軍事政権時のミャンマーと江戸幕府の面影 -高野秀行, 清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を読む-

 高野秀行, 清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(オリジナル版のほう)を再読。

 話題になった本なので、知っている人も少なくないはず。
 内容は、紹介文にある通り、「現代ソマリランドと室町日本は驚くほど似ていた! 世界観がばんばん覆される快感が味わえる」、「世界の辺境を知れば日本史の謎が、日本史を知れば世界の辺境の謎が解けてくる」という内容。
 面白い中でも特に面白かったところだけ*1

足軽は略奪集団

 足軽は略奪集団だったという説 (44頁)

 いうまでもなく、藤木久志の説である*2
 徳政一揆応仁の乱の間には全く起きていない。
 というのも、乱が続いている間は、略奪集団が足軽に姿を変えて京都を襲っていたからである。

 村からあぶれて食い詰めた連中のサバイバルだったという。

日本史とモノカルチャー経済

 江戸時代の飢饉の原因はずばりそれですよ (112頁)

 室町の人の方が江戸の人よりコメをたくさん食っていた可能性があるという。
 室町期は、銭での納税も可能だったが、江戸は米での納税となる。
 江戸はモノカルチャーであり、それが飢饉の原因につながった*3

出家の片道切符、出家の往復切符

 上座部仏教で出家するというのは、日本の場合とは比べものにならないくらい、ハードルが低い (133頁)

 還俗に対する批判は上座部仏教にはない。
 個人主義なので、いつ入って出てもいいのだという*4
 一方、日本中世では出家は片道切符である(戻れない)。

犬猫とインドとイスラーム世界

 犬がいる所には猫は怖がって出てこないんです。 (146頁)

 インドには犬はいるけど猫は外にいない*5
 猫はその場合家の中にいる。
 一方、トルコのようなイスラーム世界だと、犬の代わりに猫が外にいる*6

 犬はイスラームでは不浄の動物である*7
 居場所はどこかというと、汚い所にいるのだという。

中世史における翻刻

 今の若い中世史研究者はくずし字が読めなくてもそこそこの論文が書けます。 (169頁)

 中世の史料はおよそ活字になっているからである*8
 江戸時代の史料になると、活字にできないくらい膨大な量があるので、くずし字が読めないと研究できないという。

ミャンマーと幕府

 あの本を読んでよかったと思う人は、軍事政権時のミャンマーを肯定しなきゃいけないはず (206頁)

 渡辺京二『逝きし世の面影』の内容は、書かれている八割ぐらいは、「数年前」のミャンマーにも言えたのだという*9

 例えば、識字率の高さなどである。
 これはさすが、『ミャンマーの柳生一族』の著者らしい指摘である。

統治と薬物

 やっぱり支配者が言うことはどこでも同じ (211頁)

 シカゴのマフィアは、住民にヤクをやるな、トラブルを起こすなという*10

 警察沙汰になって商売にならなくなるためである。
 売人にも、ヤクを使わずにちゃんと売れ、と指導する。
 権力者は平和と秩序と勤労を求めるものである。

「敵に塩を送る」の実像

 江戸時代に生まれた伝説にすぎない (231頁)

 信玄が謙信に塩を送る話である。
 江戸期生まれであるという*11

自力救済と当事者主義、ゆえに「共同体」

 やっぱり個人では生きていけない社会だった (297頁)

 伊達の領国だと、盗みがあった場合は、被害者が自分で犯人を捕まえて突き出さないと裁いてはくれなかった。

 だが被害にあう弱い立場の人が、自力で被害者を捕まえることはほぼ不可能である*12*13

 親族や地縁の集まりで結束しないと対応できない社会だったのである。
 これが、16世紀の話である。

(未完)

*1:以下の引用部にはどちらの発言であるかはあえて書かない。いや、読めばどっちかすぐわかると思うのだが。

*2:小関素明「『新版 雑兵たちの戦場:中世の傭兵と奴隷狩り』 藤木久志著」は、

戦禍にさらされた村々においては、奴隷狩りとも言うべき人さらいや、富の略奪行為がなかば黙認されていました。なぜなら戦闘への従事に見合う恩賞が保障されていなかった雑兵にとっては御恩も奉公も武士道も関係なく、そうした戦場からの『戦利品』が生きていく上での大きな糧ともなっていたからです

と、かれらが略奪をする背景にも触れている。(国際平和ミュージアムだより VOL.17-1 2009年8月11日刊行 http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/publication/dayori09/dayori09.html ) 

