということ」(73頁)と、社会内部の亀裂と外からのインパクトによって、社会は主体的に動く、というふうに書いている。こうした「不信」の思想と先の「信頼」がどのように結びつくのか。これは、「番外篇」で強調する「不信」を土台にしてはじめて、「信頼(bona fides)」が成立する、と理解される。「不信」こそ木庭における「政治」の、不透明な徒党の解体の前提条件であり、不透明な徒党の解体こそ、bona fidesの前提条件であるからである。後述するように、bona fidesを裏切ったときの措置はそれを裏付けるものである。また、「自らの利益を厳密に計算する思考が無いところに本当の信頼は築きえないということがこの事案からもわかる。ペーネロペイアはオデュッセウス帰還に感激する前に徹底的にアイデンティティーを吟味した」という、「東京地判平成25 年4月25 日(LEX/DB25512381)について,遥かPlautus の劇中より」www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/10/papers/v10part08(koba).pdf の註にある言葉も、思い出すべきでああろう。

*10:「「債権法改正の基本方針」に対するロマニスト・リヴュー,速報版」www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/05/papers/v05part10(koba).pdf では、

引き受けた以上は絶対に履行結果を達成しなければならない,さもなくば賠償だ,というのである。前代未聞の厳格責任主義であり,契約法の基本に反する。bona fides に反しない限りごりごりと履行を迫ったりしない,まして賠償請求などしない(不当利得返還にとどめる),のが契約の精神である。ごりごりと杓子定規に履行を迫るのはbona fides に反する

という言葉で、bona fides(と、dolus malus)が説明されている。

*11:単純な占有においては、「過失責任原則は登場せず、故意責任原則の方に忠実」であるが、ただし、「過失責任原則を欲する事態が新たに登場します。占有が二重に概念され、二重構造で思考しなければならない。そういう状況になると自ら責任帰属が複雑になる、ということは自明ですね。そう、所有権概念が基軸たる役割を担う段階で、テクニカルな意味での過失概念が登場した」と、木庭は説明している(「Motoharuの日記」よりhttp://d.hatena.ne.jp/Motoharu0616/20170926/p1 )。

*12:もっとも、請負の場合は材料や道具は自分持ちで、作業の場所も自分が仕切る。無論、これは近代における請負の話である。「近代の請負の場合は, (引用者略) Q は対価を得て成果をPに引き渡す。これは問題を惹き起こしやすい形態であるが,しかしこの場合でも対価は予め定まっている」。一方、ローマ法における「元来のlocatio conductio であれば,conductor たるQ が定まった対価を払って仕事をし,自ら販売して元を取る」こととなる(「東京地判平成25 年4 月25 日(LEX/DB25512381)について,遥かPlautus の劇中より」www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/10/papers/v10part08(koba).pdf )。農園主にお金を払って、農園で果実を収穫させてもらい、その果実を持ち帰って自分で販売する、というようなイメージである。

*13:法人の起源は、「中世教会法における『キリストの身体』(Corpus Christi:コルプス クリスティ)である(個別)教会」であり、
 「 国家に法人理論を応用したのはホッブズということですが、そこではやはり教会法の神学理論が適用されていました(木庭顕「笑うケースメソッドⅡ 現代日本公法の基礎を問う」p37)。どんな末端の機関も頭と対等であり、しかも、頭といえども神の代理人ではなく、「キリストの身体」の一部分に過ぎないとされています。対して、キリストの精神(Animus:アニムス)は天上の父のもとに帰っています(前掲・p312)。つまり、「法人」は、神学理論によって、精神(アニムス)の抜け殻である身体(コルプス)として位置付けられた 」 
と、木庭の文章を引用しつつ、「恵比寿ガーデン法律事務所」は述べているhttp://ebisugarden-law.jp/2017/05/08/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%A8%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%83%BB%E6%B3%95%E4%BA%BA%EF%BC%88%EF%BC%97%EF%BC%89/

目的のためなら自分も他者も手段として酷使する松陰 -一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末』を読む-

 一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末』を読んだ。


 内容は、紹介文の通り、「司馬が書いた小説を史実であるかのように受け取る人も少なくない。しかし、ある程度の史実を踏まえているとはいえ、小説には当然ながら大胆な虚構も含まれている。司馬の作品は、どこまでが史実であり、何が創作なのか」を、解説する内容である。

 以下、特に面白かったところだけ取り上げる。

吉田松陰天皇

 司馬遼太郎は松陰の天皇崇拝者としての言葉は引用しない (36頁)

 松陰の天皇*1や忠誠観*2、対外論*3についてはあまり詳しく論じないが、もし明治まで生きていたら、目的のために自分も他者も手段として酷使する組織の長になっていたと思う。

松下村塾は武士の塾

 松下村塾は、特権階級である武士の塾 (39頁)

 武士身分は、全体の83パーセントを占めていた*4
 少数派として、町人と僧侶、医者などもいたようである。

少年テロリストを求めた松陰

 テロリストに仕立てたいから、死んでも構わぬ少年がいれば三、四人みつくろって、早く送れと依頼している(41頁)

 同志あてに手紙を松陰が送ったらしい*5

「草莽」に百姓は入らない

草莽崛起」と「百姓一揆」は区別していた (55頁)

 松陰の「草莽」観の実際である*6
 彼が書いた手紙によると、草莽が一揆を扇動して変革の起爆剤にするのだと述べている。

奇兵隊の身分差

 藩は一見して身分が識別出来る方法を幾つも講じた。 (121頁)

