小坂井敏晶『人が人を裁くということ』を読む。
日本の裁判員制度だと、裁判官3人全員が死刑判決を支持すれば、裁判員6人のうち2人が賛成すれば、過半数になってしまう。
頭のいい裁判官になら、2人程度の誘導など難しくあるまい。
他の国ならどうか(10、11頁)。
英米系の国の場合、裁判官が行うのは、有罪判決後の量刑だけ。
ベルギーやオーストリアの場合も同様。
デンマークの場合、現在、裁判官3人、陪審員6人だが、裁判官2人以上に加えて、陪審員4人以上の有罪判決が必要。
日本とは大きく違う。
フランスの場合は、裁判官3人+参審員9人の計12人のうち、8人以上の賛成がないと有罪にはならない。
要するに、日本の裁判員制度は、すっごい有罪にしやすい制度なのだった。(この現状は、ドイツやイタリア、ポルトガルやギリシアにも言えることらしい。)
日本のこの制度に近いのは、フランスのヴィシー政権時の制度で、当時のヴィシー政権は、有罪にしやすくするために、このような制度にした(21頁)。
おい、日本の裁判員制度、ふざけんなw
フランスの司法制度の歴史(18頁)。
アンシアン・レジーム体制の時代、裁判官などの官職は、売買の対象だった。
革命政権は、こうした事実上の"特権"を人民に取り返そうとした。
陪審員制は、こうした王権支配との断絶の意味を持った。まさに、人民主権だった。
フランスの場合、事件解明や証拠探しも裁判所が積極的に行う。
一方で、フランスでは最近まで控訴が出来なかった(29頁)。(訂正:正しくは、「重罪の有罪判決に対して控訴が認められなかった」となります。)
絶対的な「人民」の意思が決めた判決を、覆すことなど出来ないからだ。
市民個々人の意思より、「一般意思」としての「人民」の意思が優先された格好。
一方英米の場合、検察と弁護側双方の言い分を公平に聞き、検察側の意見の妥当性を検証するのが裁判所の役割で、比較的消極的。
市民の利害調整を担う、というのが、歴史の中で、司法の役割となったため。
市民個々人の利害の調整を優先するため、控訴も英米では当然認める。
各国の司法制度には、各々歴史的背景がある。
判決理由について。
英米でも、フランスでも、歴史的背景は違うが、判決理由は求められない。
でも、日本ではそれを求める。
判決理由を求めるとは、どういうことか(35頁)。
つまり、有罪判決を出す場合には、検察が出した証拠を認めればすむ。
だが、無罪判決を出すには、検察の主張を退けるための説明が裁判官には必要となってしまう。
多くの事案を抱え、一つ一つの犯罪解明にかけられる時間が限られる裁判官には、無罪判決を下すことが難しい。
判決理由を求める国、つまり日本では、無罪判決が出しにくいわけだ。
検察無双国家・日本w
ある実験(46頁)。
ソロモン・アッシュが行った実験で、3本の長さの違う線分をチームで測定させる際、数人のサクラが口裏を合わせて誤答を選ぶと、被験者の75%が12回中最低1回はそれに釣られてしまう。
だが、大多数のサクラが誤答を言っても、サクラのうち一人だけは異なる回答をするようにすると、影響の確率は3分の1以下になる。
(この場合の「異なる回答」とは、他のサクラよりもっと誤った回答の場合も含む。)
情報源が多数なのかが問題ではなく、情報源が一つしかないことが被験者の判断に与える影響を見る実験だった。
ここから得られる教訓は何か。
例えば、12人中2人の少数派と、6人中1人の少数派のケース。
どちらも同じ割合だが、多数派が行使する影響力には格段の差がある。
情報源の"複数性"を確保するためにも、たった一人でも少数派が存在できる環境は大切。
(追記:2011/8/7)
ご質問いただいた様なので、返答いたします。
>ちなみに,英米仏では判決理由が求められないとのことですが,これらの国ではどのように控訴をするのでしょうか?控訴するには判決理由を検討して,事実認定や法の適用を批判する必要があると思うのですが。
とのこと。
いい質問ですね(by 池上氏)w
本題に入る前にまず、英米仏の控訴の実際について触れておきます。
こちらのブログ様(http://sendatakayuki.web.fc2.com/etc5/syohyou293.html)を参照しますと、
まず、英米法では、「裁判官は事実認定に加われない。有罪かどうかを決定するのは市民である。無罪を覆す権限は裁判官にはない」。
そして、「英米法では検察官上訴は許されていない。有罪判決を不服とする被告人が上訴する。上訴権は被告にある。無罪判決であればそれで結審」となります。
要するに英米法では、市民が無罪って判断したら、もう無罪確定で、検察も控訴できません。
(なお、英米法の国で、控訴が通った場合、控訴審を行うのは原則、職業裁判官だけとなります。)
一方、大陸法諸国では、日本と同じく、検察官が控訴可能です。(この対策のために、「フランスでは控訴審で市民の意見を重視するため裁判員の人数を、第1審の9名から12名に増やした」そうです。)
で、フランスの場合、上に書きましたが、最近になって、控訴が可能になりました。
回り道をしてきましたが、「控訴する時どうするのか。判決理由は要らないのか」という本題です。
正直、こちらの無知のため断定は出来ませんが、おそらく、次のようなことだと思います。
「事実認定や法の適用」という一審に不服があるから、控訴というのがあるわけです。
ですから、一審の判決理由を一切無視して控訴する、ということもありえるのではないでしょうか。(それに、一審で既に、互いに証拠は出し合っているはずですし。)
ブランクにいうと、「一審の裁判員どもと裁判官どもがこんな判決を下しやがったが、俺は認めねえ。ぜったい有罪or無罪だ。一審で挙がった証拠とか、ちゃんと見て欲しいんだ。チャンスをくれ、頼む。あいつらはダメだったが、あんたなら分かってくれるよな?」っていうことだろうと思います。
要するに、一審の「判決理由を検討」する必要なんかなくて、あくまでも、自分達の一審でのと同じ主張を、控訴の時にぶつければ十分だと思うのです。
法学の素人のため実際の所は不明ですが、こう考えるなら、判決理由の明示は不要だと思います。
一審判決と控訴との間に一種の断絶がある、という風に表現できるかもしれません。この考えがあってるかどうか分かりませんが。
以上の点において、もしお詳しい方いらっしゃいましたら、ご教授ください。
ではでは。
(どうでもよい追記)
はてブを見たら、
というのがありまして。gimonfu_usr ア )裁判員制度を廃止 イ)日当を a.被害者救済 b.刑事弁護士手当 ウ)弁護士を減らす
若干何を主張したいのか分からないこの文面ですが、一応コメントをしておきたいと思います。
?「裁判員制度廃止」というのは、当然反対です。制度は存続すべきです。
問題は、どのように司法の場に「市民」の声を導入するかであって、廃止したんじゃ元も子もありません。
裁判員制度、ないし、司法の場への「市民」の参加を拒否っといて、民主主義など片腹痛いw
?「日当」云々の件は、そういう意味で、単なる冗談と受け取っておきたいと思います(こんなもの、素面で書けるわけないでしょうw)。
日当を支払ってでも、裁判員制度を続ける意義は十分あるし、続ける意味があるからこそ、本稿で指摘した問題点を解消せねばならないと考えています。