官僚機構としてのCIA 落合浩太郎『CIA 失敗の研究』(1)

落合浩太郎『CIA 失敗の研究』文藝春秋 (2005/6/20)

 冷戦後、ソビエト連邦という仮想的をなくしてもなお、体質を変えられなかった米国諜報機関。その硬直した体質が浮かび上がる本です。
 もちろん、「この世界の厳しさは、何件阻止したとしても、一件阻止に失敗すれば諜報機関はその責任を問われることに」なり、「民主主義国家の諜報組織だからこそここまで失敗が明らかになっているのだろうから、本書からアメリカの諜報組織が弱点だらけだと思うのは恐らく過ちだ。」と述べる、『まずは読め。話はそれからだ。』様のお言葉を踏まえて、この本は読まれる必要があります。
 諜報機関とは、たった一点が命取り、というゴールキーパーみたいな役回りなのですし、言論の自由の保障・情報公開のできる国だからこそ、ここまで恥部をさらけ出せるのです。本書は、それらがなされているからこそ出た、ゴールキーパーとしてのアメリカ諜報機関の「失敗」の記録です。

 本書で標的となっているのは、タイトルどおりCIAです。この、NSAやFBIさえも会計検査院の監査を受けるのに、唯一監査を免除されたこの機関(159頁。しかも、ロビー活動までやっている!)の実情。まず、驚きなのは、CIAの外国語音痴です。
 CIAは、「同時テロを許した一因として外国語教育の不足が批判を浴びた」が、これは、冷戦後ロシア語に代わり、中東中心の「第三世界の言語の重要性が指摘」されたのに、これを怠ったためだ、著者はといいます。同時テロが起きたとき、CIAの1万6千人のうち、アラビア語を自由に操れるのは5人、ペルシア語は1人だというのです(68、69頁)。しかも遡ると、冷戦期からCIAの語学力は不足していたといい、「対ソ連要因の解雇や機構改革に反対する一方で、中東専門家の採用と育成の必要性は指摘されていたのに実行されなかった」(94、95頁)。
 1990年代半ばでも、フランス支局でも、「若手はフランス語ができない」という現実。間違いなくこの体質が、同時多発テロの原因の有力な一因であることは疑いえません。
 アメリカは多民族国家だったはずなのですが。著者は、CIAは「白人男性中心の伝統」を固守した(70頁)、と批判しています。ロシア(旧ソ連)は、アフガン撤退後もこの地での諜報活動を続け、政府協力者や現地語のできるエージェントなどを確保していた(113頁)といいます。どうやら、アメリカという国には、【英語の伝統】を固守する悪習があるようです。伝統も程々に。
 その硬直的な官僚体質は、もっとすごい。どっかの国の官僚機構に似ています。「派手な衛星には予算が付く」が、「収集された情報の分析に必要な地味な仕事」、アナリストや翻訳者には予算がつかないなんて当たり前の話です。90年代半ばからは、「現地で危険を犯すオフィサーよりも安全な本部の管理部門の方が昇進は早くなった」りします(77頁)。エージェントや情報の質より量が求められ、報告書は分析自体の質よりも、その量が評価されてしまう、なんてことも。いかにも、官僚的です(一応、CIAも官僚といえば官僚です)。
 183頁でのCIA殉職者のエピソードは、ぜひ読んでほしいです。これぞ、官僚体質の極み、といいたくなります。それにしても、「官僚」という言葉を、今何回書いたでしょうか。

(続く)