ハーレクイン・ロマンスから、ブック・クラブまで、文学を搦手から攻める -尾崎俊介『ホールデンの肖像』を読む-

 尾崎俊介ホールデンの肖像』を読んだ。

ホールデンの肖像―ペーパーバックからみるアメリカの読書文化

ホールデンの肖像―ペーパーバックからみるアメリカの読書文化

 

  内容は紹介文にある通り、

ペーパーバック研究から横滑りして、ハーレクイン・ロマンスから、果てはブック・クラブ事情へ “日本エッセイスト・クラブ賞”受賞・アメリカ文学者による縦横無尽のビブリオ評論&エッセイ。

というもの。
 米文学を搦手から攻める良書。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

映画向けに削除版を売る

 この種の削除版にも少しはメリットがあったのかも知れない (18頁)

 小説が映画化された場合、映画にする分内容を縮めてしまう。
 なので、映画をみてから原作を読む読者を面食らわせてしまう可能性があった。
 そこで、古き良きアメリカン・ペーパーバックの黄金時代には、映画版に合わせて原作をところどころカットしてしまうことが、しばしばあったという。
 もちろん作者にしてみれば、たまったもんじゃないが。
 たとえば、1948年のペーパーバック版『アンナ・カレーニナ』は、大幅な削除版である。*2
 しかも、この本はベストセラーになったようだ。

ロマンス小説は女性の味方

 ロマンスという文学ジャンルが、その決して短くない歴史の全期間を通じ、一貫して「女性の味方」だった (86頁)

 膨大なロマンス小説が、ヒロインのもとにいつか必ず白馬の騎士がやってきて、ヒロインの悩みや不幸は結婚ですべて解消する、というワンパターンなメッセージを繰り返し発信し続けた。
 これにより、各時代の過酷な現実に直面して意気阻喪した女性たちを励ましていった。
 そのことを著者はポジティブに見ている。
 ロマンスは麻薬というか痛み止めなのだ、といったところであろうか。*3

戦争をよそに

 現代もののロマンス小説の中で戦争が描かれることはきわめて少なく、それゆえ兵士がヒーローとなるロマンスも少ない (92頁)

 ロマンス小説はある程度の期間をおいて再販されることを前提にしている商品だというのが、その理由である。
 また、ロマンス小説というのは、基本的に「逃避文学」なので、現実は必ずしも直視しない。
 ゆえに、ビートや怒れる若者の時代だった1950年代には、ロマンス小説では「ドクター・ナースもの」が流行っていたのである。*4

それじゃあ物足りない

 「ベータ・ヒーロー」の誕生である。 (164頁)

 1990年代になると、ヒロインを翻弄したり蹂躙したりする横暴で謎めいたタイプの「アルファ・ヒーロー」は登場しにくくなる。*5
 その代わりに、ヒロインの心に敬意を払い、親切に接するような礼儀正しいヒーロー、すなわち「ベータ・ヒーロー」が登場する。
 しかしながら、読者には、こういうヒーローは、物足りないところがあるという。*6
 ロマンス小説では、偉ぶった男性が最終的には女性にへりくだって愛を求める、という女性による「征服」的エンディングで終わるのが定番だが、「ベータ・ヒーロー」だと、物足りなくなるそうだ。
 「攻略」し甲斐がないからであろう。

女性たちのブッククラブ

 では何について語り合うのかというと、作品にかこつけて、ブッククラブのメンバーの一人ひとりが自分のことを語るのである。 (244頁)

 米国における女性たち中心のブッククラブについての話である。
 そこで行われる文学作品に対する議論はどこがいいのか悪いのか、なぜよいのか悪いのか、という分析ではない。
 こういうのは、男性が良くやる談義であろうが、女性たちの場合それとは別の傾向にある。
 どの登場人物に共感できるか。
 それが、女性たちのブッククラブで良く使われるディスカッションテーマなのである。
 登場人物に自己投影して、そこから自分の過去をとうとうと語る。

 これによって、自分の人生、自分自身についての理解を深めることを目的にしている(245頁)。

 そして、ブッククラブで読まれるのは、そうした自己投影がしやすい小説ばかりになり、主人公が女性か、脇役に女性が多い、登場する女性の多くが中産階級以上、下品な場面がない、などの条件で選ばれる傾向にあるという。
 これを文学研究的には邪道と思う人もいようが、しかし、これは歴史的に連綿と続いてきた文学受容の一つのかたちであることは間違いないのである。*7

 

(未完)

*1:著者は、最近は自己啓発文学を研究しているようだ。個人的には、「アメリ自己啓発本出版史における3つの『カーネギー伝説』」とか、「コピペされ、拡散されるエマソン」とかが面白かった。

*2:1948年版の映画『アンナ・カレーニナ』はアメリカではなくイギリス製作のもので、アメリカでは、20世紀フォックス社が配給して各地で上映された。ちなみに、淀川長治は、クレタガルボ主演の映画版(1935年)よりも、ヴィヴィアン・リー主演の映画版(1948年)に軍配を上げている(『映画好きなら一度は観ておきたい!淀川長治総監修クラシック名画解説全集3』参照)。まあ、わかる。

*3:

この文学ジャンルを研究する場合,その内容の希薄さを批判するだけでは不十分であることは明らかであろう。現代文化の一側面と位置づけた上での,あるいは女性学の視点も採り入れた上でのロマンス小説研究がなされない限り,ロマンス小説という文学ジャンルそのものの存在意義が,研究者の手をすり抜けて「逃避」してしまうことは避けられないのである。

と著者自身はのべている(「後ろめたい読書--女性向けロマンス小説をめぐる「負の連鎖」について」https://ci.nii.ac.jp/naid/120001030303)。

*4:

ハーレクイン社が積極的に北米大陸に導入しようとしたロマンスのジャンルがあります。それは病院を舞台に医師と看護婦の間で育まれる恋を描いたロマンスです。一般に「ドクター・ナースもの」と呼ばれるヤツ。イギリスでは1950年代にこの手のロマンスが流行していたんですね。 (引用者中略) 1958年には16冊、2年後の1959年には34冊のミルズ&ブーン・ロマンスをハーレクイン社はペーパーバック化して出版していますが、これらのほぼすべてがドクター・ナースものでした。で、実際、これが北米で、とりわけアメリカ市場で、馬鹿受けだったんですね。かくして1950年代末から60年代にかけて、アメリカ中の女性が白衣のロマンスの虜になるんです。

以上は、著者自身のブログより引用した(「ロマンス小説史 (2)」https://plaza.rakuten.co.jp/professor306/diary/200509150000/ )。

 Michael Smith の "Nurses and Doctors, Oh My!" - The ACE Books “Nurse Romance” series (の概要)によると、

This was especially true since between the close of the Second World War and into the early 1950s the only career options available for women with a modicum of education were secretarial work, banking, teaching, and nursing – a situation that continued nearly unchanged until the mid-1970s. In particular, nursing was considered a prestigious profession, requiring a capable and intelligent young woman who had the heart to dedicate her life to caretaking…unless, of course, she met a husband (Ryan, 2008). Eventually the “nurse romance” fell out of favor by the mid- to late 1970s.

