中園成生『くじら取りの系譜』を読んだ。
内容はすでに紹介文にある通り、日本人と鯨のかかわりを、「かつて西海捕鯨の拠点として栄えた長崎県生月島に暮らす著者」が解説したもの。
著者は執筆時点で、「長崎県平戸市生月町の博物館『島の館』学芸員」とのこと。*1
捕鯨の歴史の実相
戦国時代以降に始まった古式捕鯨業ですら、西日本中心の限定された漁場で行われ、遠隔の大消費地を対象とした商業捕鯨の側面が大きかったこと。そのために鯨食文化も西日本中心に偏っており、関東以北では房総半島など例外的な地域を除いて、鯨肉食が普及したのは明治末以降の比較的新しい時代 (5頁)
ノルウェー式砲殺捕鯨法が導入された後の近代捕鯨業では、伝統という生やさしい形容がはばかれるほど激しい資源の収奪が、日本近海さらには南氷洋を舞台に繰り広げられ、その結果、多くの鯨類を絶滅の危機一歩手前まで減少させるのに、ほかの捕鯨国とともに大きく荷担してしまった過去 (同頁)
戦国期以降の捕鯨業ですらも、商業捕鯨の側面がすでに大きかったのだと著者はいう。
それも西日本に偏っている、と。
さらに、鯨肉食の普及は近代だとすら言う。
そして、近代の非伝統的ともいえる「ノルウェー式砲殺捕鯨法」による捕鯨は、「資源の収奪」といえるものだった、と。*4 *5
捕鯨問題に関心のある人ならばすでに承知のことと思うが、大事なことなので、いちおう引用しておく。
食鯨の習慣
畿内には中世以来、希少食材として鯨肉を食べる習慣があった (141頁)
関東以東では、房総半島の槌鯨漁場の周辺で干肉(タレ肉)として食べるのを例外として、戦後の食糧不足の時期を除けば、それほど鯨肉の嗜好はなかったようである (142頁)
そして著者は、畿内においても、鯨肉を多く食するようになるのは江戸期からだとしている。*6 *7
「鯨の無駄のない利用」と「商業捕鯨」との関係
西海漁場の突組は、当初は皮身を利用した鯨油生産がほとんどで、肉や骨は、油の取り方もわからず肉食としての需要も少なかったため、その大部分を海に捨てていたことになる。 (59頁)
明暦(1655~1658)の頃は、このような様子だったようだ。
鯨を全て無駄なく利用するという現象*8は、さらに後の時代の話である。 *9
大規模かつ恒久的な加工施設が、それを可能にしたのだが、その時代は捕鯨がだんだんと商業捕鯨の側面を大きくしてきた時代でもあった。*10*11
「鯨の無駄のない利用」と「商業捕鯨」との関係は、実は、こうしたものだったという。*12
ジョン万次郎と捕鯨
幕府に対しておこなった洋式突取捕鯨法の導入についての建議の中で、日本在来の捕鯨は人数が多い割に漁場は沿岸に限定され、利益に結びつかない現状を指摘し、少ない人数により遠洋でおこなう欧米の捕鯨法を導入すれば、今は外国船に奪い取られている日本近海の捕鯨による莫大な富が国内にもたらされるだけではなく、欧米の航海術を学ぶ機会としても益するものが大きいと説いた。 (121頁)
この建議をおこなったのは、ジョン万次郎である。
彼は、アメリカの捕鯨母船に乗り込んでいたので、アメリカ捕鯨業に詳しかった。
じっさい、小笠原近海で捕鯨もしている。*13
ただし著者によると、母船を用いた洋式突取捕鯨法は、結局、幕府が小笠原経営を放棄したこともあり、定着しなかった、とのことである。*14 *15
(未完)
- SmaSurf クイック検索
*1:著者は「潜伏/かくれキリシタン」の研究も行っており、それは「禁教期の潜伏キリシタンとそれを継承する現代のかくれキリシタンの信仰活動は、禁教前の宣教師の記録に表れているキリシタンの信仰活動と比べても大きな差異はない」という興味深いものである。http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018042202000181.html
*2:なお、現代日本の捕鯨問題については、こちらのBBCの記事https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35529672が、およその事実を伝えていると思われる。
*3:本書が重要なのは、この書評で取り上げた事実もそうなのだが、それ以上に、日本捕鯨協会とも仲の良い著者https://www.whaling.jp/isana/isana28.htmlですら、そうした事実は認めている、という点であろう。
*4:実際、https://togetter.com/li/977982にあるように、「明治以降の日本の捕鯨によって朝鮮のコククジラが絶滅に近い状態に追いやられていった」。
*5:渡邊洋之『捕鯨問題の歴史社会学』によると、コククジラが絶滅危惧にまで追い詰められたのは、植民地下の朝鮮半島の沿岸で日本の捕鯨船が大量に捕獲したためであるという(同書99頁)。コククジラが日本統治下の朝鮮半島においては、実質保護されていなかったことが、その背景にある(同書102頁)。以上、この註は、2020/2/5に追記した。
