2009-01-01から1年間の記事一覧

西欧における仏教ブームと「アーリア人」の関係 中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』(2)

■神学の論理性:科学との親和性と、異端の排除■ 神学論争が重んじられるのは、思考が観念的だからです。よく言えば理論的で明晰なものですが、悪く言えば、すべてを0か1かで割り切るデジタル思考だということです。(中略)注意してほしいのは、科学を生み…

世俗によって煽られる「宗教」 中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』(1)

・中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』みすず書房 (2007/5)■アジアの東部の人口は意外に多い■ アメリカとかアフリカというのが意外と小さい一方、インドと中国がやたらとデカイですね。ヨーロッパ、中近東、アフリカが細々と分かれているのに対して…

英語圏のガイドブックにおけるグアムの記述の「正しさ」 山口誠『グアムと日本人』(2)

■グアム島が「大宮島」だったころ■ 現在、リゾート・ホテルが建ち並ぶタモン湾のビーチに点在する黒い「石の小山」は、そこで日本兵が玉砕したトーチカの跡であり、それは「大宮島」の生々しい記憶である。 (20頁) タモン湾のビーチには、日本軍が玉砕し…

グアムでポリネシアンダンスという不可思議 山口誠『グアムと日本人』(1)

・山口誠『グアムと日本人 戦争を埋立てた楽園』岩波書店 (2007/07)■日本人が知らないもう一つのグアム■ タモン湾のホテル地区には、停電も断水もない。島経済の約七割を稼ぎ出す同地区だけは優先的にインフラが整備されている (p,iii) タモン湾とは、グ…

少数民族問題とスルタンガリエフ 山内昌之『スルタンガリエフの夢』(3)

■入植者たちの【敵意】■ ロシア帝国主義の入植民の末裔たちは、ムスリム隣人の民族的アイデンティティや失われた権利の回復に露骨な敵意をあらわしていた。「大ロシア排外主義」や「植民地主義」の熱心な担い手になったのも、このロシア人農民たちであった。…

「マイノリティ/マジョリティ」としてのタタール人 山内昌之『スルタンガリエフの夢』(2)

■ロシア人とその他の民族との格差■ ツァリーズムに圧迫された民族内部の「階級対立」は、かれらが植民地主義者や大ロシア排外主義者たるロシア人ブルジョアまたは末端の入植民に対抗して、「プロレタリア民族」として一緒に行動するのを妨げるほど鋭くなかっ…

スルタンガリエフと第三世界の知識人 山内昌之『スルタンガリエフの夢』(1)

・山内昌之『スルタンガリエフの夢 イスラム世界とロシア革命』岩波書店 (2009/1)■スルタンガリエフと第三世界の知識人■ スルタンガリエフは、ロシア共産党の同志との論争を通して、「中心」における社会主義・労働運動にしばしば見えかくれする「植民地社会…

ドイツ人の中のマイノリティ ・ヴォルガドイツ人 平野洋『伝説となった国・東ドイツ』(3)

■「俺たちの女」を盗られたネオナチ■ 以前聞き取りをした東のネオナチの青年たちは、反外国人の理由として「仕事を奪う」の他に「俺たちの女を盗る」ことをあげた。 (176頁) この根拠のない「所有」意識こそ、ナショナリズムの中にあるジェンダーバイア…

秘密警察・シュタージの傾向と対策、及び西側による東側の【搾取】 平野洋『伝説となった国・東ドイツ』(2)

■秘密警察・シュタージの支配方法■ 婉曲なやりかたとしては作家にいうんだ「紙がない」って。計画経済だから紙不足という事態もじっさいあったしね。さあーやっこさん悩むわけだ、なぜ自分の本は出版されないのか、本当に紙不足なのか、それとも……、と疑心暗…

東ドイツの裸体主義・男女平等・排他性 平野洋『伝説となった国・東ドイツ』(1)

平野洋『伝説となった国・東ドイツ』現代書館 (2002/08)■東ドイツの女性たち■ 社会主義時代の東では、月一回ハウスハルトタークとよばれた家事のための有給休暇日があり、働く女性たち−−当時は専業主婦というものが存在しなかったーーにとってこの日は歓迎さ…