とのことである(https://www.researchgate.net/publication/282878317_Nurses_and_Doctors_Oh_My_-_The_ACE_Books_Nurse_Romance_series )。このジャンルが流行った背景がなんとなくわかる。

 あと、念のため述べておくが、ハーレクイン社はカナダの会社である。

*5:アルファ・ヒーローについて、著者は次のように説明している(「吸血鬼を「ロマンス」する ヴァンパイア・ロマンスtwilightについての一考察」https://ci.nii.ac.jp/naid/120002852383 )。

パワフルなアルファ・ヒーローがハイ・ティーン、もしくは20 代前半といった年頃の可憐なヒロインを散々に弄ぶといった内容のロマンス小説が、この時期のロマンス小説の定番となっていたのである。何故なら、このようなアルファ・ヒーローであっても、ロマンス小説の登場人物である限り、いずれ自分の身勝手な行動を深く反省し、最終的にはヒロインの前に跪いて彼女の愛を乞うことになるわけで、この「横暴で謎めいた男」から「へりくだった求愛者」への劇的な変貌が、ロマンス小説の主要ファン層である女性読者にとっては、たまらない魅力と映ったからである。

*6:ベータ・ヒーローについて、著者は次のように説明している(同上)。

ロマンス作家の側でも自粛傾向が強まったこともあり、1990 年代あたりからアルファ・ヒーロー的なキャラクターは大衆向けロマンス小説の世界から姿を消し始め、これと入れ替わりに、ヒロインの人格と心情に敬意を払い、彼女に対して常に親切に接するような、礼儀正しいヒーローが登場することが多くなってきた。“anti-macho” にして “politically correct” な存在、いわゆる「ベータ・ヒーロー」の誕生である。

これじゃあ、エンディングも物足りなくなるわけである。いうなれば、猛獣を「調教」するような快楽なのだから。

*7:北村紗衣は、「英文学の読解ではこうしたキャラクター中心の批評(「性格批評」などと呼ばれます)は伝統的に女性が活躍していた分野で、一方で古くさい手法として軽視されていたフシがあった」のだが、「性格批評は最近、上演研究やフェミニスト批評、大衆文化研究などの影響もあり、人気を取り戻しています。これを考えると、登場人物について語り合う女性たちの読書会は、19世紀以来の性格批評の伝統を思いの外よく保存しているように見えます」とのことである(「読書会に理屈っぽい男は邪魔? 女性の連帯を強める読書会の歴史を探る」https://wezz-y.com/archives/35823 )。

 こういう性格批評は、どこか歴史上の人物(武将とか)に対する批評でもよく見るような気がするが、それについては、また機会を改めて書くことにしたい(*たぶん書かない)。

相手のことは、期待されるほどには分かっていない (あと、女神ヴィリプラカについて) -ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?』を読む-

 ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?』(の2015年版)を読んだ。 

人の心は読めるか?

人の心は読めるか?

 

  内容は紹介文にある通り、

私たちは日々、相手の心を推測して生きている。ところが実は、もっとも近しい人の心でさえ、知らず知らずのうちに読み誤っていることが実験で明らかに。誤解や勘違いを引き起こす脳の“罠”を知っておけば、うまく人間関係を築き、人を動かすことができるはず。

というもの。
 お互い人の心は読めていない、ということを説く本。

 以下、特に面白かったところだけ。

相手のことは、期待されるほどには分かっていない

 さらに驚くのは、一緒にいる期間が長いほど、過信も強くなる点 (35頁)

 付き合っている期間が長いカップルほど、相手がわかっていると思う割合が高い。
 ところが、実験によると、付き合っている期間の長さと、検証する実験の検証結果 *1の間に、相関性はまったくないのである。
 相手のことは期待されるほどには分かっていない。
 相手の理解力への過大評価、カップルの多く(?)が別れてしまう原因はこの辺りにあるのか。*2

「偏狭な利他主義

 自爆テロリストは、かならずしも極貧家庭の出身ではない (93頁)

 自爆テロリストはみな貧困層出身とは限らない。*3
 そして、彼らは狂人でもない。
 家族があり子持ちの人もいる。
 親しい人を愛してもいる。
 彼らの行動は「偏狭な利他主義」からきている。
 すなわち、ひたすら自分の集団や大義名分に利することをしたいという思いに殉じている。*4

孤独と見神体験

 実験の一環として、一時的に孤独な状態に置かれているだけでも。人は、天から見守る神の存在を強く信じるようになる。 (134頁)

 聖フランチェスコらが、見えない神と対話するために、世間から隔絶された状態に自らを追い込むのも、偶然ではないという。*5

相手が自分がどう見ているのか、見抜く能力を上げる方法

 実験の三ヵ月後に自分の写真を見た人が持つ印象を予測してもらった (172頁)

 この場合は、自分の(相手に与えた)印象をかなり正確に言い当てたらしい。*6

 他人が自分をどう判断するのか、当日にではなくて、数ヶ月後に自分の写真が評価されると被験者に考えてもらうと、判断の精度が高まるのだという。

男女は共通点の方が多い、そりゃそうだ。

 たしかに違う点もあるが、共通点のほうが多く (206頁)

 男女差について。
 実は共通点の方が多い。
 思いやりがあって賢い人を男女ともに求めている、というのが著者の述べるところである。*7

交渉術の基礎:利害の共通点を探る

 交渉術の授業を受ける学生は、紛争を解決する秘訣は、相手の関心は自分と正反対ではないかもしれず、お互いの関心は、自分の理想以上に重なっているのかもしれないと認識することにあると学ぶ (211頁)

 こうした教訓を、著者は、中東戦争の時のイスラエルとエジプトのシナイ半島をめぐる交渉を例に挙げている。*8

お世辞の効果は大きい

 口先だけのお世辞がどこに行っても喜ばれる理由も、これでおわかりだろう。 (236頁)

 ある実験の結果である。
 被験者は自分に向けられた言葉は一字一句台本にのっとって読み上げられているだけだといくら頭でわかっていても、厳しいことを言う審査員よりほめてくれる審査員に好感を持つ。
 わかっちゃいるけど、やめられないのである。*9

夫婦喧嘩の収め方

 次に話す人は、最初に話した相手の言い分を繰り返してから、自分の意見を話すというものだ。 (277頁)

 夫婦の意見の違いの解決のために、このような手法が有効であるという。*10 *11

 

(未完)

*1:あるAMAZONのレビューでは、

カップルや夫婦に対し、一方に五択のアンケートを行い、もう一方にパートナーの回答を予測させると、当てずっぽうよりは良い精度(4割強)で当たるが、一方「自身が考える予測の正答精度」は8割超と大幅に過大評価している

と内容を手短に要約されるテスト。参照されたのは、Swann & Gillの手になる論文であり、これは、日本の博士論文などでも参照されている(武田美亜「他者からの理解に関する認知と現実のギャップに影響を及ぼす関係性要因の検討」https://ci.nii.ac.jp/naid/500000439267 )。

*2:もちろん、こうした欧米での検証を、そのまま日本で適用できるかどうかは、別途検証が必要である。それは、このテスト結果に限らない。じっさい、心理学的恋愛研究の分野でも、「無批判に欧米の理論や知見を取り入れ、日本での適用を確認するだけではなく、日本特有の恋愛現象・行動に着目した研究を行うこと」と課題を述べる論文も存在する(髙坂康雅「日本における心理学的恋愛研究の動向と展望」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005818803 )。まあ、今回のテスト結果は、日本でも当てはまりそうな気もするが。

*3:小野圭司は、 

テロ組織は経済的に裕福で高学歴といった階層からの参入者で構成されているという事実があるが、この点からもテロと貧困を結び付ける考えには批判的な傾向も存在する (引用者中略) むしろ裕福で高学歴であるという事実は、個人の選択においてテロヘの参加を促す要因であるという見方がある。例えばパレスチナでの自爆テロ実行犯のうち、貧困層出身者は 13%を占めるに過ぎない。そして 57%以上は、大学水準の教育を受けた者である。

と、自爆テロリストは、かならずしも極貧家庭の出身ではない事を例証している(「テロ予防手段としての政府開発援助」http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1282365 *註番号をのぞいて引用を行った。)。ただし、テロリストの発生要因と「貧困」そのものとが必ずしも相関していないわけではない旨を、小野は述べてもいる。詳細は、小野論文を参照。