*3:藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』(吉川弘文館、2018年。元は2001年に朝日新聞社より出版。)は、アマルティア・センや藤田弘夫を参照しつつ、室町期に既に村は自給自足しておらず、首都である京に食料等を供給すべくモノカルチャーであることを強制されていたので、凶作になるとまず生産地である村が飢餓に陥る、と説明している。

 これに対して、本書の著者の一人である清水克行は、『大飢饉、室町社会を襲う!』(吉川弘文館、2008年)において、複数の原因が考えられるとしつつ、原因としては、都鄙間の物価差と、それを利用して商売を行っていた農業者や商人たちの存在を特筆していた。当該書では、室町期がモノカルチャーであるか否かという点については特に言及していない。

 本書(『世界の辺境~』)において、清水は、江戸の飢饉の原因はモノカルチャー化だとしているが、室町期については、モノカルチャー化が原因の一つである可能性を認めつつも、証拠不十分としている(112、113頁)。

 以上、2020/5/9に加筆した。

*4:ただし、「スリランカでは、タイやビルマと違って、一度出家したら還俗は原則的に認められない」と、荒木重雄は述べている(「東南アジアに広がる上座部仏教の源流をスリランカ仏教にみる」http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E6%9D%B1%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AB%E5%BA%83%E3%81%8C%E3%82%8B%E4%B8%8A%E5%BA%A7%E9%83%A8%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81%E3%82%92%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AB%E3%81%BF%E3%82%8B  )。

*5:実際、インドでは野良犬は見かけたが、野良猫をみかけなかった、という報告が存在する(一般財団法人日本計測機器業連合会「インド計量計測機器市場・投資環境及び計量制度等調査報告書 no.109 2013年4月」http://www.keikoren.or.jp/material/publication/research/20130516.pdf )。

*6:ただし、「イスタンブルには野良犬や野良猫が多く、普段は広場周辺を我が物顔で闊歩している」、とイスタンブルはそれに該当しないようである(伊吹裕美「イスタンブル・レポート;2010~2011 年」https://core.ac.uk/download/pdf/71790109.pdf )。このことは、本書著者の一人・高野も指摘するところである。

 以上、2020/5/9に加筆した。

*7:しかし、アラン・ミハイルによると、イスラームの世界において犬が不浄な動物とみなされるのは近代からではないかという。実際エジプトのカイロでは、「オスマン役人はじっさい,食べ物や水を与えたり,犬に暴力を振るう者を罰するなどして犬の数を増やし,維持することを積極的に奨励した」。 

カイロの野良犬たちにとって日々の糧の源として最も重要だったのは,オスマン当局が提供する食べ物や水でもなければあちこちに彼らがいた街路で見つけることができた食べ残しでもなく,都市の数多くのごみ山だった。カイロはごみ山で有名であり,じっさい,カイロにはごみ山とそれが養っていた犬があまりに多く,世界中の都市にとってひとつの参照点とされるほどだった。

しかし、ごみ山が人の手で撤去されると、政府は野良犬は有害な潜在的な病気の媒介者であるとし、犬は追い出されることとなった。「犬の臭い,動き,そして排泄物は 1815年あたりまでのエジプトの人々にとってはまず問題ではなかったのだが,わずか数十年のうちに犬のこうした特性は,汚物と腐敗,堕落の主体として犬をエジプトから排除する事業の概念的な支柱として浮上してきた」。(以上、アラン・ミハイル「狡兎良狗の帝国 オスマン期カイロの街路における暴力と愛情」https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2019/04/vol21_article10.pdf を参照、引用した。)こうした犬がゴミ(残飯)処理を行っていたのは、江戸期の日本も同様である。詳細については、仁科邦男『伊勢屋稲荷に犬の糞: 江戸の町は犬だらけ』等を参照。

*8:本郷和人は、中世の史料について、

史料を読むという行為は、(ⅰ)自分で原史料の所在を捜索し、機会を捉えて閲覧し、解読困難なくずし字と格闘しながらデータを得る(主に戦前)(ⅱ)主要史料の多くが活字に翻刻され、読解とデータ蒐集が(ⅰ)に比べれば容易になる(戦後の昭和期)という過程を経て、今や(ⅲ)各種データベースが整備され、検索作業に工夫を施せば、キーワードなどをもとに必要なデータを簡便に入手できるというステージにある。

と、2008年時点で述べている(「15分で分かる日本中世史」https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/kazuto/new-up/15.html 初出は『人文会ニュース』103 2008.5)。2008年時点で述べている(二度書いた)。