 奇兵隊は、庶民が入っても武士になれるわけではない。
 刀や銃は持たせてもらえるが、姓は公認されなかった*7
 武士になりたいという庶民の野心を巧みに操作して、ほんの数人を武士に昇格させて広告塔として使うなどの方法を用いたようだ。
 それでも人数が足りず、藩は半強制的に兵を集めたりもしている。

奇兵隊と被差別民

 被差別民を除いたと明言している。 (123頁)

 奇兵隊は被差別民の入隊を認めず、それでも望んで身分を隠して入ったものを「手討」にしている。
 高杉晋作は、山県らへの手紙で、被差別民を除外したと明言している*8

女台場

 工事現場はファッションショーと化し (144頁)

 長州において、台場築造(女台場)に女性たちが駆り出された時の話である。
 この時、藩がOKを出したのがきっかけで、絹の着物を新調して女性たちが競い合ったという。
 藩はあわてて新規のあつらえを禁じた。
 このようにして、日ごろ外出もままならない武家の女たちには、開放的で楽しいイベントでもあったらしい*9

赤禰武人

 いまなお赤根の霊は、奇兵隊招魂場である下関市桜山神社にも、東京九段の靖国神社にも祀られていない (156頁)

 赤禰武人のことである。
 けっきょく、赤根は復権しなかった。
 後年、名誉回復の話も出たが、山県有朋が強烈に妨害したのである*10

坂本龍馬と「参議」

 その「職制案」には「参議」として「坂本(龍馬)」の名が出ている (232頁)

 龍馬とともに新政権の人事案を練った尾崎三良の回顧による。
 龍馬が新政府の「職制案」を作ったとき、自分の名前を名簿に載せなかった逸話について、実際は、名前は「職制案」にのっていた、という話である*11

脱退騒動

 山口県では百五十年近くを経たこんにちでも「脱隊騒動」をタブー視する風潮が強く (246頁)

 奇兵隊の「脱退騒動」のことである*12
 結果、武力で鎮圧され、百人以上の刑死者を出した*13
 故郷に逃げて捕えられて自宅の畑で首を斬られた者、処刑場で最後まで暴れて抵抗した武士もあったという。

(未完)

*1:松陰の天皇観は、桐原健真がいうように、「松陰は、日本固有の天皇の存在自体に基づいていた国学の主張を受け入れ」、「『神勅』が真実であると信じることは、みずからの尊攘運動の成就を信じること」であり、「『天壌無窮の神勅』は『皇国』たる日本が、未来永劫独立不羈でありつづける『神聖な約束』にほかならないと、松陰には考えられた」といった内容である(「今日のお題:【要旨】吉田松陰研究序説――幕末維新期における自他認識の転回(東北大学大学院文学研究科提出2004年3月博士号取得」 http://www.kinjo-u.ac.jp/kirihara/log/eid620.html ))。ただし、松陰は、死んだ年である1859年に書簡「子遠に告ぐ」において、「草葬の臣切に謂へらく、聖上社稷に殉じたまひ、天下の忠臣義士一同奉殉せば、則ち天朝寧んぞ再興せざるの理あれんや」と書いており、これについて張惟綜は、「松陰は『信』の視座に立脚して日本の天皇(皇国)の尊貴さとその永続を謡歌するが、注目すべきは、天皇が社稜、すなわち日本のために殉ずべきだという叙述」であり、「あるべき様態を実現するために己を犠牲にするような自己否定的な行動に移ると同時に、他者にもあるべき様態を目指すよう厳しく要請するのである」とその内実を述べている(「吉田松陰草莽崛起の思想--「信」から「行」へ」https://ci.nii.ac.jp/naid/120000842538 )。松陰は、天皇にすら「社稷」に殉ぜよと言うことをためらっていない。そういったタイプの「天皇崇拝」なのである。

*2:武石智典は、松陰の忠誠観について、

天皇が頂点に位置し,次に藩主毛利敬親が位置している。松陰は,既存の封建社会下における身分制度を否定したわけではなく,組織と個人を分離し,個人との関係性から忠誠観を構成し直したと言える。 (引用者中略) ゆえに,『草莽崛起』論とは,松陰が最終的に至った忠誠観は,天皇―藩主毛利敬親―草莽という位置関係の下で草莽が起すべきという主張であり,能力がある人間が天皇や藩主に取って代わって良いという論ではない。 (引用者中略) 朝廷―幕府―諸藩の構造の水戸学的勤王論でもなければ,天皇―臣民といった国学的勤王論でもない。天皇―藩主毛利敬親―草莽という忠誠観は,松陰,独自のものであり,水戸学や国学に分類することはできない

としている(「吉田松陰経世論https://ci.nii.ac.jp/naid/120005358973 )。松陰の身分観・忠誠観を考えるうえでも重要な指摘である。先の指摘も考え合わせると、松蔭は藩主にも「奉殉」を迫るであろう。

*3:先の武石智典論文は、松陰の「雄略論」について、

松陰の対外認識及び政策は,武力で近隣に進出する『雄略論』から,近隣の各地に市を置き,西洋列強同様交易によって国力を蓄えるという『雄略論』へと変化している。しかし,西洋列強を脅威と認識し,日本の独立を現実に脅かす存在であると考えていたことに変わりはない。

という風にまとめている。しかし、もし国力を増すことができれば、「西洋列強」同様に、十分「武力で近隣に進出」することも、松蔭は否定しないのではないか。すなわち、

松前藩を除くと未封の地である蝦夷を開墾し,諸侯を封建し,カムチャツカを奪うべきだと説いている。更に琉球を諸大名と同じように遇し,朝鮮に対しては,古と同じように朝貢させるべきであると説いている。また,北は満州を南は台湾と呂宋の島々を手に入れて,進取の姿勢を示すべきだと説いている