*6:その詳細については上記に述べたとおりである。
*7:・ウェブページ・『日本捕鯨協会』の「鯨食文化」の項目には、
江戸時代後期に出版された書物「鯨肉調味方」には70にも上る鯨の部位ごとに料理法が紹介されています。
とある。これは注意しなければならないが、この書物は、
江戸時代当時、益冨組の本拠地として文字通り「捕鯨の島」だった生月島では、様々な鯨料理が食されていました。益冨家は天保3年(1832)に、世界的にも珍しい鯨専門の料理書『鯨肉調味方』を制作
したもので、そうした捕鯨の地元だからこそ、「生の皮脂肉を薄く切って生醤油や煎酒、三盃酢につけて食べる刺身のような食べ方」も可能だったのである(『平戸市生月町博物館・島の館』の「生月学講座 No.087『鯨肉調味方』」https://www.hira-shin.jp/shimanoyakata/index.php/view/150 より引用。)。
そもそも「近世の鯨料理のほとんどは白皮を用いたもの」であって赤身ではない(宇仁義和「近世近代の鯨肉料理の使用部位と近代日本における鯨肉食の普及過程」https://ci.nii.ac.jp/naid/130007590288 )。以上、2020/10/8にこの項目について、追記・加筆を行った。
*8:これは、肉や髭や尾っぽの筋などをすべて利用し、捨てる部位がない、といった意味である。
*9:茶谷まりえは、次のように書いている(「提灯になったクジラ-海から山へもたらされたもの-」『民俗博物館だより』、通巻110号、2019年、http://www.pref.nara.jp/28994.htm )。
和歌山県の太地を拠点に組織的な捕鯨、いわゆる「古式捕鯨」がおこなわれるようになったのは江戸時代初期のことである。これは、人力の舟でクジラを湾に追い込み、銛で突いて捕獲するというものだが、漁に出る者だけでなく、肉を捌く・油を絞る・道具や舟を修理する・運搬する者など、実に多くの人々が関わる大規模な事業だった
以上、この註について2020/2/3に追記を行った。
*10:Amazonの書評にある、「とかく『完全利用』が喧伝される我が国の“伝統的な”鯨利用についても、実は古式捕鯨の前期にはもっぱら製油が目的で、欧米の捕鯨と同様、肉や内臓の多くが捨てられていた事を知って、驚くことになるかもしれない」とは、こうした事態を指すものであろう。
*11:また、「『当時(江戸時代前期(※引用者注記)流通した鯨製品としては、食用の塩蔵鯨肉もあるが、とくに灯油としての鯨油が大きな割合を占めたと考えられ、また細工物に使われる鯨鬚や筋などの需要もあった。』(くじら取りの系譜 136p) 」https://twitter.com/hydehydesan/status/646216815027159040
*12:著者・中園氏自身が登場する記事において説明http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/07.htmlされているように、「鯨油は農薬として九州諸藩に販売され、食用の部位は関門海峡を抜けて瀬戸内海沿岸や大坂に出荷されている。益冨組は手船(てぶね)と呼ばれる運搬船を保有し、行き来するなかでさまざまな物資も購入し、生月島に戻っていく。生産と流通を一体化した益冨組は現代の企業と変わらない、先進的な活動を行なっていた」と商業化はすでに江戸期において進んでいた。
*13:こちらのブログhttp://www.catv296.ne.jp/~whale/isana-toru-gyogu.HTMLでは、「幕末に漂流し、アメリカの捕鯨船長にまでなったジョン万次郎はこの銃を使い小笠原近海で捕鯨を行ない、 幕府に捕鯨で利益があがることを推奨したが失敗に終わった」と説明している。引用部の「この銃」とは、パーカッション式捕鯨銃を指す。
*14:2019/12/12追記:正確には、幕府が小笠原経営を放棄し、母船を用いた洋式突取捕鯨法は日本に定着せずに終わった、というのが著者の述べるところである(122頁)。誤解があるといけないので、正確な表現になるよう訂正を行った。
*15:もちろん幕府側も、別に政策的に捕鯨に消極的であったわけではなかった。後藤乾一によれば、
積極的な捕鯨奨励策の下で,幕府は文久 2 年 10 月 28 日付の中浜万次郎の上申書を受理した。それをふまえ幕府は,平野家の持船を買い上げ万次郎を船長とする壱番丸の出漁を命じ,翌文久 3 年1 月の小笠原諸島に向けての出帆となった
ということである(「ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島 : 幕末維新期の洋式捕鯨をめぐる一考察」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006368511 )。以上、この註については、2020/2/3に書き加えた。