 もちろん、あくまで主要なものだけであり、東寺百合文書の翻刻の場合、2018年時点で、歴彩館の方が出しているのは「第十三巻―リ函二・ヌ函一―」まで、東京大学史料編纂所の方が「東寺文書」として出しているのは「家わけ第十 東寺文書之十七: 百合文書れ之三・そ之一」となっている。先は長いのだ。

*9:なお、酒井邦彦は、「これから来るであろう目覚ましい経済発展の中にあっても、ミャンマーには、いつまでもこの国の誇るべき美徳を保ち続けていただきたい」として、ヤンゴンの佇まいの美しさ、国民の伸びやかな生活、明るさ、親切さなどを挙げ、江戸から明治にかけての日本との類似を指摘する。それも、渡辺京二『逝きし世の面影』を引用して行っている(「希望のミャンマーhttp://www.moj.go.jp/content/000112913.pdf 『ICDNEWS』第52号(2012年9月号)。

 2012年の文章とはいえ、随分と能天気な話であるが。もちろん酒井は、幕藩体制であった江戸の政治的側面(幕藩体制という軍事政権)には触れることはなかった。 

*10:julyoneone氏は、次のように書いている。

ギャングスター・ディサイプルズをはじめとするシカゴのストリートギャングは、長年にわたる抗争で築き上げた確固とした縄張りを持っている。/彼らはその中で麻薬取引を行うのみならず、住民たちに目を光らせ、彼らの様々な裏稼業から税金を取り立て、一種の互助組織としてふるまうこともある。/いわば彼らは不完全ながら地下経済を統制する「政府」であり、ヴェンカテッシュはその著書「アメリカの地下経済」「ヤバい社会学」においてはまさに「一日だけのギャング・リーダー」となることによって、この社会を見渡すことができたのである。

(「ニューヨーク・ストリートギャング/1970年代」https://julyoneone.wordpress.com/2018/05/07/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0-1970%E5%B9%B4%E4%BB%A3/ )

 つまり、シカゴのマフィア(ギャング)の場合、縄張りを持ち、住民の裏家業から金を徴収することで生計を成り立たせることで、「政府」として君臨している。住民や売人にヤクを禁じるのは、「政府」として当然のことであろう。それはギャングの「政府」ができなかったNYと実に対照的である。あちらはギャング自体が麻薬中毒者だというのだから。同じく、引用する。

実際、「ギャング・オブ・ニューヨーク」の序文は、固有名詞を置き換えたら、1980年代後半のNYにそのままぴったりと当てはまるのではないかと思われるところがある。/新旧のギャングを比較しての/「とはいえ…(中略)、彼らの方が危険なのだ。その大半が麻薬中毒者で、すぐに癇癪を起こし、引き金を引くからである」/との記述はまさに、クラックと金銭欲に取りつかれてテロリスト的犯罪を繰り返した1980年代のドラッグディーラーたちにふさわしい墓碑銘だろう。

 なお、julyoneone氏も、本書の著者の一人・高野も、スディール・ヴェンカテッシュの本を参照しているが、高野が『ヤバい社会学』を参照したのに対して、氏は『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』の方に批評的に言及している。

 以上、2020/5/9に追記した。

*11:「脚色された謙信公御年譜の記述が、武将感状記などに引用された可能性がありそうです」と、朝日新聞甲府総局記者・田中基之は、取材の結果をまとめている(「敵に塩を送る」本当にあった? 上杉謙信武田信玄、美談の真相は」https://withnews.jp/article/f0180717002qq000000000000000G00110601qq000017487A )。やはり江戸時代の生まれ、ということで専門家の見解は一致しそうである。 

*12:この件は、のちの清水の著書、『戦国大名と分国法』でも変わっていない。よそ様の書評のまとめによると、「当時の刑事事件は自力救済が基本で、例えばものを盗まれた場合でも、犯人を自ら捕縛して伊達家に突き出す必要がありました。一方、冤罪の疑いをかけられた者も、自らの無実を証明するための生口を連れてくる必要がありました」とのこと(「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」よりhttp://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52222246.html )。 

*13:なお、研究史的には、奥州は他地域に比べ「自力救済」の度合いが低いとする見解(小林清司ら)と、奥州でも村の自立は顕著に認められる、という見解(藤木久志ら)に分かれている。この件については、佐藤の論文・「『塵芥集』から探る奥羽の自力救済社会 : 他国法と比較して」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006543689 )の104頁を参照。

 以上、2020/4/3に、この註の追記を行った。