と、武石が『幽囚録』を敷衍して述べているように、である。ブログ・「万年書生気分」は、桐原健真吉田松陰の思想と行動』を踏まえつつも、

 松陰がこだわりを捨てた武力による対外戦略は、次のヨーロッパ諸国の国際秩序の中では、うまく戦争を遂行する能力によって、相手の力を計るという共通認識があり(ポール・ケネディ『大国の興亡』)、日本は軍事強国として東アジアで戦争を行わなければ、その一員として認められない世界へと足を踏み入れた。松陰の『懾服雄略』からの脱却は、『皇国』論の枠組みではなく、次の西洋の国際法秩序の中で復活を遂げた

と述べている(http://denz.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-7dcc.html )。この「ヨーロッパ諸国の国際秩序」に松陰が乗るであろうことは、先の彼の思考からして、十分に予想できる。

*4:別のブログの書評(「観楽読楽-観て楽しみ、読んで楽しむー」 https://mirakudokuraku.at.webry.info/201403/article_2.html )では、「松下村塾は身分、年齢隔てなく入塾を認めとしているが、実際は武士(陪臣も含む)が中心。士分53名、陪臣10名、地下医4名、僧侶3名、町人3名、他藩人(医師)1名、不明8名。」と、より細かく参照している。著者自身も、「松陰は国を守るのは武士であり、武士こそが第一と考え、身分秩序を重視していた」と朝日新聞にてhttp://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20180302/p5 発言している。

*5:「史実では、松陰は伊之助の実兄にあたる小国剛蔵に「きみの塾からやる気があって命を惜しまない若い少年を3,4人見繕ってくれないかな?」という、少年兵スカウト的なことを頼んでおりますが、流石にそこまではやらないようです」と、サイト「BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)」の武者震之助氏は述べている。https://bushoojapan.com/theater/hanamoyu/2015/04/12/47213 

*6:著者の勤める萩博物館の「長州男児、愛の手紙」展のフライヤー(PDF)には、「『草莽』とは、松蔭の場合、藩政に参画できない下級武士のことらしい」とある。 http://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/event/1504choshuloveletter/images/choshuloveletter_chirashi_s.pdf#search='pdf+%E4%B8%80%E5%9D%82%E5%A4%AA%E9%83%8E+%E8%8D%89%E8%8E%BD' 

*7:袖印によって「一般的に、諸隊は身分を問わないというイメージがありますが、実際は身分による区別が、はっきりと設けられていたことがわかります」と、山口県立山口博物館の「奇兵隊の軍服の袖印 奇兵隊士元森熊次郎資料」と題した解説シート(PDF)には記されている。  http://www.yamahaku.pref.yamaguchi.lg.jp/pdf/%E5%A5%87%E5%85%B5%E9%9A%8A%E3%81%AE%E8%BB%8D%E6%9C%8D%E3%80%90%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%91.pdf#search='%E8%BA%AB%E5%88%86+%E5%A5%87%E5%85%B5%E9%9A%8A+%E8%A2%96%E5%8D%B0' 

*8:ブログ「革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいこと」は、

後年、慶応元年(一八六五)一月六日、高杉晋作大田市之進・山県狂介らにあてた手紙で、結成当時のことを振り返り、「新たに兵を編せんと欲せば、務めて門閥の習弊を矯め、暫く穢非の者を除くの外、士庶を問わず、奉を厚くしてもっぱら強健の者を募り」云々と、被差別民を除いたと明言している

と、本書書評において言及している。http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1010733148.html 

*9:ブログ「天然居士のとっておきの話」は、著者一坂の『長州奇兵隊』に載っていた話として、以下のように記している( https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/29709ad67853d00f7052d133b68d5603 )。

長州藩では、この工事に出る夫人たちの意識を鼓舞するため、それまで厳禁してきた絹類の着用を工事参加の時に限り許可します。絹の着物で工事が出来るのか、少し気にはなりますが。戸外に出る事が少なかった武家の夫人たちは、禁じられていた絹の着物姿で出掛けられる訳ですから、尊王攘夷とは全く関係なしに多くの人が集まりました。解放感に浸った女性たちは、互いの着物を競うようになります。これが過熱してしまったようで、長州藩では、絹類着用は持ち合わせのものならば良いが、 新たに誂えることは不心得であるとの通知を出しています。高杉晋作は、この事情を知っていたので、夫人に行くなと指示したようです。

*10:赤禰の地元・岩国市の公式の観光サイトhttp://kankou.iwakuni-city.net/akane-taketo.htmlも、「晋作は武力による撃破を主張。『赤禰は一農夫、自分は譜代の家臣である』と、晋作は奇兵隊員を説得した。身分の無意味を説いた松陰が聞いたら、なんと言っただろうか」、「明治に入り、武人の義弟は政府に贈位復権を請願。柳井、岩国がこれに続いたが、実現しなかった。反対したのは奇兵隊の同僚・山縣有朋。下関戦争で、『武人は敵前逃亡した』。最後まで前線で奮戦との史料が残るなか、その証言の真意は謎のままだ」と言及している。

*11:「職制案」は複数のバージョンが知られているが、寺島宏貴は、「作成年代の順にみるとAcは明治・大正期を通じて著された尾崎の回想における『職制案』の初見である。本稿は、この Acを『職制案』の原型とする」として、「参議」として龍馬の名前の載るAcの「職制案」が原型だとしている(「大政奉還と「職制案(新官制擬定書)」 : 「公議」の人事」 https://ci.nii.ac.jp/naid/120005327024 )。 

