連綿と受け継がれてきた、『源氏物語』へのおっさんたちの愛(ラブ) -島内景二『源氏物語ものがたり』を読む-

 島内景二『源氏物語ものがたり』を読んだ。

源氏物語ものがたり (新潮新書)

源氏物語ものがたり (新潮新書)

  • 作者:島内 景二
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/10/01
  • メディア: 新書
 

  内容は、紹介文の通り、

なぜ源氏物語は千年もの長きにわたって、読者を惹きつけてきたのか?本文を確定した藤原定家、モデルを突き止めた四辻善成、戦乱の時代に平和を願った宗祇、大衆化に成功した北村季吟、「もののあはれ」を発見した本居宣長…。源氏物語に取り憑かれて、その謎解きに挑んだ九人の男たちの「ものがたり」

という内容。
 源氏狂いのおっさんたちの物語、読み応えがある。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

世界最古(?)の長編物語

 確かに源氏物語は長編だが、もっと長い作品は世界各国にある (17頁)

 源氏は世界最古の長編物語、ではない。
 例えば、『うつほ物語』は分量は源氏の3/5だが、源氏より20、30年は古い。*2 *3

帝王学としての『源氏』

 なぜなら、そこには理想の政治家の条件が書かれているからである (118頁)

 いつかきっと、平和をもたらしてくれる理想の政治家が出現する。
 そう信じて、宗祇は『源氏』等の研究に励んだ。*4
 「和」の精神を体現した政治家に導かれ、民も自分の居場所を与えられ喜びにあふれ、家族でも楽しい夫婦関係や親子関係が営める、そうした社会を願ったのである。

平和を希求する『古典』

 宗祇が、古今伝授の系譜の中で重要な位置を占めるのは、彼ほど平和を渇望した文学者がいなかったからである (119頁)

 「古今伝授」は、世の平和を呼ぶために為政者に必要な心がけを『古今』や『源氏』などの古典から学ぶことを目的とする。*5
 平和を待望する古今伝授の儀式は、戦乱の世の間も続いた *6

心のさびを落とすための『源氏』

 だから、源氏物語を読むべきだ、と宣長は言う (187頁) 

 平和になった江戸期。
 しかし、身分社会で、自分の置かれた状況がこれ以上好転することもない。
 どう生きていったらいいか。
 人生は苦しく、努力してもうまくいかない。
 北村季吟のような成功者は少数でしかない。
 また、人は日々の暮らしに埋没して、喜びや悲しみや怒りに鈍感になって、感情が錆びついている。
 そこで源氏物語である。
 これを読めば心の錆を落とせる。
 そう、宣長は考えた。*7
 帝王ではない者のための『源氏』を見出したのである。

 「もののあはれ」もまた、人生論読み、あるいは教訓読みの一種だったのだ。 (190頁) 

 宣長自身は、しいて言うなら「もののあはれを知れと教える」教訓が源氏だと述べている。

すでに先を越されていた

 宣長が自分だけの正解と思いこんだ中には、とっくの昔に「箋」が指摘していることが、ままある。 (136頁)

 三条西実隆の孫である実枝も源氏の解釈を行った。それが中院通勝『岷江入楚』に「箋」という書名で取り込まれている。

 宣長は、『玉の小櫛』において、過去の解釈は誤りであり、自分だけが正しい解釈に到達したのだ、というふうに宣言していた。*8

 しかし宣長は、自分の解釈が、すでに先人によってなされていたことを知らなかったようなのである。
 宣長は結果的に、車輪の再発明を行うこととなった。

居場所はどこだ

 世の中はいづれかさして我がならむ行きとまるをぞ宿と定むる (198頁)

 『源氏物語』(の「夕顔」)に出てくる、古今和歌集の一首である。*9 *10 
 広い世の中のどこかに自分の本当の居場所があると思うな、たまたま寝れる場所があるのなら、そこがあなたの居場所だ、と。

 

(未完)

*1:本書に出てくるのは、紫式部を除けば、ほぼ男性である。もちろん、著者・島内景二も男性である。

*2:ちなみに、著者によると、やはり『源氏』の文体は『うつほ』よりも文体的に難しいらしい(「森鴎外と『源氏物語』--近代文学の始発を見届ける」https://ci.nii.ac.jp/naid/110000491082 173頁)。やはりそうなのか。