「漏給」問題への対策と、Jカーブ効果批判 白波瀬佐和子(編)『変化する社会の不平等』

白波瀬佐和子(編)『変化する社会の不平等―少子高齢化にひそむ格差』東京大学出版会 (2006/02) ・佐藤俊樹「爆発する不平等感―戦後型社会の転換と「平等化」戦略」■何でいまさら、「格差」が論じられたのか■ 90年代の終わりから日本では不平等感の爆発が起…

本当の湾岸戦争の教訓、及び日本の対イスラエル政策 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(3)

■【敵の敵は味方】という論理が招いた、【悪の枢軸】の存在■ レーガン政権は、イラクがイランに対してばかりではなく、国内のクルド人に対しても化学兵器を使用しているという確かな情報をつかんでいたのである。(中略)しかしレーガン政権は、(中略)イラ…

ミサイル防衛を考える際の3つの前提 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(2)

■ミサイル防衛を考える際の3つの前提■ 迎撃できる可能性はきわめて小さく、たとえ迎撃に「成功」したとしても、日本の国土で核爆発が起こるか、広範な核汚染にみまわれるのである。 (129頁) ノドンに核弾頭が搭載されていたら、という最悪の仮定での話…

日米関係における「血を流す」というレトリック 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(1)

・豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波書店 (2007/07)■気を回しすぎた日本、リアリスティックな米国■ 日本の政府や外務省が、日本の側から米国に沖縄の返還を求めるならば「米国の感情を害するであろう」とか、「米国の反発を招くであろう」と逡巡している…

グローバル化におけるヒト・モノ・カネの流れのズレ 土佐弘之『アナーキカル・ガヴァナンス』

・土佐弘之『アナーキカル・ガヴァナンス 批判的国際関係論の新展開』御茶の水書房 (2006) 【異なるはずの二つのものの、補完と結託】とでもいうべき現今の世界のありようを論じている、と本書を要約することができるでしょうか。「2008-03-31」の記事にて、…

?日本人は信仰心が薄いのか、?現代人は欲深いのか? 『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(4)

■宗教において、急ぐことは禁物です。■ 宗教的な伝統が最も近代の世俗社会と対立するのは、実はこの時間というファクターかもしれん。神や霊魂が不合理とか、そういう問題よりも、時間意識の違いというものがいちばんのギャップとなっているのかもしれないの…

「神は妄想である」かどうか考え直す。 中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(3)

今回以降、基本的に、【重要な箇所の引用(抜書き) + これに対するコメント】という形式をとります。 本書については、途中まで、書いていたもの(既稿(1)、(2))があります。今回は、その途中の部分のと重複もありますが、すべてを上記の形式で書い…

宗教は【洗脳】でも【思想】でもなく、【生活】である。 中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(2)

■内面的信仰よりまず、集団内での実践がある■ 【宗教といえば信仰】と、このようにつなげて考えてしまいがちです。しかし、たった一人内面的・精神的に敬虔であることが信仰、というのが、イコール「信仰」なのでしょうか。とりわけ「信仰」と聞くと、まず、…

「神」 -たかがレトリック、されどレトリック- 中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(1)

・中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』サンガ (2009/1)■宗教/世俗の境界線と、その曖昧さ■ イスラームとキリスト教が対立している、ということがよく言われます。「文明の衝突」等がそれにあたるでしょう。しかしそうではなく、「ある種の宗教システム…

1864年の「虚構」への知的賭け/1936年の「変化」を忘れた「改革」 蓮實重彦・山内昌之『われわれはどんな時代を生きているか』(10)

■「虚構の物語」への知的な賭け、1864年をめぐって■ 自分はどんな時代を生きているのか。あけすけにいうなら、同時代でもある「近代」とは何か。これが第10章で、蓮實が問うとする事柄です。 自分は、同じフランスの19世紀でも、「バルザックやスタンダール…