*12:須賀忠芳「高等教育一般教養科目における多様な歴史観・地域観構築の試み : 「学校歴史」から「地域歴史」へ」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005444955 は、註において次のように指摘している。

幕末長州藩の動向に関して、地域の立場から多く発言してきた一坂太郎は、戊辰戦争後、奇兵隊に属した農民・商人出身の兵士らが、論功行賞が不十分であったことに憤慨して藩に対して反乱を起こし、藩から武力鎮圧された「脱退騒動」について、山口県から依頼された、県外向け広報紙で取り上げたところ、その部分がカットされていたということや、この「脱退騒動」が学校ではほとんど取り上げられていないことに触れ、「奇兵隊の歴史は、栄光の美談としてのみ教えられている」ことに驚愕するとともに、「晋作が四民平等を唱え、『人民軍』の奇兵隊を組織したといった、政治的イデオロギーに彩られた、噴飯ものの評価を信じている者がいまだにいて呆れる」と、厳しい口調で批判的に述べている。

*13:「『勝者』こそが『正義』であり、それは気持ちよいほど徹底している」(165頁)と著者は述べている。

切り札としての「占有」。あるいは、君が見た光、僕が見た希望 -木庭顕『笑うケースメソッド』を読む-

 木庭顕『笑うケースメソッド 現代日本民法の基礎を問う』を再読した。

[笑うケースメソッド]現代日本民法の基礎を問う

[笑うケースメソッド]現代日本民法の基礎を問う

 

 内容は、紹介文にある通り、「基本書を開けばどれも当たり前に出てくる民法の用語たち。だが現代日本の民事事件とがっぷり四つに組んだ本書を読んだら最後、そこにはこれまでとは違った世界が広がり、根本的な問題が浮かび上がっているはずだ。有名判例を一つ一つ、事案の細部にわたって笑いとともに解きほぐす」といった内容。
 読んで笑えるかどうかはともかく、説かれる内容は実に知的で面白い。
 「占有」をキーワードに、有名な判例を読み進めることで、民法、特に現代日本民法の問題点が浮き彫りになる。

 以下、特に面白かったところだけ。*1

「占有」とは何か。

占有という、二千年来難解で知られる概念の正体 (14頁)

 著者は次のように説く。
 一方に対象と個別的で明快で固い関係、もう一方にそれを包み込むように圧迫する不透明な集団。
 このとき、一方に「占有」、一方に「暴力」があるとみなす。*2
 そして、法は占有の味方をする、と。*3
 実に簡明である。
 ではいかにして、そうした不透明に寄って集って為される「暴力」を回避するのか。

 文化とは回り道であるという説(レヴィ - ストロース) (19頁)

 占有はそうした回り道をすすめる。
 そうした手続きを踏むことによって、「暴力」を回避しようとするのである*4

木庭顕における「政治」

 裁判官、陪審、当事者等々のあいだに結託があってはならないし、力や利益が介入してはならないし、言語だけで決着しなければならないことを考えれば、すぐにわかります。 (65頁)

 透明な場で独立対等の主体同士が厳密な議論のみで物事を決めることを、「政治」と著者は定義する*5
 この「政治」システムは、法の基礎条件である。
 「政治」の例として、司法(システム)等が挙げられる*6

 ただし、占有を基礎とする法システムは、後述するように、「政治」から独立に成り立つ。
 「政治」に対して「占有」は対抗する力を持つのである。
 「政治」がいつもうまく機能するとは限らないからだ。

 その法システムの内部には、さらに小さな「政治」システムが利用される。
 例として、組合や、破産手続きにおける債権者集会などが挙げられる。

切り札としての時効

 味方であるべき政治的決定までもがグルになっている。そういうときにこそ時効がすべての理屈を切り捨てます。理屈の源である政治的決定もがグルに感染している (36頁)

 民法における時効というのはただの便宜的存在ではない、と著者はいう*7
 そうではなく、自由の砦だ、と。
 誰も味方がいない孤立した人に、力を与える存在だという。
 透明かつ公平であるべき議論が機能しなくなった時に、時効が味方をするという。

 脅威に曝された最後の1人が追い詰められた場面でのみ使用しうる武器なのです。 (37頁)

 それが時効だという。
 占有保障は、プライマリーな事柄の重要な安全弁となる。

 時効は、占有保障を担うこの政治システムが万が一機能不全に陥った場合にさえ占有が保障されるよう、設置された制度である。 (37頁)

 「政治」は先に述べたとおり、著者のキータームである。
 取得時効の存在理由は占有原理を補強するという一点に尽きる、と著者はいう。
 自由な決定に基づく「政治」と占有との関係において、後者を保護するための制度なのである。

占有の天敵

 占有の天敵は金融債権で、かつ反対に、占有はこの天敵を駆除するために開発されたといっても過言ではない。 (54頁)

 占有侵犯は金銭債権者の格好をしてやってくる、と著者はいう。
 貸し込んで介入し、自由を奪い、実力を用いて持ち出す。
 金を返せなければモノで返せ、というやり方を嫌う。
 これに蓋をするのが、占有原理である。

 どこまでも執拗に実務は占有原則をかいくぐろうとします。それほどまでに金銭債権者の物つかみ圧力は強いんです。 (55頁)

 民法349条で、質権が正式に認定されている場合でも、債権者は債務不履行でも質物を取ることが出来ない。
 あくまでも、競売した売却益から弁済に充当されるしかない。
 本来、譲渡担保は違法である*8
 しかし、日本では、実務と判例と学説によって、強行規定を無視してきた。
 著者はここに日本の民法の問題点があるとする*9

