少数民族問題とスルタンガリエフ 山内昌之『スルタンガリエフの夢』(3)

■入植者たちの【敵意】■

 ロシア帝国主義の入植民の末裔たちは、ムスリム隣人の民族的アイデンティティや失われた権利の回復に露骨な敵意をあらわしていた。「大ロシア排外主義」や「植民地主義」の熱心な担い手になったのも、このロシア人農民たちであった。 (314頁)

 そういえば、イスラエルナショナリズムの「熱心な担い手」になるのは、国内外にいる「入植民の末裔」が多かったはずです。
 イスラエルの場合、入植者となるのは、国の中でも比較的貧しいセファルディムやミズラヒム出身の人々だったと記憶しておりますが、貧困層が入植者となる、という点が共通するかどうかはわかっていません。

■【帝国的】な「イリミンスキー・システム」と、タタールの位置■

 タタール人以外の「異民族」の母語を学校や教会で用いなければかれらの文化と母語は消え去り、かれらもタタール語と「マホメット教」を受け入れてしまう。(中略)フィン系などの「異族人」への布教や教育にその母語を用いると、たしかにかれらの民族意識を強めることになる。しかし、「統一したタタール民族」よりも弱小の諸民族をおさえる方がはるかにたやすい、と。
(中略)イリミンスキーの思想は、ソヴエト体制下の無神論宣伝家の議論と驚くほど酷似している (91−92頁) 

 これが、ニコライ・イワーノヴィチ・イリミンスキーの考えでした。イリミンスキーは、19世紀の東洋語学者であり宣教師でもあった人物です。母語にて教育を行うことで正教布教を推進せんとする彼の方針は、「イリミンスキー・システム」と呼ばれます。
 イリミンスキーは、まさに帝国の方針としての【分割して統治せよ】という方針を提唱しました。「タタール語」・「マホメット教」・「統一したタタール民族」の脅威を、何よりもこの人物は怖れていました。
 帝政ロシアにおける「イリミンスキー・システム」の位置付けや、この方式とソ連の政策との関連の度合いについては、詳しく書きませんが(注1)タタールの人々にとって、帝政時代・ソ連時代に連続するこの【分割統治】は、タタール人の地位を落とすに十分な政策だったはずです。
 この「イリミンスキー・システム」に繋がるソ連における少数言語・少数民族への厚遇的政策は、「タタール語」・「マホメット教」・「統一したタタール民族」を重視したスルタンガリエフを苦しめることになります。彼は、ロシアという存在だけでなく、タタール以外の諸少数民族の存在にも悩みつづけたのです。(注2)

少数民族問題に向けて:未完のスルタンガリエフ

 もしスルタンガリエフがそのムスリム民族共産主義ムスリム国家やムスリム共産党に依拠して実践しながら、支配エリートとして統治責任を担っていたなら、近代のオスマン帝国いらい現代の中東にいたるまで、イスラム世界が直面したアルメニア問題やクルド問題のような少数民族問題に十全に対応できたとは断言できないからだ。 (413頁)

 スルタンガリエフがもし、生き残ってその主義を実践していたとしたら、うまくいったかどうか。今現在、中東地域において発生しているマイノリティの問題に対応できていたかどうか。
 著者は、この問題について、「この意味でも、スルタンガリエフ主義がアルジェリア革命やイラン・イスラム革命と結びついて「復権」したのは、スルタンガリエフその人にとっても幸せなことであった」と述べています。言葉を悪くして言えば、【いい時に死んだ】ということでしょう。彼の死後も、マイノリティとしての少数民族の問題は、未解決のまま現在に至ります。(注3)
 スルタンガリエフは志半ばにして命を落としたゆえに、その思想を後世に残せた側面がある、といってよいでしょうか。「革命」に寄与した彼の思想は、同時に、少数民族問題の未解決という齟齬を含みながら、現在でも、問いとしてあるのです。

(了)


(注1)  「帝政末期の民族学者・言語学者の中には、ソヴェト政権のもとでも同様の努力を続けた人たちがおり、その意味で帝政末期から1920年代にかけてのある種の連続性をみることができる」ゆえに、「帝政末期の言語政策は「ロシア語化」だけで単色に塗りつぶされるものではなく、多面的な要素をもっており、その一部はソヴェト政権初期に引き継がれたということになる。」と、塩川伸明「ソ連言語政策史再考」(『スラヴ研究46号』様)は、論じています。
 ただし、塩川論文は、「ソ連特有の事情や民族ごとの個性差が見落とされがちであること」に注意を払っており、「必要なのは、政策と実態との複雑な交錯を民族・地域ごとの独自性を踏まえつつ解明する作業である」として、ある地域での事例を全面化して考えることを戒めています。今回のタタールにおけるケースを、ロシア全体での政策と混同することはできません。

(注2) 例えば、「ムスリム諸民族を統合した連邦をつくりソビエト国家の枠内での自治を実現しようとするタタール共産主義者スルタンガリエフに対し、「ロシア人主体のソビエト政権は民族ごとの自治領域を設定してムスリムを民族ごとに細分する」政策で対抗しました(Wikipeia:「タタール人」)。

(注3) ゆえに、本書『スルタンガリエフの夢』は、例えば、廣瀬陽子『コーカサス国際関係の十字路』とともに読まれるべき書物なのです。