2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「国民読書年」という"キモさ"、「活字離れ」な割にネットで活字が読まれすぎている時代に 蓮實重彦『随想』(1)

・ 蓮實重彦『随想』新潮社 (2010/08)■「攻撃的」な随想■ 『随想』というタイトル。表紙には、「エッセ・クリティック」とあります。無論、これは、ロラン・バルトの同題の書物から来ているのですが、当時のバルトは(後の彼と比べて)結構戦闘的でした。 な…

ナボコフによるフローベール変奏 -半過去という倦怠、そして「私たち」という暴力について-

■半過去という倦怠 -ナボコフによるフローベール変奏?-■ 既に、プルーストとフローベールの話をしたと思います。フローベールの文体と技巧を取り入れようとしたのは、プルーストだけではありません。プルーストを介在させる形で、ウラジーミル・ナボコフも、…

コレットによるコスプレと、性愛遍歴について 工藤庸子『砂漠論』(5)

■コレット・コスプレ・性愛■ プルーストは女性的な側面がある云々という話をしましたが、次は女性の作家であるコレットについて。コレットとプルーストの間には親交がありました。ちなみに、著者は、コレットの伝記を翻訳してもいます。 「15歳年長のアンリ…

神=雇用者の「差別」について -『ぶどう園の労働者』への非キリスト者からの露悪的意見-

イエス・キリストの語ったという 聖書の『ぶどう園の労働者のたとえ』です。こちらの拙稿「社会保険と労働時間 -ベーシック・インカムを唱える前に- 濱口桂一郎『新しい労働社会』(5)」のコメ欄をきっかけに、その存在を知りました。読んでいくらか感想が…

ゴミと文学について -ゴミコメントと「優しさ」の問題-

それがいかなる記事、いかなるコメントであろうとも、人は優しさを隠せないものです。今回、その実例として、実に親切かつ高貴な方が例示してくださったので、早速、見てみることにしましょう。ああああ 何このくだらんゴミ投稿(´・ω・`) 文学なんて誰も…

プルースト『失われた時を求めて』の書き方、読み方について 工藤庸子『砂漠論』(4)

■「後輩」プルーストのパスティーシュ■ プルーストは、さきのバルザックとフローベールのそのまた後輩に当たります。彼の鋭敏な知覚と感性は、作家の文体にも向けられています。プルーストは、優れたフローベール論を書き残しています。これをめぐって、ティ…

バルザックとフローベルの文学観 -世界を丸ごと貪ろうとした人/散文によって世界から自立しようとした人 工藤庸子『砂漠論』(3)

■バルザックとフローベール、小説観が違いすぎる■ 先に、バルザックとフローベールは、両人ともに脚フェチだよという話をしました。しかし、この二人、小説の作法がまったく違います。かたや、濫作も構うまいといわんばかりに書きまくる仕事の速いバルザック…

『ランジェ公爵夫人』、あるいは、足フェチ作家バルザックによる足の小説について 工藤庸子『砂漠論』(2)

■『ランジェ公爵夫人』、あるいは、足フェチ作家バルザックによる足の小説について■ 本書は、オリエントへの憧憬というのが主題の一つとなっております。西欧人たちの持つオリエントへの憧れというべきものです。冒頭の「砂漠論」と、最後の一編となる「『ラ…

政教分離よりも、信仰と信条の自由を! -キリスト者よりも、「自由の敵」を相手にすることに関する試論-

「日本は実は政教分離を欧米よりずっとはやく導入していたという説もあります」というコメントをいただいて、紹介された先の記事を見ました。 「福沢諭吉・新渡戸稲造・丸山眞男・森田明彦に見る、西洋コンプレックス型日本知識人の特徴」 です。 そのうち、…

同化ユダヤ人は辛いよ/「キリスト教世界」なんて近代の産物だよ 工藤庸子『砂漠論』(1)

工藤庸子『砂漠論 ヨーロッパ文明の彼方へ』左右社(2008/3) 本書は、『砂漠論』というタイトルで、実際に表題の一編が、冒頭に掲げられています。しかし、全編を見通すと、ヨーロッパ文明の「彼方」の事よりは、「此方」の方が主題として扱われています。 「…

"非・非実在女性"の快楽のために、あるいは「べ、別にフェミはポルノ嫌いって訳じゃないんだからねっ!」の確認 守如子『女はポルノを読む』

守如子『女はポルノを読む 女性の性欲とフェミニズム』青弓社 (2010/02)以下、本書を読んでの取り留めのない雑感です。■抑圧された女の快楽と、「主婦/娼婦」という階層■ 女性たちは、マスターベーション一つをとってみても、「彼のため」という言い訳を必…