*4:著者は、人類学者である Scott Atran の ”Talking to the Enemy” に基づいて述べている。

*5:ブログ・「忘却からの帰還~Intelligent Design」は、

University of Chicagoの行動科学のNicholas Epley助教授たちの研究によれば、「人は孤独だと、ペットや物を擬人化したり、神などの超自然を信じやすくなる」

という研究結果を紹介している。まあ、著者・エプリー氏の研究である。

*6:タイラー・コーエン「テレパスっぽくなる方法」(『経済学101』https://econ101.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%80%8C%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%80%8D/ )から引用する。

2010年に,ベン=グリオン大学のニコラス・エプリーとタル・エヤルが一連の実験結果を公表した.実験の目的は,対人・知覚知覚スキルを改善することだ.論文の題名は:「テレパスらしく振る舞う方法」(How to Seem Telepathic). (引用者中略) 分析の水準を調整してやれば,もっとずっと直観がするどくて正確なようにみせかけられる.ある研究では,他人が自分をどう認識するかの判断精度がある要因で高まった.判断する当日ではなくて,数ヶ月後にじぶんの写真が評価されると被験者に考えてもらったのだ.また,自己紹介の録音を数ヶ月後に聞いてもらうと考えてもらったときにも,同様の精度の変化が生じた (引用者中略) 数ヶ月後に判断されると想像するだけで,他人がなにげなく使いがちなのと同じ抽象的レンズに突如きりかわったわけだ

他人が自分をどう見ているのか、人はよくわかっていないが、こうした工夫をすることによって、ある程度改善ができるものなのである。

*7:この点については、既にほかのブログにて、引用されている(ブログ・”I'm Standing on the Shoulders of Giants.”より。http://extract.blog.shinobi.jp/Entry/5721/ )。

男女の性別を論じる人も,当然,1人の人間であり,私たちと同じく,共通点より違う点に注目してしまう。男女の共通性を論じることを提案した唯一の心理学者であるジャネット・ハイドは,性差に関する大規模な研究では,2つの性に驚くほど共通点があることが示されているにもかかわらず,それらを引用した二次研究では,男女のステレオタイプを定義づける小さな違いのほうに焦点が当てられてしまう,と指摘する。

ちなみに、ジャネット・ハイドは、”Men are from earth, women are from earth. The media vs. science on psychological gender differences. ”で、ある賞を受賞している。これは、日本でも翻訳されたジョン・グレイの『Men are from Mars, Women are from Venus』(邦題は『ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール』)のもじりである。

*8:これは交渉術にかかわる学問では有名なケーススタディーのようである。以下、松浦正浩「都市計画とまちづくり11 交渉と合意形成のテクニック -家庭生活からまちづくり,国際紛争まで―」(https://www.mmatsuura.com/research/pdfs/sokuryo-200210.pdf )から引用する。

両国は長年紛争状態が続いていた(第三次中東戦争)。 (引用者中略) 当時の米国大統領 カーターは,イスラエル,エジプト双方の利害に着目した調停に乗り出 した。イスラエル,エジプトともに「シナイ半島はわが国の領土」という立場であるが,前者の利害は「エルサ レムの防衛」であり,後者の利害は「プライ ドの満足」である。調停の結果,シナイ半島の領有権はエジプトに返還されたが,シナイ半島を非武装地帯 とする合意が結ばれた。イスラエルは攻撃される不安を解消でき,エジプトは領土を奪還でき,お互い満足できたということである。

以上のような内容になっており、第四次中東戦争がすっ飛ばされている点の類似性を見ると、松浦が扱った元ネタ(テキスト)は、おそらく、本書『人の心は読めるか?』と同じものと思われる。(本書には、出典は書かれていないが、松浦自身が挙げている(https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/10060101.html )、Fisher & Ury の『ハーバード流交渉術』(日本語題。日本での初版は、TBSブリタニカ、1982年)あたりが元ネタだろうと思われる。)

 なお、実際にはキャンプ・デーヴィッド合意へ至る交渉がもっと混み入っていた点について、鈴木啓之パレスチナ被占領地における政治活動の発展:キャンプ・デーヴィッド合意(1978年)と揺れ動く地域情勢」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110009830858 )等を参照願う。

*9:ところで、他者をほめる、ということについては、日本の心理学分野でも当然研究の蓄積はある。例えば、小島弥生は、

結果は仮説の一部を支持し、直接ほめ言葉を聞かされる場合よりも第3者から相手のほめ言葉を伝え聞く場合の方が、ほめ言葉やほめ行動を肯定的に認知することが示された。

というように、褒め言葉は第三者を迂回して聞く方がより嬉しくなるものであることが、小島の研究およびその先行研究でも明らかであるようだ(「相手と状況がほめ言葉の受けとめ方に与える影響」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005772397 )。

*10:このアイデアは、心理学者のハワード・マークマンのものだという。

 ここで思い出されるのは、ローマのかの女神である。以下、『神魔精妖精辞典』より引用する(https://myth.maji.asia/amp/item_viripuraka.html )。

ローマの神で夫婦喧嘩の守護女神。ローマにはごく些細な事まで守護神が存在したが、ヴィリプラカはその一人である。ローマ人は夫婦喧嘩の収拾がつかなくなった場合、二人してヴィリプラカの祀ってある祠に向かう。この祠には祭司などが居るわけでもなく、女神の像が置いてあるだけだが、祠の前では一つの約束事がある。それは一人が喋っている間、決してもう一人は喋ってはいけないというものだ。この約束事により、それぞれ大きな声で自分の意見を主張し、その間もう一人は冷静に相手の意見を聞くことが出来る。

出典は、『西洋神名辞典』となっている。

 もしかしたら、相手の言い分を繰り返す、復唱する必要は、ないのかもしれない。

*11: 女神ヴィリプラカについては、もう少し書いておきたいことがある。出典の問題である。実は、『西洋神名辞典』の参考文献を確認すると、塩野七生ローマ人の物語』第一巻が載っている。おそらくこれがこのヴィリプラカの項目の出典ではないかと考えられる。なぜなら、過去に日本で出版された、『ギリシアローマ神話辞典』や『ギリシアローマ神話事典』などには、一切ヴィリプラカ女神について記載がないからである。

 では塩野は何を参照したのか。塩野が参照したのはヴァレリウス・マクシムスと思われる。じっさい、『ローマ人の物語』第一巻の参考文献にヴァレリウス・マクシムスの名を塩野は挙げている(あれを参考文献と呼称してよいのかは、わからないが。特に日本語文献の表示について。)。

 塩野以前に日本で、ヴィリプラカについて紹介されたことがある。柚木馨「ヘッカー初期ローマ法に於ける女子の権利(一)」(『法学論叢』第十五巻二号、1926年)には、「ウァレリウスマキシムス」に依拠して、「ヴィリプラカ女神」の礼拝堂で感情を披瀝すると、ケンカしていた夫婦も怒りを捨て去り、元の仲に戻る、との記述がある(109頁)。しかし、「祠の前では一つの約束事がある~」云々は書かれていなかった。

 するとこう考えられる。元ネタであろうヴァレリウス・マキシムスの著作には、「祠の前では一つの約束事がある~」云々は書かれていない、あるいはさほど言及されていないのでは、と。

 実際のところ、ヴァレリウス・マクシムスは何と書いていたのか。原文(Wikipediaではこの件についてドイツ語版が一番詳しい。面倒なので、これを参照した。
https://de.wikipedia.org/wiki/Viriplaca )で該当するのは、” ibi inuicem locuti quae voluerant ”であり、お互いの心の中にあるものをすべて交代で吐き出す、といった意味である。あくまでも、交代で話すということを述べているのみである。(この点について、 Robert Kaster の Emotion, Restraint, and Community in Ancient Rome をも参照したことを断っておく。)