 ならば貸主が躯体を支配したくなるのは当然である。 (57頁)

 著者は「貸し込んで介入し、自由を奪い、実力を用いて持ち出す」というのが起こるメカニズムについて説明している。
 利子をつけて返すと、果実(*法律用語)の一部が貸主に帰着する。
 すると、貸主が費用を投下し果実を取得したごとくになる。
 ならば、貸主が躯体を支配したくなるのは当然である、と。*10
 ここに不透明な支配従属関係が生じ、実力行使などが出て来る。
 歴史的にどの社会も借財、特に、高利貸しを取り締まるのはそのためだと著者はいう。

占有と互酬性

 占有と賠償は鋭く対立する二つの思想です。 (202頁)

 占有は、やったりとったりを嫌う。
 互酬性を嫌うのである*11
 そうしたやりとりと、支配従属関係は、深くつながっているからである。
 それに対して、占有は完全水平に独立の単位が一列に並ぶ思想である。
 じっさい傷害以外の賠償はローマでは認められなかった、と著者はいう。

本当の狙いは、「占有」を破壊すること

 日本国憲法や人権理念に対する攻撃のほんとうの動機がむしろ占有破壊ドライヴに存する場合が多い。 (23頁)

 連中が本当にしたいのは、土地上集団の活性化・軍事化である、と著者はいう。
 実際、連中は透明性が欠如している。*12 *13 。

(未完)

*1:本稿では、具体的な判例については触れないことをあらかじめお断りしておく。

*2:著者は本書204頁において「暴力の定義は占有の蹂躙」であり、占有を跨ぐ実力の形成である、とする。

*3:著者は本書205頁において、「たとえ所有権者でなくとも、占有するということは、なにか果実をとることだし、利用するということです」と、占有を定義している。

*4:犬塚元は、以下のように木庭の主張をまとめている(「政治思想の「空間論的転回」 : 土地・空間・場所をめぐる震災後の政治学的課題を理解するために」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006374121

木庭顕によれば,土地(一般に対象物)との安定的・直接的で透明な関係である「占有」は,さまざまな不透明な暴力,不透明な社会集団から個人を保護する原理として,古代ローマ以来,すべての法の公理に位置してきた基底的原理である。所有権とは明確に区別される「占有」は,外部の権威に依拠せずに成立する法的価値として,個人の自由を保障する立脚点である。木庭によれば,一切の法は,この占有原理のヴァリエーションですらある

*5:「『法の前提には政治があり、政治とは暴力や不透明な取引を排除し、言語による自由な議論のみが君臨することである』という木庭顕の基本テーゼ」というふうに、ブログ・「ともの読書日記」では要約されている(「自由な憲法解釈と政治の不在―木村草太『憲法の創造力』」http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-8f21.html )。

*6:

教授によれば、ローマ以来想定されている、理想的な人同士のありかたというのは、他人が立ち入ることはないことが保障される最小限の自律領域を確保した上で、互いに実のある(透明性がある、言葉に嘘がない、誠実である)コミュニケーションが確保された状態であるという。そして、そのようなコミュニケーションが確保されるための諸前提の積み重ねを政治システムといい、裁判という制度もこの政治システムの一部であるという。

以上、「お得な一日」http://katsusokudoku.blogspot.com/2012/04/2.htmlというブログの記事より引用。

*7:林田光弘は、「いわゆる取得時効と登記の問題は解決困難な難問として今なお残存しており、また、取得時効の存在理由や法律構成に関する議論状況は、学説が取得時効の基本的な制度理解についてさえ共通認識を有するに至っていない」と書いている(「取得時効の要件となる占有の継続性に関する一考察 : フランス法の検討を通じて」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006548620 )。

*8:著者は「『債権法改正の基本方針』に対するロマニスト・リヴュー,速報版」(PDF注意) http://www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/05/papers/v05part10(koba).pdf#search='%E3%80%8E%E5%82%B5%E6%A8%A9%E6%B3%95%E6%94%B9%E6%AD%A3%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%96%B9%E9%87%9D%E3%80%8F%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%83%A5%E3%83%BC%EF%BC%8C%E9%80%9F%E5%A0%B1%E7%89%88'

において以下のように書いている(註番号を抜いて引用した)。

ローマでは,占有概念の機能の結果流質が禁じられるから譲渡担保の一種であるこのタイプの制度は認められなかった。帝政期の広大な空間を前提すれば実務がここへ傾斜したことを否定できないから,正確に言い直せば,ともかく法学者はこれに対して戦った。透明な信用の未発達,透明な信用の潜脱,が制度の骨子であり,現在の世界の取引社会が示す病状の一つである。

*9:著者(あるいはそれに擬せられた人物)は別のところで、次のように言及している。

古い古い伝統的な規定ですが、日本では判例と学説によってこれを無視することにしています。皆で強行規定を書いておいて皆で違反するというのは、何とも面白い光景ですが、流石に民法学の最高権威、我妻栄はやましい気持ちだけは持っていて一生懸命弁解しています。その後は誰も弁解もしなくなりましたから、やはり違うなとは思いますが、ただ、我妻栄でさえ、『社会的作用』や『社会的要請』の前には、強行法違反も、やむをえない、と言うばかりで、流石にロジックにはなっていません。そういうロジックはありえないからです。皆がやりたがっているのだからいいじゃないか、という考えが通ったら、法の墓場です。『最後の一人』が、占有が、死ぬからです。 (略) 債務者の占有が大事だ、それが社会の質を分ける致命的な点だ、という意識、つまりは一個の経済社会についての見通しが無ければ、この条文を守れません。

