相手のことは、期待されるほどには分かっていない (あと、女神ヴィリプラカについて) -ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?』を読む-

 ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?』(の2015年版)を読んだ。 

人の心は読めるか?

人の心は読めるか?

 

  内容は紹介文にある通り、

私たちは日々、相手の心を推測して生きている。ところが実は、もっとも近しい人の心でさえ、知らず知らずのうちに読み誤っていることが実験で明らかに。誤解や勘違いを引き起こす脳の“罠”を知っておけば、うまく人間関係を築き、人を動かすことができるはず。

というもの。
 お互い人の心は読めていない、ということを説く本。

 以下、特に面白かったところだけ。

相手のことは、期待されるほどには分かっていない

 さらに驚くのは、一緒にいる期間が長いほど、過信も強くなる点 (35頁)

 付き合っている期間が長いカップルほど、相手がわかっていると思う割合が高い。
 ところが、実験によると、付き合っている期間の長さと、検証する実験の検証結果 *1の間に、相関性はまったくないのである。
 相手のことは期待されるほどには分かっていない。
 相手の理解力への過大評価、カップルの多く(?)が別れてしまう原因はこの辺りにあるのか。*2

「偏狭な利他主義

 自爆テロリストは、かならずしも極貧家庭の出身ではない (93頁)

 自爆テロリストはみな貧困層出身とは限らない。*3
 そして、彼らは狂人でもない。
 家族があり子持ちの人もいる。
 親しい人を愛してもいる。
 彼らの行動は「偏狭な利他主義」からきている。
 すなわち、ひたすら自分の集団や大義名分に利することをしたいという思いに殉じている。*4

孤独と見神体験

 実験の一環として、一時的に孤独な状態に置かれているだけでも。人は、天から見守る神の存在を強く信じるようになる。 (134頁)

 聖フランチェスコらが、見えない神と対話するために、世間から隔絶された状態に自らを追い込むのも、偶然ではないという。*5

相手が自分がどう見ているのか、見抜く能力を上げる方法

 実験の三ヵ月後に自分の写真を見た人が持つ印象を予測してもらった (172頁)

 この場合は、自分の(相手に与えた)印象をかなり正確に言い当てたらしい。*6

 他人が自分をどう判断するのか、当日にではなくて、数ヶ月後に自分の写真が評価されると被験者に考えてもらうと、判断の精度が高まるのだという。

男女は共通点の方が多い、そりゃそうだ。

 たしかに違う点もあるが、共通点のほうが多く (206頁)

 男女差について。
 実は共通点の方が多い。
 思いやりがあって賢い人を男女ともに求めている、というのが著者の述べるところである。*7

交渉術の基礎:利害の共通点を探る

 交渉術の授業を受ける学生は、紛争を解決する秘訣は、相手の関心は自分と正反対ではないかもしれず、お互いの関心は、自分の理想以上に重なっているのかもしれないと認識することにあると学ぶ (211頁)

 こうした教訓を、著者は、中東戦争の時のイスラエルとエジプトのシナイ半島をめぐる交渉を例に挙げている。*8

お世辞の効果は大きい

 口先だけのお世辞がどこに行っても喜ばれる理由も、これでおわかりだろう。 (236頁)

 ある実験の結果である。
 被験者は自分に向けられた言葉は一字一句台本にのっとって読み上げられているだけだといくら頭でわかっていても、厳しいことを言う審査員よりほめてくれる審査員に好感を持つ。
 わかっちゃいるけど、やめられないのである。*9

夫婦喧嘩の収め方

 次に話す人は、最初に話した相手の言い分を繰り返してから、自分の意見を話すというものだ。 (277頁)

 夫婦の意見の違いの解決のために、このような手法が有効であるという。*10 *11

 

(未完)

*1:あるAMAZONのレビューでは、

カップルや夫婦に対し、一方に五択のアンケートを行い、もう一方にパートナーの回答を予測させると、当てずっぽうよりは良い精度(4割強)で当たるが、一方「自身が考える予測の正答精度」は8割超と大幅に過大評価している

と内容を手短に要約されるテスト。参照されたのは、Swann & Gillの手になる論文であり、これは、日本の博士論文などでも参照されている(武田美亜「他者からの理解に関する認知と現実のギャップに影響を及ぼす関係性要因の検討」https://ci.nii.ac.jp/naid/500000439267 )。

*2:もちろん、こうした欧米での検証を、そのまま日本で適用できるかどうかは、別途検証が必要である。それは、このテスト結果に限らない。じっさい、心理学的恋愛研究の分野でも、「無批判に欧米の理論や知見を取り入れ、日本での適用を確認するだけではなく、日本特有の恋愛現象・行動に着目した研究を行うこと」と課題を述べる論文も存在する(髙坂康雅「日本における心理学的恋愛研究の動向と展望」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005818803 )。まあ、今回のテスト結果は、日本でも当てはまりそうな気もするが。