 以上のことから、「祠の前では一つの約束事がある~」は、塩野自身の考えに基づくものか、もしくは、塩野が依拠した別に外国語文献に載っている事柄ではないか、と考えられる。これは、別に原文に反してはいないが、若干創作気味ではないかと思われる。

バリはいかにして「創られた」のかを解き明かす、古典的名著 -永渕康之『バリ島』を読む-

 永渕康之『バリ島』を読んだ。 

バリ島 (講談社現代新書)

バリ島 (講談社現代新書)

 

 内容は、紹介文にもあるように、

「神々の島」「芸術の島」は、いかにして生まれたのか。バリ、バリ、ニューヨークを結んで織りなされた植民地時代の物語をたどり、その魅力の深層に迫る

という、バリはいかにして「創られた」のかを解き明かす内容。
 すでに古典に近い本だが、やはり面白い。*1 *2

 以下、特に興味深かったところだけ。

植民化とカースト

 バリをヒンドゥー的社会ととらえて統治を開始した地方政府は、カーストこそバリ文化に根ざす社会体制の基盤であるとみなし、現地人官吏に貴族階層の人々を独占的に指名した。 (56頁)

 実際には、植民地時代が始まる以前には称号を持たない人々も政治的な役職に多数ついていたにもかかわらず、である。
 オランダの現地地方政府は上記のような政策をとった。
 現地の貴族階層の人々はそうした植民地政府の立場を擁護したのである。*3
 植民地政府の意向をかさに着て伝統の名で自らの特権的立場を正当化した貴族階層、といったところであろうか。

「黄金文化」と植民地統治の正当化

 植民地政府は、古典ジャワ文化を「黄金文化」とみなすことで自らの支配を正当化した (146頁)

 黄金文化の「退廃」した結果が現在のイスラム的世界であり、現地人は「堕落」した人間である、とする論理を、植民地政府はとった。
 ゆえに、黄金文化を復興しうる学識を持つオランダ人が責任を以て統治しないといけない、と理屈づけたのである。*4

コバルビアスの二面性

 この矛盾は『バリ島』の記述に大きな問題を投げかけている。 (192頁)

 マンハッタンでイラストレーターとして活躍していたメキシコ人ミゲル・コバルビアスの話である。
 彼は、1930年代にバリを幾度も訪れた経験をもとに、『バリ島』を出版する。
 そして、ニューヨークにバリ島ブームを起こし、その後のバリ島イメージの形成に寄与した。
 コバルビアスは、バリにおける観光などの商業主義の拡大を、著作の中では文明の侵略と攻撃している。
 だが、その一方、マンハッタンに帰るとバリのイメージを用いた商品を自ら積極的に売り出してもいたのである。
 そこにミゲル・コバルビアスという人物の魅力と矛盾があったのである。*5 *6

 

(未完)

*1:その他、バリ島関連の論文で特に面白かったのは、梅田英春の論文「バリ島西部ププアン村に伝承される大正琴を起源とする楽器マンドリン」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006596244 )で、どうやら華人商人たちによって広まったようである。

*2:ところで、お気づきになったであろうか。先の紹介文、本当は「バリ、パリ、ニューヨーク」という風に表記せねばならなかったはずであることを!!! 

*3:井口由布と近藤まりは、本書を参照しつつ、

永渕によれば,バリにおけるカースト制度は古くからの伝統というよりは植民地時代に再構成されたものであるという.オランダの植民地支配以前,バリのカースト制度は地域によってまちまちでたいへん複雑であった.オランダ植民地政府はその支配に都合の良いようにカースト制度を統合して単純化した.

とまとめている(「劇場ホテルにおける観光文化の形成 : インドネシアにおけるリゾートホテルの調査をとおして」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009500425 )。そして自身の研究を

フロント・オフィス・マネージャーの例からわかるのは,植民地制度によって再構成されたカースト制度が,グローバリゼーション時代の近代的な組織の中でまた新たに意味を与えられて改変されていることである.

と規定している。なかなか興味深い論文なのでぜひ。

*4:菅原由美は、

当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)の統治も、最も人口が多いジャワが中心であった。ジャワ語文献研究は、オランダ人エリート植民地官僚の必修科目であった。しかし、彼らの興味の対象は、イスラーム化する以前の、ヒンドゥー・仏教王国時代のジャワ語文献であった。オランダ人はイスラームをジャワ文化の表層としてしかとらえず、イスラーム文献研究にはほとんど手がつけられなかった。イスラーム流入以前のジャワを、「真」のジャワとする考え方は、オランダ人研究者からインドネシア人研究者にも引き継がれ、戦後も長い間この研究傾向は続いた

と述べている(「インドネシア写本研究最前線」(『生産と技術』Vol.69, No.1、2017年)http://seisan.server-shared.com/69-1-pdf.html )。ジャワの黄金文化、という言説は、植民地統治の方便というだけではなく、半ば本気で信じられていたのかもしれない。

*5:著者は別に寄稿した記事で、次のように述べている(「ジャズあるいはジャンゲールの挑発──統治者を模倣するバリ人」http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/909/)。

コバルビアスにしても最終的にはジャンゲールの狂気をあたらし物好きのバリ人を語る事例として解決してしまっている。つまり、新奇なものを「同化」して自らの伝統的形式に取り入れ、「文化のバリらしさをけっして失わない」バリ人たちの芸術への態度を物語っているのがジャンゲールだというのである。伝統と呼ばれる象徴体系に勝利を与え、未開の文化に文明の失った精神性の可能性を求める当時勃興期にあった民族誌というジャンルに参入したコバルビアスにとって、この最後の解決はやむをえなかったのかもしれない。

著者の当該記事は、この引用部以降も面白いので是非ご一読をどうぞ。

*6:コバルビアスは、軍国主義時代の日本に関して、次のようなイラストも描いている。
https://yajifun.tumblr.com/post/7196209980/printsandthings-the-japanese-single-1942 

題名は大仰だが、リスト凄いってのはよくわかる。 -浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』を読む-

 浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』を読んだ。 

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)

  • 作者:浦久 俊彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/12/14
  • メディア: 単行本
 

  内容は紹介文のとおり、

リサイタルという形式を発明した「史上初のピアニスト」フランツ・リストは、音楽史上もっともモテた男である。その超絶技巧はヨーロッパを熱狂させ、失神する女たちが続出した。聴衆の大衆化、ピアノ産業の勃興、スキャンダルがスターをつくり出すメカニズム…リストの来歴を振り返ると、現代にまで通じる十九世紀の特性が鮮やかに浮かび上がってくる。音楽の見方を一変させる一冊。

という内容である。
 リストは音楽もスゴイし、それ以外もすごい、ということがよくわかる。*1
 まあ、タイトルは大仰だが。

 以下、特に面白かったところだけ。

サロンは慈善も行った

 芸術家の支援だけでなく、慈善活動も行ってきた芸術・社会福祉財団ともいえる存在だった (50頁)

 この当時、サロンが援助したのは、芸術家個人のみではなかった。
 サロンは、チャリティーコンサートやバザーなども行っていたのである。*2

リストも慈善

 動くメセナ活動ともいうべき、慈愛に満ちた芸術振興への功績 (99頁)

 リストの慈善活動についてである。
 ハンブルクでは、市立劇場の管弦楽奏者のための年金基金を創設している。
 また、ケルンでは大聖堂建立のために、ケルン開催の演奏会の収益の多くを寄付している。
 その他、訪れた街で例外なく、学校や教会、孤児院などに多額の寄付をおこなっている。*3