*3:なお、『うつほ』こそ世界最古の長編文学というのは、須永朝彦編『日本幻想文学全景』(1998年)も述べるところである(18頁、当該箇所の執筆も須永による。)。

*4:宗祇の講義内容とはどのようなものだったのか。その例について、著者(島内)の講演をもとに、伊藤無迅は次のように書いている(「島内景二先生 近世の源氏文化と詩歌(その2)」http://www.basho.jp/ronbun/gijiroku_6th/6th_3.html )。

これは宗祇が、源氏学で最も重要視したと言われている帚木巻の「雨夜の品定め」を踏まえた一節です。「雨夜の品定め」が、重要視されたのは、この中で女性の優劣を競っていることでは決してありません。それは人間を見る眼というものを、光源氏や頭中将に左馬頭(ひだりのうまのかみ)が教えているからです。つまり政治家として、なくてはならない「人間を見る眼」を、教えていることが重要なのである。このように宗祇以来力説して来ているわけです。つまり「和」の思想です。宗祇は、人間関係を上手に成立させるには何が大切か、ということを考え「雨夜の品定め」を重要視したのです。

今の読者には無茶な解釈に読めるだろうが、当時の『源氏』は「和」に寄与する「実学」として、用いられる必要があったのである。

*5:こうした見方は人口に膾炙しているようで、三島市の「歴史の小箱」第157号にも、

なべて世の 風を治めよ 神の春 戦乱の嵐が吹きすさぶ室町時代三嶋大社の社前で、神の力によりその嵐を治め、平和の春の到来を願う気持ちが込められた句。

と書かれている(以下のURLを参照。https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn000076.html )。

*6:なお、こうした宗祇のような解釈の源流はおそらく中国に存在する。釜谷武志陶淵明 〈距離〉の発見』には、次のようにある。

しかし、『詩経』所収の詩三〇五篇すべてのはじめに付けられた「小序」とよばれる解説文では、詩制作のいきさつを説明する際に、男女間の関係を君主と臣下の関係に置き換えて解釈しようとする。 (17頁)

詩経』の国風に含まれる詩は、普通に読めば男女の恋愛感情を歌っている。それを引用部のように君臣関係のように解釈したのである。この小序は漢代に今の形になったのだろう、と著者の釜谷武志は述べている。

*7:具体的には、どんな形で心のさびを落とせると考えたのだろうか。大久保紀子は次のように述べている(「歌を詠むことによって「心がはれる」とはどのようなことか : 本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』を手がかりに」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005606264 )。

現実の世界ではゆるされない、歌によって作り出された虚構の世界でこそのたわむれなのである。 (引用者中略) そうしたたわむれを歌は可能にし、二人は現実を離れた虚構の世界を楽しみ尽くして、心をはらすのである。 (引用者中略) おもしろいのは、このように解釈することによて、歌のたわむれの世界から、舞台がくるりとまわるように一転して、現実の世界にひきもどされている点である。 

大久保の論の重心は歌にあるが、これは虚構全般についても比較的似たことが言えるだろう。『源氏』を読むことで、虚構の世界を楽しみつくし、一転して、現実の世界に引き戻される事を経験する。現実逃避のためでなく、現実に向き合うために虚構が必要とされるのである。

*8:ちなみに、宣長源氏物語講釈の「聞書」(聴講者が書き残した記録)には、「過去にでた注釈に出てきた注は誤り」というたぐいの文言が、刊行された『玉の小櫛』に比べて明らかに多かったという(山崎芙紗子「聞書と注釈書の間 本居宣長源氏物語講釈」
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007807879 、
170頁)。やはり自分の解釈にはかなり自信があったのだな、宣長は。

*9:この一文について、明らかな書き間違いがあったので、2021/3/17に訂正を行った。

*10:粗末な住居を見た光源氏が、しかし、古今和歌集の一首を連想して、この粗末な住居も立派な御殿も、けっきょく仮の宿にすぎない点では同じことだ、と思う場面である。なお、この歌がネタ元であるというのは、はるか昔の『源氏釈』が指摘したところであるという(http://obaco.web.fc2.com/long/GENJI/GENJI_1/comment/c04-01.html )。