*3:小野圭司は、 

テロ組織は経済的に裕福で高学歴といった階層からの参入者で構成されているという事実があるが、この点からもテロと貧困を結び付ける考えには批判的な傾向も存在する (引用者中略) むしろ裕福で高学歴であるという事実は、個人の選択においてテロヘの参加を促す要因であるという見方がある。例えばパレスチナでの自爆テロ実行犯のうち、貧困層出身者は 13%を占めるに過ぎない。そして 57%以上は、大学水準の教育を受けた者である。

と、自爆テロリストは、かならずしも極貧家庭の出身ではない事を例証している(「テロ予防手段としての政府開発援助」http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1282365 *註番号をのぞいて引用を行った。)。ただし、テロリストの発生要因と「貧困」そのものとが必ずしも相関していないわけではない旨を、小野は述べてもいる。詳細は、小野論文を参照。

*4:著者は、人類学者である Scott Atran の ”Talking to the Enemy” に基づいて述べている。

*5:ブログ・「忘却からの帰還~Intelligent Design」は、

University of Chicagoの行動科学のNicholas Epley助教授たちの研究によれば、「人は孤独だと、ペットや物を擬人化したり、神などの超自然を信じやすくなる」

という研究結果を紹介している。まあ、著者・エプリー氏の研究である。

*6:タイラー・コーエン「テレパスっぽくなる方法」(『経済学101』https://econ101.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%80%8C%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%80%8D/ )から引用する。

2010年に,ベン=グリオン大学のニコラス・エプリーとタル・エヤルが一連の実験結果を公表した.実験の目的は,対人・知覚知覚スキルを改善することだ.論文の題名は:「テレパスらしく振る舞う方法」(How to Seem Telepathic). (引用者中略) 分析の水準を調整してやれば,もっとずっと直観がするどくて正確なようにみせかけられる.ある研究では,他人が自分をどう認識するかの判断精度がある要因で高まった.判断する当日ではなくて,数ヶ月後にじぶんの写真が評価されると被験者に考えてもらったのだ.また,自己紹介の録音を数ヶ月後に聞いてもらうと考えてもらったときにも,同様の精度の変化が生じた (引用者中略) 数ヶ月後に判断されると想像するだけで,他人がなにげなく使いがちなのと同じ抽象的レンズに突如きりかわったわけだ

他人が自分をどう見ているのか、人はよくわかっていないが、こうした工夫をすることによって、ある程度改善ができるものなのである。

*7:この点については、既にほかのブログにて、引用されている(ブログ・”I'm Standing on the Shoulders of Giants.”より。http://extract.blog.shinobi.jp/Entry/5721/ )。

男女の性別を論じる人も,当然,1人の人間であり,私たちと同じく,共通点より違う点に注目してしまう。男女の共通性を論じることを提案した唯一の心理学者であるジャネット・ハイドは,性差に関する大規模な研究では,2つの性に驚くほど共通点があることが示されているにもかかわらず,それらを引用した二次研究では,男女のステレオタイプを定義づける小さな違いのほうに焦点が当てられてしまう,と指摘する。

ちなみに、ジャネット・ハイドは、”Men are from earth, women are from earth. The media vs. science on psychological gender differences. ”で、ある賞を受賞している。これは、日本でも翻訳されたジョン・グレイの『Men are from Mars, Women are from Venus』(邦題は『ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール』)のもじりである。

*8:これは交渉術にかかわる学問では有名なケーススタディーのようである。以下、松浦正浩「都市計画とまちづくり11 交渉と合意形成のテクニック -家庭生活からまちづくり,国際紛争まで―」(https://www.mmatsuura.com/research/pdfs/sokuryo-200210.pdf )から引用する。

両国は長年紛争状態が続いていた(第三次中東戦争)。 (引用者中略) 当時の米国大統領 カーターは,イスラエル,エジプト双方の利害に着目した調停に乗り出 した。イスラエル,エジプトともに「シナイ半島はわが国の領土」という立場であるが,前者の利害は「エルサ レムの防衛」であり,後者の利害は「プライ ドの満足」である。調停の結果,シナイ半島の領有権はエジプトに返還されたが,シナイ半島を非武装地帯 とする合意が結ばれた。イスラエルは攻撃される不安を解消でき,エジプトは領土を奪還でき,お互い満足できたということである。

