東ドイツの裸体主義・男女平等・排他性 平野洋『伝説となった国・東ドイツ』(1)

平野洋『伝説となった国・東ドイツ現代書館 (2002/08)

東ドイツの女性たち■

 社会主義時代の東では、月一回ハウスハルトタークとよばれた家事のための有給休暇日があり、働く女性たち−−当時は専業主婦というものが存在しなかったーーにとってこの日は歓迎された(男女平等が建前であったが、家事の大部分は女性が負担した)。女性たちの職場進出への前提条件である乳児院・幼稚園も完備していた。 (54頁)

 社会主義国は、職業の男女平等を、制度的に整えていたことで知られています。東ドイツもまた、その例に漏れません。家事のための有給休暇日があり、幼稚園なども完備していました。(社会主義国に「専業主婦」が存在しないのは、男女関係なく人民はみな「労働者」たるべき、という義務を負わせる思想があるからでしょう。純粋に、労働力不足というものあったかもしれませんが。)
 ただし、一方で著者は、「男女平等が建前であったが、家事の大部分は女性が負担した」と、制度に隠れた慣習(または陋習)の現実もきっちり書いています。これは少なくとも、他国(日本も含め)と変わらない面です。東ドイツの女性たちについては、柳沢文香「旧東西ドイツにおける女性の価値観とその変化」(『Reitaku Universitaet Fachrichtung Deutsch(Jap.)』様)もご参照ください。

■裸体と社会主義

 FKK(フライ=ケルバー=クルトゥーア)とは、日本語で裸体主義と訳される。(中略)太陽の下、全裸で日光浴を楽しむ、そんな光景がドイツの各地に出現した。このFKK運動は、新社会建設を掲げる当時の共産主義者たちからも共感を得た。(中略)裸になれば金持ちも貧乏人もみな同じ、という”理論”も共産党指導部に気に入られた原因といわれている (55頁)

 この運動は、ダダイズムの影響であるといわれます。第一次大戦後に起こった運動は、ナチス時代に禁止されたものの、東ドイツ時代に復活しました。復活した理由が、【裸になれば金持ちも貧乏人もみな同じ、という”理論”】だったのは、大変興味深いです。反キリスト教、反ブルジョア道徳という意味で、裸体主義が肯定されたのかもしれません。(注1)
 ドミニク・ノゲーズ『レーニン・ダダ』は、無関係に見えるレーニンとダダイズムのつながりを、資料に基づいて推理した本ですが、本書の続編として、ダダイズムとレーニンの間に、裸体主義を挟んで書いてみるというのも一興です (誰か書いてください)。
 (なお、ヌーディズムについては、秋田昌美『裸体の帝国』を参照)

東ドイツの、日本人との【近さ】■

 「とにかく(東独でも日本でも)言われたとおりにしていればいいんですから。計画があってあとはそれをこなすだけ。すべて組織化していますしね。交番もそこら中にあるし。学校でも一列にならんでの点呼。(中略)しかし東独では、はっきりと面と向かって物を言うところが日本とは違う」 (167頁)

 これは、東ドイツ出身の音楽家と結婚した日本人女性の発言です。確かに、学校とか、交番という制度など、近いところが多い。しかしどうやら、はっきりと自己主張するところは違うようです。自己主張という点については、中島義道『ウィーン愛憎』などを参照すべきかもしれません。日本人に近いところは、別のところにもあります。

 「まず、西ドイツ人は訊かないね。『どこから来ましたか』、『いつ帰るんですか』とね。東ではしじゅう訊かれるんだ。(中略)東の場合、その質問は人を値踏みするものなんだ」 (187頁)

 これは、アフガン出身のドイツ永住権取得者の言葉です。西ドイツでも聞かれることだ、と言葉を添えつつも、東ドイツでは、一層の悪意を感じたようです。このような【無神経】な「外国人」への発言は、日本人もよく行っていなかったでしょうか(今もまだ、やっているかもしれません)。
 Nikolausさんという日独のハーフの方は、「今度は、いつドイツに帰るん?」と小さいときから友達に訊かれて、そのたびに「ドイツへは“行く”んや」と訂正し続けていたそうです(「よくある質問」『Die Kreuzungsstelle〜交差点な人たち』様より)。この言葉が、まるで「日本から出て行け!」と言われているような気がしたそうで、そこに「無意識の排他性」が見えた、と。

(続く)


(注1) 「二十世紀はじめのドイツのヌーディズムの理論家はウンゲヴィッターであったが、彼は男女ともに裸体になりながら性的な衝動からは解放されていると思い込もうとしていた。」と、多木浩二『ヌード写真』には、書かれています(「脱性の身体/体操/近代ドイツ」(『vingt-trois etoiles』様より孫引) )。ヌーディズムが一方で性的な衝動を排する側面を持ち、しかもこのイデオロギーが、「民族と文化の純粋性を維持するために「性」を管理する思想に遠くではつながっていた」というのです。ヌーディズムに否定されたもののひとつが、「自慰や女性との性交」でした
 その極北がナチズムであり、「ダンスによる陶酔や体育好み、さらにはあのナチ独特の集団的エクスタシーがこの否認された性的欲望の充足を引き受けていた」と多木氏は書いています。左翼的傾向を脱色した裸体主義運動を、ナチスが支持した背景には、こうした「健康」的な側面(性的な面を除く)を強調するため、という意味合いがありました。
 「性に開放的な東ドイツだが、実はポルノは禁止だった」ことは、以上の観点から考察されるべきでしょう(「戦争映画「コミュニストはSEXがお上手?」」 (『かぽんのミリタリー的日記』様))。東ドイツ時代には、性的な衝動こそ肯定されますが、それは生殖に結びつくことが前提でした。

2010/02/21 一部修正済