2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

小説論≒物語論 蓮實重彦『文学批判序説』(2)

物語を人が語るのではない。物語が人に語らせる。人はこのとき、客体であり、間違っても主体などではない。人はそこから逃れられない。だから物語に従順に振舞いながら、その関係の「あやうさ」を現出して見せること。中上健次と後藤明生は、そんな物語自体…

「物語」批判、または書物の退屈さについて 蓮實重彦『文学批判序説』(1)

蓮實重彦『文学批判序説 小説論=批評論』河出書房新社 (1995/08) 書物は「読もうと思えば誰もが読めてしまう」退屈なものである、と「物語=書物=文学」の章は述べます。当時でも現代でも、おおよそ世の中が、読みにくいものを嫌い、読みやすいものをありが…

日露戦争とセキュリティ・ジレンマ 横手慎二『日露戦争史』

横手慎二『日露戦争史 20世紀最初の大国間戦争』 中央公論新社 (2005/4/25) 本書についても、すでに、きちんとまとまっている書評があります(例えば、『リアル読書ブログ』様)■相互の誤解■ 本書のテーマは、日露戦争と、「日本の対露観とロシアの対日観と…

「脳科学」の限界と「科学的」であること 榊原洋一『「脳科学」の壁』(2)

著者は、認知症の人への認知能力低下防止のためのアプローチが、そのまま健常者の認知能力向上につながるかどうか、疑問を呈します。また、認知機能の低下が抑えられた原因は、音読や単純計算自体ではなく、そのプロセスでの、実験者同士、または、実験者と…

「脳科学」批判、あるいは骨相学の子孫たち 榊原洋一『「脳科学」の壁』(1)

榊原洋一『「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか』講談社 (2009/1/21) 本書への書評については、すでに存在しています(たとえば、『お父さんの[そらまめ式]自閉症療育』様)。 この本の中身を要約すれば次の用に言い換えられるとおもいます…

『反=日本語論』は志賀直哉を救う 安藤健二:『封印されたミッキーマウス』(3)

確かに志賀は、「日本の国語が如何に不完全であり、不便であるか」を「四十年近い自身の文筆活動」の中で「痛感して来た」と述べてます。 しかし、そんな不完全なはずの言語に四十年近くも付き合うことができたのですから、「無上」というのはいいすぎでしょ…

蓮實重彦による志賀直哉擁護 安藤健二『封印されたミッキーマウス』(2)

Wikipediaでは、蓮實重彦が志賀を擁護している、と説明がありました。具体的には、どのようなものだったのでしょうか。鈴木や丸谷が志賀の主張のずさんさに対して真面目に反論したのに対し、蓮實は、そのずさんともいうべきところを擁護します。 残念にも、…

志賀のフランス語公用語化論 安藤健二『封印されたミッキーマウス』(1)

安藤健二『封印されたミッキーマウス 美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード』洋泉社 (2008/05) この本についてはすでに、優れた書評が存在しているので(たとえば、『積ん読パラダイス』様など)、ですので、今回はあまり言及されない内容に…

部下をうつにする、6つの上司の勘違い 吉野聡『それってホントに「うつ」?』

吉野聡『それってホントに「うつ」? 間違いだらけの企業の「職場うつ」対策』講談社 (2009/3/19) 別段、書評というほどのものではないのですが、ある本の中で興味深い箇所があったのでそれについて言及したいと思います。 その本というのは、吉野聡『それっ…