拝観制限がされると人気が下がる、開放されると人気が出る、というシンプルなメカニズム -井上章一『つくられた桂離宮神話』を読む-

井上章一『つくられた桂離宮神話』 (講談社学術文庫) を読んだ。(というか再読)

つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

 

 内容は、

著者は、タウトに始まる桂離宮の神格化が、戦時体制の進行にともなうナショナリズムの高揚と、建築界のモダニズム運動の勃興を背景に、周到に仕組まれた虚構であったことを豊富な資料によって実証する。社会史の手法で通説を覆した画期的日本文化論。

というもの。
 既に古典となった著作であるが、改めて読んでみた次第である。

 以下、特に面白かったところだけ。

モダニズムと一線を画すタウト

 コルピュジェ風の現代建築理解では、桂離宮のことはわからない。合理主義ではとらえきれないところに桂離宮の「精神的」な美があるという。モダニズム理念からの乖離はあきらかだろう。 (引用者略) 彼は、「実用性の立場」すなわち当時のモダニズムを「無趣味」だときめつけているのである。 (49頁)

 ブルーノ・タウトのスタンスは表現主義モダニズムに対して独特の立場を持つ。
 つまり、単なる合理主義ではとらえきれない点に美を見出したのである。
 じっさい彼は、桂離宮について「このやうな建築物は実に、究極の細緻な点が合理的には把握し得ないが故に古典的なのである。その美は全く精神的性質のもの」と書き残している。
 彼にとっては非モダニズム的な実用性、精神性が大事だったようなのである。*1

 タウトは「誤解され」るようになる。「機能」という言葉も、「功利的な有用性」をさすものとして「解せられた」。すなわち、モダニズムの理想を意味する言葉としてうけとめられたのである。 (65頁)

 「機能」という語についても、タウトの実際の意図は、モダニズム的解釈とは異なっていた。*2
「『すべてすぐれた機能をもつものは、同時にその外観もまたすぐれている』という私の命題は、しばしば誤解された。それというのもこの言葉が功利的な有用性や機能だけに局限されて解せられたからである」とタウトは文章の中で書いている。

モダニズムと戦争

 モダニズムの建築理念は、戦時体制のなかへとけこむようになる。 (引用者中略) 昭和初期には、モダニズムもまだまだそんなに強くはない。様式建築を奉じる旧派から、その台頭をおさえつけられている。しかし、戦時体制はこの状況を一変させた。様式建築の装飾過多が時代の流れにあわなくなってきたのである。モダニズムの前進をはばむものはこうして衰弱した。 (120頁)

 モダニズムは戦争(総力戦)に親和的だった。*3 *4
 こうした井上の見方は、のちの著作である『アート・キッチュ・ジャパネスク』等につながっていく。

人気の正体

 一九五〇年代の人気をもたらしたものの正体が読めてくるだろう。それは、けっして、モダニストやタウ卜による啓蒙のみに由来する人気ではなかった。基本的には、拝観制限の緩和にねざしていのである。 (245頁)

 インテリのほうならともかくも、一般人にとっては、拝観制限がされると人気が下がる、開放されると人気が出る、という単純なメカニズムで説明ができてしまうのである。*5  *6

 

(未完)

*1:田中潤は、

表現主義の文脈でタウトを研究した土肥美夫は、国際様式のモダニズム美学とタウトのそれとの間には、立場の相違がかなり明瞭に表れているとし、近代建築の主流からのタウトの逸脱を強調している

と述べている(「作り上げられた『ブルーノ・タウト』」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006713451 )。

*2:田中潤は、

彼にとって「機能」が指し示すのは、「有用性」とともに生活環境に結びついた「生物」(ein Lebewesen)なのである。また「機能」という語に関して、シュパイデルはタウトが建築と庭園の間の関係を単なる有用性の原理を超えて、暮らしの様式と結びついた特有な一連の機能の表現として考えたことを指摘している

と述べる(田中前掲)。タウトは実際はかなりオーガニックな建築思想を持っていた。

 松友知香子も次のように述べている(「ブルーノ・タウトの建築と色彩 : ベルリン近郊のタウト自邸を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005650721 )。

芸術的な美しさや特定の様式が優先されている住宅も大量生産するために規格化された住宅もタウトには批判すべきものであった。彼の理想の住まいとは,そこに住む人の生活に一致した環境であり,健全で根源的な思考 (Die gesundenurspringlichen Gedanken) によってはじめて創造されるものであるという。この自「あらゆる内的機能と外部への影響力を備えた全体として,つまり環境,庭,風景などを包み込んだもの」として示されるべきであった。これは具体的には,周辺の環境の諸要素が,住宅を構成するものとして強調されることを意味していた。この考えは、住宅の敷地への配置,住宅の外形および外壁の色彩,内部構造に至るまで反映されている

*3:例えば、タウト「批判」で名高い坂口安吾「日本文化私観」(初出1942年)というのは、完全にモダニズム的な思考であり、実はそうした点において、じつは戦争(総力戦)に親和的な議論ではあった、と言えるだろう。

 実際、著者・井上も『日本の醜さについて』(幻冬舎、2018年)において、安吾「日本文化私観」を批判し、その「戦時体制の旗振りめいた物言い」について言及している(194頁)。そして安吾が言及した「小菅刑務所」について、著者は、そこにドイツ建築の様式的な流れがあるとして、安吾の無知を批判している(201頁)。

*4:この箇所の表現について、表現の訂正と加筆とを行った。以上2022/7/31

*5:日中鎮朗は、井上の結論を次のように要約している(「ブルーノ・タウトの〈ニッポン〉 その受容と桂離宮理解」https://ci.nii.ac.jp/naid/120001645963 )。

離宮への編入、内国博覧会の開催、戦後における拝観制限の緩和である。これらは文化史的事件ではなく、官僚の手になる行政史上の出来事であるがゆえに「文化史として桂離宮を論じるさいには軽くあつかわれ」、当然、「ブルーノ・タウトの「発見」という文化史的なできごとのほうが大きくとりあげられる」のである

*6:ちなみに、タウトが批判的に評価した日光東照宮であるが、こちらの日本近代における評価の変遷については、内田祥士「昭和初期の建築史文献に於ける日光東照宮評価 : 近代に於ける日光東照宮評価」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110004836696 )が詳しい。ここにも、インテリと一般人、という受容の違いの構図が存在している。