(木庭顕「法学再入門 第8回」『法学教室2013年11月号』所収 69頁 http://picopico.blog.jp/archives/1037396481.html

*10:著者は、フランスの社会人類学がこれを明らかにした、とする。ここでいう「フランスの社会人類学」というのは、マルセル・モースの贈与論を指しているだろうと思われる。木庭は、「モース『贈与論』を徹底的に批判的に分析した結果として、そこから『枝分節segmentation』と『分節articulation』という概念を見事に抽出」している(「ともの読書日記」http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5811.htmlより)。

*11:上と同じくhttp://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5811.html を参照

*12:一連の政権における疑惑、例えばモリカケと称される疑惑、統計改ざん問題といった諸々を見れば明らかであろう。

*13:木庭はのちに憲法9条についても言及するようになる。

「"war potential”の語が印象的だ。いくら防御のためと称しても中を火の玉のようにして軍事体制を作り待ち受けることも禁じられるというのは古典的な法原則だ。内部に文節を擬制しその分節を融解させることも横断的軍事化vis armataと看做す。これは脅威ないし危機の法学的定義である」と集団的自衛権の違法性につきローマ法の観点から断じています

(ブログ・「ともの読書日記」の記事より http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-fecc.html )

ベトナムにも四季はあるし、上座仏教にも呪術はある -桃木至朗『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』を読む-

 桃木至朗『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』を読んだ。

わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史 (阪大リーブル013)

わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史 (阪大リーブル013)

 

 内容は、「日本史・アジア史・西洋史の全体をとらえ、歴史の魅力を探る。歴史によせる高校・大学・市民の期待に向き合う阪大歴史学の成果」と紹介文にある通りである*1
 AMAZONのレビューにもある通り、著者は専門の「東南アジア史」について、「決して世界の中心になりえなかった」ことこそが意義としており、そうした「周辺」から歴史を見る意義も、本書から学ぶことができる。

 特に面白かったところだけ。

四季を自慢する国

  ベトナムの生徒が同じことをベトナムだけの特徴と教えられている事実 (38頁)

 「美しい四季を愛でる心」はわが国固有、と考える国は、ほかにもあるのである。
 当たり前であるが。
 そもそも、「ベトナムは南国のイメージから常夏を想像されがちだが、それは南部の話で北部は四季がある」のである*2

上座仏教の大衆的基盤

 厄よけの呪術、乱世の救世主信仰(転輪聖王弥勒仏)などを取り込むことで、上座仏教は大衆的基盤を確立した。 (205頁)

 上座仏教も、根付いた土地では、このような土着化を行っているのである*3 *4

インディカ米と日本史

 戦国時代に九州・四国でインディカ米の栽培が急速に広がる (222頁)

 排水の困難な低湿地などの悪条件の場所だと、インディカ米は強いので普及したという。
 江戸期には衰退するが、明治まで続いたようだ*5

(未完)

*1:桃木先生といえば、歴史用語の精選案の件http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASKCM5T7PKCMUTIL019.html で知られているが、本稿ではこの話題については触れない。

*2:清水大格「ベトナムでの2年間」http://www.criced.tsukuba.ac.jp/jocv/report/sympo_h17/shimizu.pdf より。日本でも沖縄や北海道等は本土とはまた違う季節感があるので、その点似ているだろう。また、グエン・ヴー・クイン・ニュー「『古くて新しいもの』 : ベトナム人の俳句観から日本文化の浸透を探る」http://jairo.nii.ac.jp/0378/00002250/en は、「ベトナムにも時候、天文、自然観や年中行事などがあり、季語になる単語は豊富にあります」と言及している。

*3:小川絵美子「タイにおける占星術 -寺院における占星術師の活動を事例として-」http://jsts.moo.jp/thaigakkai/journal/ によると、「タイの民衆たちの間で信仰されている上座部仏教そのものにもヒンドゥ的民間儀礼、ひいてはホーラーサートに繋がる呪法を受容している部分が認められる」という。理由として「即時的な問題解決を望む在家信者の欲求に直接的に答えるため」などが挙げられるようだ。そして、「上座部仏教を信仰する他の東南アジア諸国では広く、占星術をめぐる類似の現象がみられ」るという。ただし、タイでは「呪物を販売したり、ひとの求めに応じて呪術を行う出家者は一歩誤れば世俗的とみなされ、民衆の尊敬を得られないばかりか、批判を受けることもありうる」という。

*4:転輪聖王思想は、上座部仏教スリランカを経て東南アジア大陸部へと伝播するなかでローカライズされていき、転輪聖王とは仏教を庇護するために武力をも用いて四大洲のひとつ贍部洲を統一・支配する王へと変化していった」と、川口洋史「トンブリー朝シャムの王権像とその文献的背景に関する覚書 : 転輪聖王と菩薩」 https://nufs-nuas.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=952&item_no=1&page_id=13&block_id=17 は、書いている。

*5:伊藤信博「室町時代の食文化考 : 飲食の嗜好と旬の成立」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005411096 によると、「中世には赤米種および白米種、糯米種、粳米種もある『大唐米』(占城稲)が流入し、気候条件に左右されず、どのような土地でも育つことから、新田開発の条件にも適し、低湿地帯や水はけが悪く、常に湛水状態の土地や洪水時に湛水しやすい土地、高冷地で盛んに栽培された」という。この中世から近世にかけて、「インディカ米である大唐米」は、「西日本から南で、かなり多く栽培され、江戸時代でも、日本の殆どの地区で栽培されている」という。じっさい、「享保三年(1718)刊行の『御前菓子秘伝抄』には、大唐米を使用したお菓子(あられや餅)が、合計十五種類も記されており、この写本が作られた時代は、糯米といえば、畿内では、大唐米の糯米種を使用することは当たり前だったと想像できる」と、けっこうポピュラーだったようだ。