ピアノ・ソロリサイタルのパイオニア

 ピアノ・リサイタルは、リストによって発明された。 (100頁)

 ショパンでさえ、生涯一度もソロコンサートは開催していない。
 当時のコンサートは、ひとつの公演で、ピアノあり、歌曲あり、室内楽ありという、混合型だった。
 当時は、交響曲などの複数楽章からなる楽曲は、別の曲をはさんだり、一部のみしか演奏しないことも普通にあったのである。*4

ピアノ曲の古典を復興

 最もましなピアニストでさえ、モーツァルトハイドンが、ピアノ曲を書いていることさえ知らない。 (105頁)

 メンデルスゾーン1830年ミュンヘン音楽界の状況に対する言葉である。*5
 そんな状況で、リストは、バッハやモーツァルトベートーヴェンシューベルトといった古典を頻繁に演奏した。
 彼は、他人が作曲した楽曲だけで演奏会のプログラムを組んだ最初のピアニストでもある。

 

(未完)

*1:ちなみに、木下由香によると、日本でのリスト受容は、

大正期には、なぜか彼のロマンスに関する記事が目に付き、ヘルムが次のように言っている―「確かに、リストの栄光や、音楽史上の位置は、このような女性問題とは全く関係ない。しかしおそらく、当時の彼の〈知名度〉とは、少しは関係しているかも知れない。初めて書かれる伝記では、すべての事実を記載すべきであり、作者の捉え方になじまないからといって、重要なことを省いてしまっては意味がないのである。リストの人生において、女性は本質的なものであった」。

というような伝記(スキャンダル先行)的な感じだったらしい(「日本におけるフランツ・リストの受容 : 明治・大正期の音楽雑誌を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006488887 )。

*2:未読ではあるが、福田公子『19世紀パリのサロン・コンサート―音楽のある社交空間のエレガンス』(北星社、2013年)には、 「サロン・コンサートの中には慈善演奏会も存在し、ロッシーニが曲目として大人気だったという記述」があるようである(http://www.robo.co.jp/product/book/19salon/index.html )。また、米澤孝子によると、

当時貧しい人々や孤児や未亡人の為の募金活動としての慈善コンサートが頻繁に行われていたが、出来るだけ沢山の基金を集めるため、そのプログラムはより多くの人々の趣向に合わせるため、さらに雑多な選曲で構成されていた

とのことである(「ファニー・ヘンゼルの『日曜音楽会』の考察 : 19世紀前半のベルリンの音楽環境に照らし合わせて」https://nagoya.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=25274&item_no=1&page_id=28&block_id=27 )。フランツ・リストが活躍した時代の一側面を知るうえで、ためになる論文ではないだろうか。

*3:上田泰史は、

気前良すぎるほど寛大で、予見できない先々のことは全く考えず、すべての不運な芸術家に広く奨学金を与え、不幸な人ならだれでも援助の手を差し伸べ、慈善活動や芸術的企画には真っ先に出資し、王や――時には小市民のように振舞う――大貴族の如く、気前よく振る舞う。そんなリストは、芸術の進歩と不運に見舞われた芸術家の慰藉に、数え切れないほどの演奏会で集めた相当な金額の大部分を捧げた。

と述べている(「19世紀ピアニスト列伝 フランツ・リスト 第9回(最終回):御前演奏と慈善活動」http://www.piano.or.jp/report/02soc/19memoirs/2016/10/18_21859.html  )。

*4:中野真帆子によると、

ヨーロッパにおけるロマン派の時代は、コンサートの運営がサロンや慈善演奏会から音楽ホールや市民組織による音楽団体主催の定期演奏会へと移行し、内容も数人の賛助出演者を招いてさまざまな楽器の組み合わせによる曲目を無秩序に並べるだけのコンサートから、単一楽器による統一の取れたプログラムで構成されるリサイタル形式が誕生して、作曲家と演奏家が分離していく過程に在りました。

という、狭間の時期だったという(「パリ発 ショパンを廻る音楽散歩 08.シャイヨ通り74番地/ピアノ・リサイタルの誕生」http://www.piano.or.jp/report/04ess/prs_cpn/2008/08/01_7545.html )。
 また、リサイタルについても、

1839年3月8日に「音楽のモノローグ(独白)」と名付けた史上初めての自作単独演奏会をローマで開き、翌年の1840年6月9日にロンドンのスクエア・ルームズで、告知に英語のリサイタル(独奏)という用語を史上初めて用いた自作自演の単独コンサートを開きました。

と、リストの功績について述べている(同上)。リストすごい。

*5: ヴィルヘルム・フォンレンツ『パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代 』に対するAMAZONレビューには、「モーツァルトが時代遅れと見なされていたことや、ベートーヴェンソナタは1840年代までは初期の曲と月光・熱情くらいしか弾かれなかったことなど、当時の音楽事情が書かれている」との言葉も見える。

 また、西原稔は次のように述べている(「楽譜出版を通してみる19世紀ピアノ音楽 その1 ピアノの19世紀」http://www.piano.or.jp/report/02soc/nshr_19th/2007/10/12_7480.html )。

18世紀はあれほどの人気を得ていたピアノ・ソナタが、1830年を過ぎると、劇的に表舞台から去っていきます。もちろんそれ以前からピアノ・ソナタは次第に人々の関心から遠のきつつありましたが、1830年頃に劇的にピアノ音楽の種類が変化していきます。ピアノ・ソナタに代わって多くの人々が熱中したのは、「音楽総合新聞」の新譜案内記事にも示されているように、ワルツやエコセーズ、クァドリールなどの舞曲、そして有名なオペラのアリナなどの旋律の編曲、また、有名なアリアの旋律や親しみやすい旋律を主題とした変奏曲でした。つまり、ピアノ文化の到来は、ポピュラー音楽の到来でもあったのです。

これはピアノ・ソナタの例であるが、リストが先人の古典のピアノ曲を演奏しようとした背景にあったのは、こうした「ポピュラー音楽」化が進む時代風潮だった。

鹿鳴館のイスラム様式から、モダニズムと軍国主義の関係まで -井上章一『現代の建築家』を読む-

 井上章一『現代の建築家』を読んだ。

井上章一 現代の建築家

井上章一 現代の建築家

  • 作者:井上 章一
  • 出版社/メーカー: ADAエディタトーキョー
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本
 

 内容は紹介文の通り、

明治に生まれ、モダニズムの波を越えて、現代に至る日本の建築家たち。日本の自我は、どのように建築や都市にあらわされてきたか。建築家のあゆみを、社会のありようから考える、画期的な日本近代化論としても読める一冊

である。
 アマゾンレビューにもあるように、安藤忠雄評価が割と高いが、安藤については今回は取り上げない。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

鹿鳴館イスラム様式

 鹿鳴館にインド・イスラム風の形がまぎれこんでいることは、あまり知られていない。 (49頁)

 コンドル作の鹿鳴館の話である。
 二階の正面ベランダにイスラム様式の形が見て取れる。*2
 コンドル、伊東忠太、タウトが、いずれも「オリエント」な様式に行きついたことが、本書で言及されている。

媚びと威張り

西洋にたいしては、エキゾティシズムをくすぐり媚を売る。だが、東アジアにたいしては、西洋化をなしとげたかのような姿で、いばって見せた。 (227頁)

 博覧会の日本館は、以上のような帝国の姿勢を垣間見せた。
 西洋で開かれる万博ではエキゾティックにふるまう(19世紀末のシカゴ万博の「鳳凰殿」が特に有名だろう)。
 その一方、東アジアの植民地では、総督府はモダニスム建築だった。
 1933年の満州博覧会の日本館は当時の現代的な様式だし、1940年の朝鮮大博覧会でも、日本館は、モダンな造りであった*3。 
 片方に媚び、片方に威張っていたのである。

