鉄道の20世紀と天皇 原武史『鉄道ひとつばなし』(2)

 官への距離、というテーマはどうか。東急の祖・五島慶太と阪急の祖・小林一三という二人の比較から、それが見えてきます。自社への天下りを推進した五島と天下りを嫌った小林、国鉄の構内敷地を間借りする形で駅を作っていった東急とターミナルを国鉄から区別される場所に作った阪急の対比(六九頁)は、関東と関西のそれぞれの私鉄の特徴を浮き彫りにしています。
 これは、乗客の従順である札幌の地下鉄から、計画都市の出自に通じる「官」の匂いを嗅ぎ取る著者だからこそできることです。
 【鉄道と第二次大戦】、という視点で見てみるとどうなるでしょうか。著者は、一九四五年八月一五日を今泉で迎えた宮脇俊三が、米坂線の列車がホームに入ってきたのを見て「こんなときでも汽車が走るのか」という感想を抱いた、というエピソードを紹介します。そのエピソードは、ドイツに目を向けたとき、多重的な意味を持ちます。
 「総統になる前から、鉄道の重要性を十分に認識していた」ヒトラーの鉄道利用術と、アウシュヴィッツなどの強制収容所」へ向かう「ユダヤ人を乗せた貨物列車」(八四〜八六頁)とを、宮脇の感想に向かい合わせたとき、第二次大戦時における鉄道、という問いが投げかけられます。八月一五日にさえきちんとホームへやってくるこの驚嘆すべき鉄道の車両は、ヒトラーが政治的に利用した車両に重なり、多くのユダヤ人たちを運んだ車両に重なるのです。
 天皇と鉄道という視点ではどうでしょうか。自分の「時間に敏感な性格」が、近代という時代と列車に乗る経験とによってもたらされたと見る著者(二六八頁)ならば、「天皇の巡幸は、地方が新しい時間を体験する最初の大掛かりな機会となった」(一七頁)という発想を持つのも当然といえるでしょう。
 本書の中でも、「作られる民俗 昭和大礼再考」の章は実に刺激的です(五八〜六〇頁)。 「御召列車」のために、天皇の乗る列車の上に電気を流させない様子や、駅の「ホームの便所を幕で覆って天皇の眼に触れさせない措置」などを著者は紹介します。
 そして、「かつて明治初期に全国を回った天皇」を、人々が「生き神」として迎えたのは、「人々の生活に根付いた民俗」によるものだったが、「昭和初期に天皇を聖なる象徴と見なしたのは、鉄道省宮内省であった」と述べます。
 「作られる民俗」への彼の鋭く批判的な視線は、指導列車に拝礼したり御召列車に土下座したりする人々の様を、近代の衣装をまとった「江戸時代の大名や将軍の行列のときに沿道で見られた光景の再現」(四六頁)とする視線と比べてみるとき、より明瞭になるでしょう。

(続く)