「技術」についてプラトン、アリストテレスから核ミサイルまで -村田純一『技術の哲学』を読む-

 村田純一『技術の哲学』を読んだ。

技術の哲学 (岩波テキストブックス)

技術の哲学 (岩波テキストブックス)

 

 

 内容は、紹介文にあるとおり、「これまで主題的に取り上げられることが少なかった『技術』について哲学の立場から考察」し、「技術に関係する多様な要因を探り出し、技術の実相に迫ると同時に、技術についての従来の考え方の底にある『哲学』そのものの再検討を行う」というもの。
 紹介文は随分と抽象的だが、勉強になる本ではある*1

 以下、面白かったところだけ。

プラトンと「自然と人工」

 プラトンがもちだすのが、自然物もある意味では技術的に製作された「人工物」(ただし神(ないし魂)によって制作された「人工物」)であるという論点だった。 (37頁)

 他から動かされずに自らを動かす始動の存在をプラトンは想定する。
 そして、自然もまた何かによって制作された人工物ではないか、というのがプラトンの言い分である*2
 「自然/人工」という枠組みを固定化せずにものを考えるには重要な指摘である。

アリストテレスと観想と「技術」

 目的論の最高位に位置する観想という活動は、一見すると何もせず、自然の動きを眺めているのみの無為な活動のように見えながら、実は、そのような活動こそ最も「活動的」で、最も幸福な生活を実現するものであることが強調されている。 (47頁)

 アリストテレスは、「科学」と「技術」のうち後者を低く見ていた。
 しかし、そうした発想は、彼の「技術」の「暴走」にブレーキをかけるものにもなった*3
 観想は、神学や数学、自然学(人の選択意思では左右されない必然的なもの)と結びつくことになった。
 「技術」をそうした「科学」が抑制する関係、それが、アリストテレスの中にはあることになる*4

科学と技術の共犯性

 科学は、真理自体を求める、という理念を掲げることによって、その研究の範囲、成果に関してまったく社会的関係から切り離されているかのごとくに研究を進め、その規模を拡大することができた。他方、技術は、そのような仕方でもたらされる科学の成果を無制限に手にする自由を獲得できる (93頁)

 科学と技術とが、形式的に区別された結果、逆に両者は実質的に結合を加速させた。
 ラトゥールの議論に則してそのように著者は述べている*5

自転車とジェンダー

 この型の自転車は、スピードがよく出たので若い男性にスポーツ用として好まれた。ただし安全面では優れたものではなかったため、とりわけ女性の使用にはふさわしいものとはいえなかった。言い換えると、この型は、ヴィクトリア風の道徳、慣習には合致したが、女性解放の流れには逆らう機能と構造を備えていた (108頁)

 ペニーファージングという前輪が超大きく、後輪が小さい自転車は、ジェンダー的な差別をその機能のうちに内在させることとなった。
 だがその後、自転車は改良され、「若い女性に戸外のレクリエーションの機会をもたらしただけでなく,サイクリングとその服装(ラショナル・ドレス)を通じて女性解放を促進」するようになった*6

科学技術の論争にひそむ「政治」の問題

 部分的核実験停止条約が締結され、核弾頭を装備したミサイルによる実験がまったく不可能になると、この論争はパラドクシカルなことには、「批判的な仮説」には不利なように、そして他方、その当時のミサイルには信頼できるという主張には有利なように決着された (121頁)

 核弾頭を備えたミサイルは、これまで別々にしか実験したことしかなく、その信頼性を疑う批判的な仮説が存在していた。
 それが、条約締結によって「決着」されてしまった。
 外在的な政治の問題が、科学技術の論争に影響した実例である*7

大量生産が欲望を生む

  自動車が最初に発明されたときに、馬車より速く走れる乗り物に対する社会的要請があったわけではない。 (142頁)

 フォードTなどが出来て自動車が大量生産され、多くの人がのるようになって初めて、自動車は今のような一般的な社会的要請を満たす機能を備えた乗り物、という「意味を獲得した」のである*8
 「必要は発明の母」という言葉に対して、ここにおいては、懐疑的にならざるを得ない。

「技術」の可謬性

 技術者は原理的に確実な知識はもちえない (151頁)
 技術者は自らの誤りをチェックするためにこそ、「他者」として、使用者を含めた技術者以外の人々の力を必要とする (同頁)

 某電力会社に聞かせてやりたかった言葉である*9

デューイと「成長」

 デューイにとって、成長とは、何かあらかじめ存在する固定的な目標を目指した運動ではなく、むしろ、そのつどの状況を越えて進む運動にほかならない (176頁)

 「成長」という言葉にある奥深さと可能性を、デューイから学びたいところである*10

 

(未完)

*1:技術というより哲学の本である。

*2:プラトンの自然(環境)観については、瀬口昌久「コスモスの回復 プラトン『クリティアス』における自然環境荒廃の原因」が参照されるhttps://ci.nii.ac.jp/naid/120005973868 。『ソピステス』から「すべての死すべき動物およびすべての自然物が (中略) 生じてくるのは,まさにはかならぬ神の製作活動によるものであると,われわれは主張すべきではないだろうか。 (後略) 」という言葉を引用しつつ、「自然環境荒廃」に対する人間の責任を問うプラトンについて、論じている。