歴史学における「偶然」の問題 蓮實重彦・山内昌之『われわれはどんな時代を生きているか』(9)

■伊達千広『大勢三転考』、または歴史書をめぐって■ 第9章で山内は、歴史叙述について考察します。歴史叙述というものが、そもそも「国家」(狭義の政治的勢力)の存在を強く意識するところから出発している事実を語る山内は、「史書」(「史料」と区別され…

ヴァレリー・ラルボーにおける第三共和政のパリ 蓮實重彦・山内昌之『われわれはどんな時代を生きているか』(8)

■コスモポリタニズムの不可能性と可能性■ 蓮實が行ったのは、究極のコスモポリタンの登場する小説を示すことでした。ヴァレリー・ラルボー『バルナブースの日記』の主人公は、ありえないような【セレブ】です。大変裕福な南米の家の出の彼は、親の遺産を相続…

【正しい】母国語?、【国家的】と【国際的】のあいだ 蓮實重彦・山内昌之『われわれはどんな時代を生きているか』(7)

■第二帝政時代の「国家的」と「国際的」■ 第8章では、蓮實が、「国家的」・「国際的」の語彙に関する問題や、「コスモポリタニズム」の可能性と限界について考察しています。 まず蓮實は、フローベールの小説・『感情教育』において、「国家的 - national - …

共存のための寛容と「自尊心」、スミルナのオナシスについて 蓮實重彦・山内昌之『われわれはどんな時代を生きているか』(6)

■スミルナのオナシス■ 第7章では、山内が、大富豪として名をはせたアリストテレス・オナシスと、彼の出身地スミルナにおけるある出来事を取り上げています。オナシスは、アナトリア半島のスミルナ出身で、ギリシア系のひとでした。当時のスミルナは、オスマ…

エリア・カザンの「転向」と、メディア的批判 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(5)

■エリア・カザンの「転向」と、余裕の問題■ 第五章で山内は、先の50年代のアメリカ映画という話の続きとしてエリア・カザンを取り上げ、ギリシア系移民という彼の立場の弱さ(「ネイティブ」の人間に比べて移民出身者であることの寄る辺なさ)が、やがて転向…

赤狩りとアメリカ映画の死、及びアンソニー・マンの「西部劇」 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(4)

■赤狩りと、ハリウッドの黄昏■ 第4章では、第2章のその後を扱っています。第3章での中世スペインの言及に対して、蓮實は「20世紀の首都」崩壊以後の、スペイン・マドリッドへ焦点を当てます。 ロサンジェルスが「20世紀の首都」たりえたのは、30年代中期か…

いかがわしき都・コルドバと、エル・シッドの真実 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(3)

■「世界の首都」コルドバ■ 第三章で山内は、蓮實の挙げた1940年代のロサンジェルスに対して、諸民族はもちろん、イスラム教とキリスト教さえも如何わしく共存していたハイブリッドな10世紀から11世紀にかけての「大都市」コルドバを提示します。当時は、今と…

ベンヤミンと、批評家の【知的な賭け】 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(2)

■1940年代のロサンジェルスにおける豪華さ■ ヒッチコックやフリッツ・ラングのような監督や、グレタ・ガルボにマルレーネ・ディートリッヒなどの俳優は無論のこと、『春の祭典』のイーゴリ・ストラヴィンスキー、『三文オペラ』のカート・ワイル、『死刑執行…

多文化主義の弱点と、世界の首都 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(1)

・蓮實重彦/山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』講談社 (1998/05) 本書は、フランス文学者であり映画批評家である東京大学学長(当時)と、同大学のイスラーム史を専門としながらもそれ以外の分野にも博学で知られる教授による、「往復書簡」と…

紙のリサイクルは熱帯林を救わない? 宮内泰介『自分で調べる技術 市民のための調査入門』

・宮内泰介『自分で調べる技術 市民のための調査入門』岩波書店 (2004/07) もちろん、この本は、調査のための手引きとして使えるものですので、調査する際に注意すべきことを知りたい方は、類書を含めてこの本を読んでいただけたらと思います。本書について…