モダニズム軍国主義

 日本趣味へ手をそめた建築家に、こういう文句をのこした者は、ひとりもいない。当時は、モダニストのほうが、より好戦的にふるまった。 (253頁)

 帝冠様式等に関する話である。
 実際、分離派の瀧沢真弓は、1934年に、「日本精神はあの軍人会館の様式に存るのではなく、あのわが海軍の軍艦の様式にある」と述べている(94頁)。
 著者は、日本趣味へ手をそめた建築家よりも、前川国男の方がよほど当時の臣民と軍国主義を分かち合っていると述べている。*4

関東大震災をきっかけに

 大阪の漫才という芸能が、たとえばこのころに首都圏へもちこまれている。 (355頁)

 関東地方は、大阪の笑芸は受け入れてこなかった。
 だが、関東大震災のあとのラジオ放送は、関西弁の「お笑い」を流し出す。*5 *6
 同じく、料理についても、関西風の味付けも、同じころに東京へ押し寄せている。*7

 

(未完)

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*1:安藤については、飯島洋一『「らしい」建築批判』を超えるような感想がまだ思いつかないので、何か思いついたら書くかもしれない。

*2:河東義之は、コンドル設計の旧岩崎邸について、

洋館内部で注目されるのは,一階の婦人客室にイスラム風の意匠が用いられていること,また日本の火灯窓をあしらったような意匠もみられ,このあたりはコンドルの日本文化の研究,あるいは西洋と日本との間のイスラム様式を比較的早くから日本に提案していたことの現れであると言われています。

と述べている(「コンドルと邸宅建築- 生活文化史を視野に入れて-」https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4948&item_no=1&page_id=30&block_id=97 )。イスラム様式というのは、コンドルにとって、「西洋と日本との間」、「西」と「東」をつなぐ建築様式であった。

*3:前者については、『満州大博覧会案内』(1933年)に、建物の姿が載っている。詳細は、ブログ・「古書 古群洞」の記事https://kogundou.exblog.jp/22920202/ の画像を参照。その特徴は、同博覧会の「土俗館」(満州諸民族の生活文化を示すような品が展示された)の建物と比較すればわかりやすい。「土俗館」については、山路勝彦「満州を見せる博覧会」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110006484720 )に、その写真が載っている。

*4:松隈洋『建築の前夜 前川國男論』に関するスライドによると、「前川國男『日誌』に記された言葉」は、以下の通り(https://www.aij.or.jp/jpn/design/2019/data/2_1award_009.pdf(PDF) )。

「建築新体制について大東亜戦は史代転換の戦争にして日本は世界に対してその担当者たるの責任をもつ今茲に世界史の形而上学的原理の上より之を見る時は自然中心の古代 神中心の中世 人間中心の近代とに分つ事を得べし今日近代史の終焉として茲に大東亜戦争の世界史的意義を見る時今日本の闢く新しき史代の原理は何であるか、此の原理を真実在として生き抜かるべき形而上学的原理は何であるか二千年の西欧的各史代の有った諸原理の裡に形而上学的有的世界の一切がすでにつくされたるを見る時茲に新しき原理は無の世界に見出されねばならぬ此の原理を中心に統一秩序をもった生活文化の相を新秩序と呼ぶ。そして此の文化の支柱により国家の倫理が確立され国家の独立が顕彰されるかうした生活文化の確立がそれに相応しい建築の母胎である」1942年1月18日

なんか、近代の超克みたいなことを言っている。以前書いた「日本的国際法」云々の者たちと異なるのは、前川がいちおう戦後の建築界で確たる成功を収めたところである。
 モダニスト軍国主義の関係については、以前、井上の『つくられた桂離宮神話』に関するレビューで言及したことがある。

*5:後段の料理の件も含め、これは井上のデビュー作『霊柩車の誕生』からずっと言ってきたことである。実は「帝冠様式」についても、既にこのデビュー作で持論を述べていたはずである。

*6:ただし、逆に関東大震災で、東京から三代目柳家小さんらが関西に移住・巡業したりしているので、相互交流という面も、なくはない(『こちらJOBK NHK大阪放送局七十年』(日本放送協会、1995年)53頁)。なお、同書によると、ラジオが上方ことばを変えたという。例えば、当時は録音機材の性能が悪く、マイクに乗りやすい声や楽器の音になるよう工夫する必要が生じたという。また、芸の内容も、昔は「墨字の芸」(毎回ごとに味わいが変わる)だが、今は「活字の芸」(毎回同じ調子)になったと菊原初子が証言しているようだ(同頁)。

*7:なお、関東大震災後、関西料理が関東に進出した当初は、東京人には関西風の昆布出汁や淡口醤油は不評だったようである(奥村彪生「料理屋の料理」(高田公理編『料理屋のコスモロジー』(ドメス出版、2004年))70頁)。

新約聖書における、「救済」と「自責」に関する一考察(ってほどでもない) -田川建三『宗教批判をめぐる』を読む-

 田川建三『宗教批判をめぐる 宗教とは何か〈上〉』を読んだ。

宗教批判をめぐる―宗教とは何か〈上〉 (洋泉社MC新書)

宗教批判をめぐる―宗教とは何か〈上〉 (洋泉社MC新書)

 

 内容は紹介文のとおり、

人間はなぜ宗教を生み出し維持してしまうのか? 著者の問題意識は鮮明である。人間のいとなみの中から、「宗教」と呼ばれる部分だけを抜き出してきても、宗教を生み出してしまう人間の実態を知ったことにはならない。我々にとって必要なことは、宗教として知ることではなく、何故、どのようにして、人間が宗教を生み出し、維持してしまうかを知ることである。護教的立場とは無縁な場所から宗教学者・作家などの所説を逐一批判することで、いわゆる宗教性を解体する。

という内容。
 数ある宗教批判の書の中でも、かなり刺激的な本ではないだろうか。*1

 以下、特に面白かったところだけ。*2

ザイールでのピグミー差別

 「田川さん、ピグミーを見ましたか。人間でもないし、猿でもない、あんなおかしなのはない。ザイールを離れる前に是非一度見に行って来るといいですよ」 (96頁)

 ピグミーも、すでに白人侵略者が大陸を侵略する前から、周囲のアフリカ人によって、いびられてきた。
 上記の引用部は、あるアフリカ人学生の言葉である。*3
 著者がその文章でいおうとしているのは、現在いる「原始人」がかつての人類の姿をそのまま保存している、と考える論者に対しての批判であるが、それはここでは詳しく論じない。

遠藤周作と「疑似宗教的イデオロギー

 遠藤が読者大衆におもねって言いつのり続けたきざな疑似宗教的イデオロギーにすぎない (204頁)

 どんな裏切りでも愚劣さでも無力さでも、まとめて許して肯定していただけるありがたい「論理」を遠藤周作は説くが、それは聖書とはまるで関係ないイデオロギーだ、と著者は述べている。
 ここら辺を論じていくと、聖書における救済の問題に行き着く。*4 *5

感情の切り替え?

