「アメリカ」が「西欧」・「西洋」と等価でしかない日本の知識人の系譜 -ジャズと「アメリカ的」であること- 蓮實重彦『随想』(2)

■ジャズと「アメリカ的」であること、あるいは抽象的な日本の知識人たち■
 某団体への怒りで終わる本書ですが、その内容は大まかに、小説と映画への言及の二種類に分かれます。いつもどおりですね。
 しかし、今回は珍しくジャズについても言及していたりします。映画つながりでジャズというのは、まあ、無理のないつながりではあるのですが。

 しかしジャズといっても、戦時中の日本のジャズです。
 じつは、戦前既に非常に高いレベルまで、日本のジャズは到達していました。例えば、仁木他喜雄仁木多喜雄の編曲する「崑崙越えて」は、ジャズをそろえたレコード店の店主に「アレンジがすごい。ベニー・グッドマンですよ」と口走らせるほどの「アメリカ的」サウンドでしたし、服部良一さえ、昭和十三年の帝劇で、ジャズに編曲した軍歌「天に代わりて」の間奏に、「君が代」のフレーズをベースのフォービートで繰り出していたのです。 
 軍歌までもを、「アメリカ的」な音に仕立て上げる技術が、戦時下に既にあった。彼らは、既にそこまで、「アメリカ的」なものに触れていたのです。具体的に「アメリカ的」なものに触れるという点は、当然小津安二郎シンガポールで、日本では見れなかったアメリカ映画にじかに触れていたことに通じるでしょう(実際『監督小津安二郎』で明らかにされるように、小津映画は戦前戦後を通じて、日本的というよりアメリカ映画的でした)。

 しかし、こうした具体的な「アメリカ的」なものへの無知は、「その後の比喩的な枠組みとしての「アメリカ」の抽象性にもつながる」のです(120頁)。(似たことを、既に著者は『近代日本の批評』昭和篇で述べていたと記憶しています。)
 ここでいう「無知」とは、座談会「近代の超克」に集まったメンバー達の多くに見られる、具体的な「アメリカ的」なものへの感性の欠如のことです。そしてこの欠如は、後世の戦後、そして現代に至るまでの知識人に引き継がれてしまっています。確かに、彼らの語る「アメリカ」の薄っぺらいことといったらありません。小林秀雄江藤淳もそうでしょうし、彼ら以降の、前任者より才覚の足りない文芸批評家たちもそうでしょう)
 彼らは、自己=日本を揺るがしたり、あるいはその「再生」に利用したりするときに持ち出される抽象的なものとしてしか、アメリカを知覚することがありません。彼らにとっての「アメリカ」とは、極端なはなし、「西洋」・「欧米」に還元されるものに過ぎないのです。チンケな抽象概念を跳ね除ける具体的な「アメリカ的」なものを、日本の多くの知識人は、現在でもなお取り逃し続けているように思えます。

(続く)


(追記)
 なお蓮實は、ジャズの"最先端"だった戦中日本と同時代の、1940年代アメリカについても書いております。詳細は、「ベンヤミンと、批評家の【知的な賭け】 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(2)」をご参照ください。
 あと、「具体的」な観点から他国を知ることの重要さという点においては、麻生晴一郎『反日、暴動、バブル』は必読です。そこらへんの抽象的でしかない中国論より、はるかに面白い。
 つーか、何で日本人(に限らないが)の書く中国論というのは、あんなに抽象的なんでしょうか。「中国人ってOOだ」とか「中国は昔からOO」とか、そういった「中国像」から離れられていないんですよね。「中国のOO」というなら、まず「中国の」という形容詞ではなくて、「OO」という具体的な存在に目を向けることが重要なのに。

(再度追記) 一部誤表記あり訂正。(2012/8/8)