以上のような内容になっており、第四次中東戦争がすっ飛ばされている点の類似性を見ると、松浦が扱った元ネタ(テキスト)は、おそらく、本書『人の心は読めるか?』と同じものと思われる。(本書には、出典は書かれていないが、松浦自身が挙げている(https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/10060101.html )、Fisher & Ury の『ハーバード流交渉術』(日本語題。日本での初版は、TBSブリタニカ、1982年)あたりが元ネタだろうと思われる。)

 なお、実際にはキャンプ・デーヴィッド合意へ至る交渉がもっと混み入っていた点について、鈴木啓之パレスチナ被占領地における政治活動の発展:キャンプ・デーヴィッド合意(1978年)と揺れ動く地域情勢」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110009830858 )等を参照願う。

*9:ところで、他者をほめる、ということについては、日本の心理学分野でも当然研究の蓄積はある。例えば、小島弥生は、

結果は仮説の一部を支持し、直接ほめ言葉を聞かされる場合よりも第3者から相手のほめ言葉を伝え聞く場合の方が、ほめ言葉やほめ行動を肯定的に認知することが示された。

というように、褒め言葉は第三者を迂回して聞く方がより嬉しくなるものであることが、小島の研究およびその先行研究でも明らかであるようだ(「相手と状況がほめ言葉の受けとめ方に与える影響」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005772397 )。

*10:このアイデアは、心理学者のハワード・マークマンのものだという。

 ここで思い出されるのは、ローマのかの女神である。以下、『神魔精妖精辞典』より引用する(https://myth.maji.asia/amp/item_viripuraka.html )。

ローマの神で夫婦喧嘩の守護女神。ローマにはごく些細な事まで守護神が存在したが、ヴィリプラカはその一人である。ローマ人は夫婦喧嘩の収拾がつかなくなった場合、二人してヴィリプラカの祀ってある祠に向かう。この祠には祭司などが居るわけでもなく、女神の像が置いてあるだけだが、祠の前では一つの約束事がある。それは一人が喋っている間、決してもう一人は喋ってはいけないというものだ。この約束事により、それぞれ大きな声で自分の意見を主張し、その間もう一人は冷静に相手の意見を聞くことが出来る。

出典は、『西洋神名辞典』となっている。

 もしかしたら、相手の言い分を繰り返す、復唱する必要は、ないのかもしれない。

*11: 女神ヴィリプラカについては、もう少し書いておきたいことがある。出典の問題である。実は、『西洋神名辞典』の参考文献を確認すると、塩野七生ローマ人の物語』第一巻が載っている。おそらくこれがこのヴィリプラカの項目の出典ではないかと考えられる。なぜなら、過去に日本で出版された、『ギリシアローマ神話辞典』や『ギリシアローマ神話事典』などには、一切ヴィリプラカ女神について記載がないからである。

 では塩野は何を参照したのか。塩野が参照したのはヴァレリウス・マクシムスと思われる。じっさい、『ローマ人の物語』第一巻の参考文献にヴァレリウス・マクシムスの名を塩野は挙げている(あれを参考文献と呼称してよいのかは、わからないが。特に日本語文献の表示について。)。

 塩野以前に日本で、ヴィリプラカについて紹介されたことがある。柚木馨「ヘッカー初期ローマ法に於ける女子の権利(一)」(『法学論叢』第十五巻二号、1926年)には、「ウァレリウスマキシムス」に依拠して、「ヴィリプラカ女神」の礼拝堂で感情を披瀝すると、ケンカしていた夫婦も怒りを捨て去り、元の仲に戻る、との記述がある(109頁)。しかし、「祠の前では一つの約束事がある~」云々は書かれていなかった。

 するとこう考えられる。元ネタであろうヴァレリウス・マキシムスの著作には、「祠の前では一つの約束事がある~」云々は書かれていない、あるいはさほど言及されていないのでは、と。

 実際のところ、ヴァレリウス・マクシムスは何と書いていたのか。原文(Wikipediaではこの件についてドイツ語版が一番詳しい。面倒なので、これを参照した。
https://de.wikipedia.org/wiki/Viriplaca )で該当するのは、” ibi inuicem locuti quae voluerant ”であり、お互いの心の中にあるものをすべて交代で吐き出す、といった意味である。あくまでも、交代で話すということを述べているのみである。(この点について、 Robert Kaster の Emotion, Restraint, and Community in Ancient Rome をも参照したことを断っておく。)

 以上のことから、「祠の前では一つの約束事がある~」は、塩野自身の考えに基づくものか、もしくは、塩野が依拠した別に外国語文献に載っている事柄ではないか、と考えられる。これは、別に原文に反してはいないが、若干創作気味ではないかと思われる。