 資料からは、イエス死後の弟子たちが裏切りの自責の念にさいなまれたなどということは、まったく推定できない。 (238頁)

 ペテロについては、裏切った直後には後悔して泣いた、と記されているが、イエス死後には、ペテロが裏切りの卑劣さに自責の念を以て苦しんだという記述はないのである。*6
 まあ、単に書き忘れなのかもしれないし、古代人は心の切り替えが早いだけなのかもしれないが。
 しかし注意すべきことであるのは間違いない。

 

(未完)

*1:いつになったら下巻のレビューを書くのかは、現段階では未定である。

*2:今回は取り上げなかったが、特に、「『知』をこえる知 宗教的感性では知性の頽廃を救えない」の章が、身もふたもなくて好きである。この章は、教育出版の教科書『精選 現代文B』にも載ったようで、その編修趣意書には、

近代が「知性」に頼り招くことになった諸課題を「感性」によって克服することはできず,善悪両面の影響力を洞察する「真の知性」をもつことが必要という文章

とある(参照:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/tenji/1385385.htm )。つまるところ、前近代では「知性」をも担っていた宗教は、近代になると「知性」は科学が担い、宗教は「感性」だけを担うこととなったが、そんな「感性」だけになった「宗教」に、どの程度近代の諸課題が克服できるんじゃい、というような内容である。 

*3:ピグミーおよびバボンゴ・ピグミーの(差別/被差別の)相違について、児玉由佳は松浦直毅『現代の〈森の民〉』を紹介する記事のなかで、次のように言及している(「資料紹介: 松浦直毅『現代の〈森の民〉 中部アフリカ、バボンゴ・ピグミーの民族誌』」https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2013_07.html )。

先行研究では、ピグミーが狩猟採集活動から農耕へと生業の軸足を移していく過程で、農耕民によるピグミーへの差別が強まる傾向にあることが指摘されてきた。しかし、バボンゴの場合は、頻繁な交流を通して近隣の農耕民と友好的な経済的・社会的紐帯を形成することで、差別の拡大ではなく、より対等に近い関係を築いている。本書は、その要因について、経済的関係だけでなく、社会制度や言語の共有、彼ら独特の儀礼のもつ政治的・社会的権威など、さまざまな側面から検討している。

そして、前者のピグミーの差別について、松浦直毅は、次のように先行論文をまとめている(「ガボン南部バボンゴ・ピグミーと農耕民マサンゴの儀礼の共有と民族間関係」(2007年)https://ci.nii.ac.jp/naid/130000730469 )。

ピグミーと農耕民の関係は,農耕民社会がもつ社会的カテゴリーを際だたせるヒエラルキカルな共存の論理(竹内,2001)や「不平等」イデオロギー(塙,2004)にもとついている場合には不平等なものになる。もともと社会経済的な格差が小さい場合でも,商品経済化や国家によるピグミー蔑視の政策という外部世界の影響によってピグミーと農耕民は差異化され,両者の格差が顕在化する(寺嶋,2002)。農耕民の社会制度や外部世界の影響がピグミーと農耕民の不平等な関係に結びついて
いるのである。

興味深いことと思ったので、ここで引用・紹介する次第である。興味のある方は是非ご一読を。 

*4: ただし、遠藤周作の描いたキリスト(教)像と、パウロの救済思想と間に類似性をみる意見が存在する。例えば、青木保憲は次のように述べている(「神学書を読む(9)『沈黙』と共鳴するキリスト教の犠牲批判 青野太潮著『パウロ 十字架の使徒』」https://www.christiantoday.co.jp/articles/23047/20170118/koredake-ha-yondemitai-theological-books-9.htm )。

『沈黙』では、このカトリック的な思考に潜む欺瞞(ぎまん)を暴き出し、真に神を信じる者として生きるとはどういうことかについて問い掛け、司教はカトリック信仰を捨てる。弱き者と同じ姿になり、彼らに寄り添う決断をする。その時、彼の心に神の声が届く。「私は決して沈黙していたのではない。あなたがたと共に苦しんでいたのだ」と。/ここで描き出された神の姿、これこそ青野氏をしてパウロが語ったとされる「十字架につけられたままのキリスト」ということになる。

つまり、青野、すなわち青野太潮の解釈に従えば、聖書(ここではパウロの救済思想)との間に齟齬は見られなくなる。
 また、青野は、犠牲の強要を問題視してもいる。

犠牲者は「現代のキリスト」となって、後に生きる者たちのために亡くなったと捉え、彼らの犠牲を神聖視することにつながっていく。しかし、それが強要されるとしたらどうであろうか。パウロが聖書の中で「偽りの福音」と語り、幾度もこれから離れよと語っていたのは、この「身代わりのキリスト」という論理だ、と青野氏は結論づけている。

こうした点から見れば、青野の解釈は魅力的に見える。もちろん、青野のパウロ解釈が正しければ、の話ではあるが。
 じつは田川も、救済思想としてのパウロの考え方は一応評価している。田川訳『新約聖書 訳と註 第四巻』の註や解説を見れば、はっきりとそう書いている。実際、第四巻を読んだ架神恭介もその箇所に言及している(「【7/28】イズン様マジ鬼畜」http://curry-blog.cagami.net/?eid=1071279 )。勿論、パウロより親鸞の方が、救済思想の完成度が高い旨を、田川は述べているが。

 また、田川は『新約聖書 第四巻』の「ローマ書」第七章註において、パウロの他律性の自覚を重視している。これは、神の救済の他律性のみならず、自分に悪を成さしむる欲求その他(自己の外部の社会的な要素も視野に入る)の、あらゆる外部的なものの他律性をも示す。果たして、遠藤の描くイエスにそうした意味での他律性の自覚性があったかどうか(また、「社会」というものが視野にあったかどうか)は検討すべき課題であるが、ここでは置いておく。

*5: ここで一つ問題にしたい。先に述べたようなパウロの救済思想が、新約聖書全体に当てはまるかどうかである。

 実際、田川は本書『宗教とは何か 上』において、次のように述べている(以下、ブログ・「世界の名著をおすすめする高等遊民.com」の記事https://kotoyumin.com/endoshusaku-silence-juda-1035より、孫引きを行ったことをお断りしておく。)。

けれども悲惨なことに、あるいは遠藤にとっては皮肉なことに、このように本当に裏切りの自責の念に責めさいなまれた人物のもとには、復活したイエスは現れない。/『沈黙』の著者はくり返し、くどいほどくり返して、裏切者キチジローを赦し続ける。福音書記者マタイは情容赦もなく、ユダに自殺させてしまう

ユダに赦しが訪れる描写は、新約聖書には載っていない。

 もちろんカール・バルトのように、ユダの救済の可能性を説く者もある。本多峰子は次のように述べている(「ユダは救われるか  カール・バルト 『イスカリオテのユダ』と、遠藤周作『沈黙』による考察」http://www8.plala.or.jp/mihonda/Yudahasukuwareruka.htm )。 

これは、保障されたものではないかもしれない。しかし、イエスがすべてのもののために死んでくださったその恵みが、棄却されたものには及ばないとは、バルトは考えられないのである。

ただ、それは、本多の述べるように、「教義的にではなく、むしろ、信仰から出た『希望』の訴え」というに留まるのではある。もし救済されたのであれば、なぜユダの救済は新約聖書においてきちんと描かれなかったのか、と述べることも可能である。 

*6:実際、これは田川訳でなくとも把握できる話である。特に四福音書のうち、イエス裏切り後のペトロの出番が最も多いであろう「ヨハネ福音書」の場合、日本聖書協会版『口語 新約聖書』(1954年 https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3) )でも、そのことを確認できる。自責の念で苦しむ描写はない。ただ、イエスへの愛を言動で示すばかりである( 「ヨハネによる福音書」21:15 付近。 なお田川は、『新約聖書 訳と註 第五巻 ヨハネ福音書 』の註において、この箇所(ヨハネ福音書の21:15付近)はペテロ伝説として創作されたものだとしている。他の福音書と読み比べればその解釈が妥当だろう。) 
 また、自責の念で苦しむ描写がないのは、使徒行伝でも同様である(https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E8%A1%8C%E4%BC%9D(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3) )。 

