米軍が歪めた戦後沖縄経済

以下、『沖縄「自立」への道を求めて―基地・経済・自治の視点から』からの引用とコメント。



■沖縄の経済と、国内格差の実態■

 たとえば沖縄県の県民所得は、全国で最も低い。しかしその額をドルに換算して先進工業国のリストに並べてみると、中位か下位あたりに位置する。つまり、沖縄は世界の中では経済的「豊かさ」を享受している。国内に視点を転じても、都道府県別の県民所得で平均を超えるのは九つしかなく、三八の道府県が平均以下である。そこからはむしろ、国内格差が浮かび上がる。 

 日本という国は、実はこんな感じである。

■米国の都合で、日本の「潜在主権」下に置かれた沖縄■

 「潜在」であれ、主権を日本が有するのであれば、その同意の下で米国は沖縄で自由に軍事基地を建設できる。 […] 要するに、信託統治では進行中の大規模な基地建設が不可能だという状況で、沖縄を排他的に統治していくためには、日本の「潜在主権」を設定しておくことが、米国にとって不可欠だったのである。日本の「潜在主権」を米国に認めさせたのは吉田外交の成果だという、学会での通説に近い解釈は明らかに不十分だと考える。

 豊下楢彦先生も、このようなことを書いていたような気がする。

■ODA沖縄版な経済。■

 政府の沖縄政策の目玉として実施されている「本土との格差是正」及び「自立的発展の基礎条件整備」のために投下された振興会開発事業費は、経済自立には結びついていない。沖縄振興予算の実施機関である内閣府沖縄総合事務局が発注する公共事業費の五〇%は県外業者が受注し、沖縄の予算が本土に還流するという"ザル経済"を構築しているからである。本土ゼネコン業者は政府の沖縄振興開発事業(公共事業)を受注しているが、県、市町村の税収には貢献していない。
 […] 沖縄への財政投資が県外に還流し、資金循環効果に乏しく民間経済を誘発していない仕組みになっている […] 財政資金は、途上国援助として投入されるODA資金と同様にその大半が日本企業の受注で日本に還流する「ODA援助」と形が類似しており、「ゼロODA沖縄版」となっている。 

 情けは人の為ならず、の典型である。
 まさに国内植民地。

■従属構造■

 公共事業への依存度が高く、中小零細企業が多い沖縄では、政府が巨額の資金を投下しても、その大半が本土企業や海外資本に回収される […] 沖縄の企業は下請けや孫請けに甘んじる構図が温存されてきた。 (某書より引用)

 先ほどと同様。

ハコモノばっかりです。■

 現在の振興事業費は、公共事業中心の振興策となっている。道路、港湾等の社会インフラは本土並みに達しつつあり改善がみられるが、振興事業費が教育、福祉、医療など県民生活と密接な分野に使えるような制度設計にはなっていない。 (某書より引用)

 ハードばかりでソフトに流れないのは、日本のそこかしこにある、あるあるである。
 第二次安倍内閣アベノミクスも(ry

■米軍が歪めた戦後沖縄経済(そりゃ基地周辺に人が集まるわけだ)■

 基地に農地を奪われて第一次産業は衰退の一途をたどり、米軍基地建設のために必要な労働力を確保するために実施された基地労働者の高賃金政策で、戦前型の食料・軽工業産業従事者の基地労働へのシフトが進み、さらに日本円の三倍も高価なB円の投入で「輸出型産業」は競争力を失い、代わって「輸入型」産業が一気に成長を遂げることになった。 […] 唯一の外貨(ドル)獲得の機会は、米軍基地建設や基地周辺産業にしぼられていった。 (某書より引用) 

 何のことは無い、沖縄経済を大いに歪めたのは米軍であり、基地周辺に住民が集まる経済構造を作ったのも、実は米軍である。

■日本政府の植民地主義w■

 「米軍基地再編交付金」 […] それは、新たな基地負担へ自治体の協力に応じて、防衛大臣の都合、政治的判断で補助が決まる。これに依存しなければ自治体財政が成立しないということになれば、地域に役場は残っても自治は消滅し、もはや、「軍事的植民地」 (某書より引用) 

 

■良く考えれば、基地との「交換」が当然なわけがない。■

 沖縄では、当然の権利としての財政移転が、全て基地との交換と考えられているのではないだろうか。基地がなければ食べていけないという県民の懸念は、権利として確保されるべき施策までもが、基地との交換で国が与えている恩恵であると思い込まされているために、なおさら強められている。 (某書より引用)