*3:中島秀人は、藤沢令夫を参照して、

アリストテレスでは観想知であったはずの科学が製作知的な性格を強めて技術と合体し,こうして合体した科学技術は,没価値という科学の建前を保ったままで, 「人間の生物的生存と行動の直接的な有効化・効率化という価値をそれだけで追究する,効率至上主義の価値観を体現」するようになっている

と述べる。そして藤沢の「『科学技術』がひたすらに盲進してきたために起こったさまざまなやっかいなトラブルを,いまになって何もかも『倫理』に押しつけてくるとは何かが根本的に間違っているのではないか.」という言葉を引用しつつ、「古代に水車の利用が制限されていたように,その利用を制限することは原理的には可能である」と述べている(「技術者の倫理と技術の倫理 ラングドン・ウィナーを出発点として」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005973745)。

*4:本書とは別の文脈であるが、こうした古代哲学が現在の工学の専門家に寄与する可能性が十分にある。『科学技術者の倫理』の著者・Charles E. Harrisは、工学の専門職として求められるものとして四つを挙げる。「①リスクの感受性をもつ」、「②テクノロジーがもつ社会的文脈への意識」、「③自然の尊重」、「④公共善(public goods)への参与」。そして

これらは、禁止的な命令ではうまく説明できない。技術者に必要なこれらの4項目を養うためには、従来の技術者倫理では不十分である。ハリスは徳倫理学がこれら4項目の促進に役立つことを主張する。彼はアリストテレスの『二コマコス倫理学』を引いて、5項目のポイントを指摘している

という。以上、瀬口昌久「工学を専攻する学生のための哲学教育」を引用、参照したhttps://ci.nii.ac.jp/naid/120002834657 。続きはそちらで。 

*5:ラトゥールの考え方については、「自然・モノと人間とを区別することで、悪しきハイブリッドを生んできた(例:ハイブリッドモンスター:原子力発電所)それを隠して、自然と社会を純粋化することで、生産性を向上してきたのが今の社会である」と、こちらのブログ https://harunopolan.wordpress.com/2016/06/15/%E5%A1%9A%E6%9C%AC-%E7%94%B1%E6%99%B4-%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%EF%BC%A0domus-academy/ で触れられている。

*6:荒井政治「サイクリング・ブームと自転車工業の興隆 19世紀末イギリス」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006490575 

*7:別のブログの書評http://tayatoru.blog62.fc2.com/blog-entry-819.htmlが本書132頁を引用しているように、

合衆国の大陸間弾道ミサイルに関する技術的な実験事実は、国際政治の状況を構成すると同時に、その状況によって構成されたのである。技術的製品が設計され製作された社会・技術ネットワークが安定し、正常な環境の一部となると、それらが持っていた政治的性質は隠され、沈殿し、暗黙的なものとなる。しかし、このことは技術が本来持っていた政治的性質が消滅したことを意味するわけではなく、むしろその政治的役割が自明になるほどうまく機能するようになったことを意味している

*8:石川和男「合衆国における耐久消費財の普及と背景(1)自動車社会の基盤形成と初期の自動車製造を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005744844は、

Fordに代表される大量生産によって、奢侈品であった自動車価格を毎年引き下げ、一般大衆に手の届く製品となったことが、多くの人々の生活に変化を与える影響が大きかった。この背景には、耐久消費財普及モデルともいえるような割賦販売の普及や、販売チャネルの増加、さらにはマーケティングの影響があったことも明確にされている。一方で、自動車が与える負の影響については、既に学者を中心として主張する者も現れてはいたが、それほど大きな影響にはならなかった

と言及している。ただし、石川論文の強調点は、当時の自動車企業のマーケティングに関する問題なので注意。 

*9:吉澤剛・中島貴子・本堂毅「科学技術の不定性と社会的意思決定──リスク・不確実性・多義性・無知」http://www.sci.tohoku.ac.jp/hondou/0826/img/Kagaku_201207_Yoshizawa_etal-1.pdf は、次のように述べている。

この評価と管理の分離は,科学は事実を発見し,事実は技術を決定するというように,知識は必然的に単線的な軌道を進むという見方にもとづいている。しかしそうした狭い科学観によるリスク評価の概念をもって,ある技術に対するリスクが厳密に定量化されたとしても,その技術がもたらす便益はどれくらいか, (引用者中略) どこまでそのリスクに対する防護措置を講じるのか,といったことは相変わらず質的熟議を要する。 (引用者中略) 開かれた手法による参加型実践を通じてのみ,重要な社会的懸念に焦点を当てた政策評価がより効果的になるだろう。

そして、科学と技術は本質的に異なる営みとし、日本では歴史的経緯から違いがあまり意識されてこなかったために、「関わる専門家側も,その技術的判断の内実を十分認識していないためか,唯一の科学的解答のごとく社会に伝え,混乱を招きがち」であったとしている。

*10:山本順彦「『常に現在である』過程としての教育 : デューイ『経験』概念の教育学的検討」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009550238は、「連続性という観点から『経験』を捉えるならば」、それは「成長しつつあるもの(growing)」であり「動いていく力(moving force)」である、と、デューイにおける「経験」概念を説いている。「話すことを学習した子どもは、新しい才能を獲得するとともに、新たな欲求を持つようになる。しかし、また同時に、次の学習の外的な条件を拡大することにもなるのである。読むことを学ぶならば、同様にまた、新しい環境を開発する」といった具合である。