確かにこんな哲人王はヒトラーには無理。あと「高貴な嘘」について -斎藤忍随、後藤明生『「対話」はいつ、どこででも』を読む-

 斎藤忍随、後藤明生『「対話」はいつ、どこででも』を読んだ。

 内容は、哲学者(哲学研究者)と小説家の対話、なかでもサブタイトルにもあるように、プラトンに関する話が一番の読みどころ。*1
 以下、特に面白かったところだけ。*2

高貴な嘘

 哲学者のくせに嘘を語るとは何事かと。 (125頁)

 プラトンは英訳すると、tell a noble lieをやっている。
 これが後代批判されることになったが、ギリシャ語のウソにあたる「プセウドス」は、フィクションという意味もある。
 そこら辺を押さえておかないと、プラトンについて、とんだ誤解をしてしまうのである。
 ただ、詳細は、話すと長い。*3 *4

ヒトラーじゃ無理」な哲人王

 第一、ヒットラーのような男が、そんな長期の教育にたえられるものでもありませんしね。 (132頁)

 プラトン全体主義、という主張への論駁である。
 『国家』を読んでいくと、50過ぎの初老の男が静かな研究生活を捨てて、いやいやながら支配者になるという仕組みになっている。*5 *6

 こんな条件では、ヒトラーは無理だろう、と述べられている。

 どちらかというと、仏僧の修業に近い内容である。

なぜ党派があるのかを考えよ

 じゃあ、どうして、主義主張とか信条の違いというものがそもそも存在しているのか、というところまでは考えていない。 (142頁)

 後藤が反核アピール(1981~1982年)に署名しなかった理由についての話である。*7
 主義主張を越えて核に反対、というのは一見人間的に聴こえるが、なぜ党派があるのかという問いには至っていない、という言い分である。
 「小異を捨てて大同につく」ということを考えるときに、これは重要なことではないか。*8

 もちろん、党派が生じる理由を厳しく問うのであれば、連帯は可能ということでもあるのだが。

 

(未完)

*1:のちに出た、後藤明生スケープゴート』には、斎藤との対談の際の話も書いてある。斎藤忍髄は酒豪で、常にグラス片手に対談をしていたという(162頁)。

*2:以下に紹介したもののうち、最初の二つは斎藤、残りの一つは後藤による発言である。言わなくてもわかるとは思うが。

*3:児玉聡氏のウェブページ(http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/noble_lie.html )では、

プラトンの『国家』(414-5, 459-60)に出てくる神話で、 人間は土から作られ、統治者になるべくして生まれたものは金が混じっており、 戦士には銀が、農作者と工作者には鉄が混じっている、という話がある。 これは各人が各自の役割に不満を持たずに国家のために生きることができるように、 統治者が人々に信じこませるためのもので、 プラトンはこれを高貴な嘘(ギリシア語でgennaion pseudos)と呼んだ。 royal lie, maginificent mythなどとも訳される。

 いうまでもなく、この解説は必ずしも適切なものとはいいがたい。田中伸司は「高貴な嘘」について次のように述べる(「プラトンの『国家』における友愛と正義」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009552097 以下の引用は、古代ギリシャ語表記を省略して引用していることをお断りしておく。)。

プラトンは市民たちの同族性を、正しいポリスの実現のために用いられる偽りであると認めていた(Rep. III 414b7-c2)。第3巻において市民たちが「自分がいる土地を母や乳母と見なして心を配り、攻め襲ってくる者があれば守らなければならないし、また他の市民たちのことを、みな同じ大地から生まれた兄弟であると考えなければならない」(Rep. III 414e2-5)、「すべてはお互いに同族の間柄」(Rep. III 415a7)であるという言説は正しいポリスを築くための「気高い」(Rep. III 414b8)嘘と呼ばれていた

実際の「高貴な嘘(田中論文では「気高い嘘」)」と呼ばれているものの内実は、以上のとおりである。では実際のところ、この「嘘」は、どの程度の効果があるのか。Perseus Digital Libraryの415dの英訳では

“No, not these themselves,” he said, “but I do, their sons and successors and the rest of mankind who come after.” “Well,” said I, “even that would have a good effect making them more inclined to care for the state and one another. For I think I apprehend your meaning. XXII. And this shall fall out as tradition guides.”

とある(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0168%3Abook%3D3%3Asection%3D415b *註を除いて引用した)。

 つまり、この「嘘」は聴かされた側には鵜呑みにできるようなものではなく、あくまで「たとえ話」のような感じでしか機能しないことがわかる。岩波文庫版『国家』で、この個所では「嘘」ではなくて、作りばなし、作りごと、といった訳され方をするのは、そのためである。なお、「高貴な嘘」という語が使用されるのは、厳密には、『国家』の ”414-5” の箇所のみである。

*4:ついでに、『国家』の ”459-60” の箇所についても述べておく。

 確かにこの個所における「プセウドス」は、「嘘」というニュアンスであることが、文脈から読解可能である。これは、被統治者に対して利益がある場合のみ統治者だけが使うことのできるもの(一方、被統治者には嘘は禁じられている)で、医者における「薬」のようなものだとしている。

 この場合の「プセウドス」が、「薬」にたとえられていることに注意が必要である。なぜなら、ここでいう「薬」は、あの「パルマコン」(ジャック・デリダの議論を想起すべきであろう)である。つまり「薬」であり「毒」であることをも意味する。

 『国家』の ”459-60” の箇所に出現する「嘘」は、「薬/毒」のようなものであり、ゆえに統治者のみが取り扱える、という議論になっている。①「嘘」はあくまでも被統治者に利益がある場合のみ統治者が使用できること、②その「嘘」は「毒」でもある危険なものであること、が重要である。

 プラトンはやはり、一筋縄ではいかない議論をしているのである。この点を踏まえて、議論がなされるべきなのである。

 以上。長かった。

*5:実際のところ、瀬口昌久によると、統治者になるには、次のような訓練を受けなければならない(「古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか」https://ci.nii.ac.jp/naid/110004670783 )。

『国家』において、哲人統治者となるべき者は、20歳までに数学的予備教育や体育の義務教育を終えて、30歳まで哲学的問答法によって吟味され選抜され、さらに5年間の言論の修練を経て35歳になった時に、洞窟の中に降りて行かねばならない。 (引用者中略) この洞窟での実務の期間は、実に15年間に及ぶ とされている。哲人統治者は、流言飛語やさまざまな利害が衝突する洞窟のなかで、15年間の実務経験を積まねばならないのである。

ストイックな人間でなければ、絶対に不可能である。

*6:斎藤が「いやいやながら」云々と述べているのは『国家』の540bあたりのことだろうと思われる。Perseus Digital Libraryの英訳では以下の通り(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0168%3Abook%3D7%3Asection%3D540b *註は除いて引用を行った)。

throughout the remainder of their lives, each in his turn, devoting the greater part of their time to the study of philosophy, but when the turn comes for each, toiling in the service of the state and holding office for the city's sake, regarding the task not as a fine thing but a necessity

 not as a fine thing but a necessity とあるので、この場合のnecessityは、必要上やむなく、避けられない理由で、といった、わりと消極的なニュアンスであることがわかる。

*7:「思想信条の相違をこえて」はむしろイデオロギー的だ、とする菅孝行の意見が、いちばん後藤の主張に近いものと思われる。「核戦争の危機を訴える文学者の声」(正式名)の詳細については、花崎育代「「核戦争の危機を訴える文学者の声明」と大岡昇平https://ci.nii.ac.jp/naid/110009885988 等参照。

*8:これはいつかの脱原発運動の時にも、同じことが言えるように思う。