運動会と、学校という制度に関して -北澤一利『「健康」の日本史』を読む(前編)-

 北澤一利『「健康」の日本史』を読む。



 『時事小言』での福沢先生の発言。

 この時代になると、福沢先生は、信頼できる人種として士族に注目する。
 士族は優秀で国のためになるから、という理由で。
 んで、それ以外の「百姓町人のやから」は「社会のために衣食を供給しているだけ」であり、いうなれば「国の胃袋」だとする。
 一方、士族は「脳や腕のごときもの」らしい。
 そして「胃袋の働き」は重要だが、「胃袋の健康のみを保って、脳と腕との力がたくましくない」のは「動物にたとえるとブタである」(57頁)。

 何のことはない、プラトン以来続く西欧的な、頭脳階級と肉体労働階級の分離ですなw 
 



 新渡戸稲造センセの野球dis論(111頁)。
 明治44年の話。

 新渡戸先生曰く、野球というのは相手を「ペテンにかけよう、計略に陥れよう、塁を盗もう」とする遊びであって、「米人には適するが英人や独逸人には適しない」し、日本人にはなおさらだという。
 「英国の国技蹴球のように鼻が曲がっても顎の骨が歪んでも球にかじりついているような剛勇な遊びではない」。

 多分新渡戸センセのいう「蹴球」ってラグビーとかを含む「フットボール」ことなのかな。
 まあ少なくとも、今のサッカーとかの方が、ずっとフェイントとか「ペテンにかけよう」としてるんだから、日本人には不向きなんじゃないんすかw
 新渡戸センセの米国観も面白いw



 明治期、運動会は、地方の農村などの閉鎖的なコミュニティーに浸透する。
 その効果は絶大だった。

 当時の学校のほとんどは運動会を行えるだけのスペースがなく、大抵神社の境内で運動会が行われた。
 神社の境内は元々、住民たちが祭りを行うコミュニティの中心であり、運動会という未知の行事に対する住民の警戒を解くのにもうってつけの場所だった。
 で、結果的に、運動会は学校の明るく愉快な一面を宣伝するのに一役買うことになった。

 学校という近代的な制度を日本中に広げることに貢献したのだった(118頁)。
 著者曰く「旗拾い競争などをみたり参加した子どもたちが、学校に通いたくなる気持ちが想像できます。」

 「制度」というのは、こういう楽しい一面から広まるケースが多い。
 新しい制度を広めたい方は、この教訓を生かされてはいかがでしょうかね。



 16世紀後半、宣教師のフロイスは日本について、興味深いことを書いている。

 西欧の人間は散歩を、健康によい気晴らしだと考えているが、日本人は散歩をしないしそれを不思議がっており、単なる「苦労とか苦行」とかと考えている、と(125頁)。

 当時散歩のような非労働的な運動は、有害なものとして見られていたというのだ。
 なるほど、散歩は有害なので外に出ないようにしようかなw