言葉通りの「個人主義」、そしてロビー活動の薦め 樋口陽一『人権 (一語の辞典)』(2)

■「自分主義」ではなく、「個人主義」■
 「個人一人一人」の「選びなおし」に開かれている文化と、そうでない文化とは、「等価ではありえない」という主張も実に重要です(72頁)。例えば多文化主義に対し、「少数者への帰属」だからじゃなく、「そもそも個人であるがゆえに主体となる」(92頁)はずだ、とする考えも、それに基づきます。個人主義」というのは、本来、個人としての私、個人としてのあなたが、個人として尊重される主義のはずであり、自己中心的な主義思想とは異なるはずです。【個人】という単位での尊重、というのが肝心であり、【個人】の自分勝手云々とかいうのは、「個人主義」とは別の事柄です。
 個人一人一人を単位と考え、彼らの意思を最大限(無論、その意思とぶつかり合う個人の尊厳との係争の中で)尊重するのが、著者の主張です。マイノリティというアイデンティティへの帰属に依存するのは、そのマイノリティの中の少数派の人々(例えば、貧困地域の女性たちを見よ!)への抑圧を考えたときに、困難が生ずる、と考えます。マイノリティだから、ではなく、個人であるから、尊重されるべきと考えるのです。
 人権が文化アイデンティティを壊すという批判があります。批判者たちは、「相異への権利」を主張します。しかし、たいていその「相異」は、西欧との対比に過ぎず、その「共同体内部での「相異」は、端的に禁圧されることが多い」(67、68頁)、と著者は、反批判しています。

違憲審査制■
 違憲審査制についても言及されます(97ー100頁)。この制度は、世界に先駆けてアメリカで始まり、第二次大戦後、ドイツ、イタリアでも始まることになります。なぜアメリカが最初だったのでしょうか。 
 、pともと「人権」というものは、英仏において、司法ではなく、議会が支えてきた歴史的経緯があります。国王の執行権に対抗するための議会の権利、という構図です。せっかく執行権を抑止するために議会の権利を強化したのに、ここに裁判所が立ちふさがることはまかりならなかったのです。
 そのため英仏二国において、司法が「人権」をチェックする機能を求められることはアメリカに比べて比較的遅くなったのです。
 ドイツとアメリカの違憲審査制の違いにも話は及んでいます。違憲だと認められたとき、法の当該事件への適応のみを除外する前者に対して、その対象となる法ごと失効させる後者という差があるのです。無論多くの国では、その折衷を行っていますし、米独両国も、相互の良いところを取り入れたりはしています(と、書いてあります)。
 ちなみに、前者は付随的違憲審査制といい、通常の裁判所が必要な限りにおいて違憲審査をする方式で、違憲の法令を適用することに対する個人の権利保護に重点を置きます。後者は、抽象的違憲審査制といい、違憲審査をするための特別の機関が、具体的な事件とは関係なく違憲審査をする方式で、最悪、違憲の法令を排除することもできます。
 さらにちなみに、 白田秀彰『インターネットの法と慣習』にもあったように、アメリカと日本の違憲審査制の違いも重要です。 ともに、付随的違憲審査制ですが、日本の裁判所が、憲法判断を避けようとするのに対し、アメリカの裁判所は、積極的に関ろうとします。アメリカの裁判所が違憲審査に積極的だからこそ、つまり、法の制定後も裁判所が力を振るう慣習があるからこそ、議員立法で変な法律ができてもカバーできるのです。裏を返せば、このブレーキなき日本で、議員立法をやったら大変ということです。
 逆に日本の場合、裁判所は違憲審査を嫌うので、「法律で決まったら、もうお終い」なのです。「一度法律になったものを動かすには、その法律を別の法律で乗り越えるしか方法は」ない。だから、白田氏は、立法府の議員を直接的に動かせる、投票やロビー活動を重要視しています。デモをやっても立法府への影響はこの国では高が知れているし(少なくともこれだけではダメってことです)、それなら、投票やロビー活動で立法府の議員を動かしたほうが話が早い、というわけです。
 話題がずれましたが、これは重要なことですので、書きました。念のため。

■終わりに■
 脱線もしながら書いてまりましたが、ほかにも本著には、面白い箇所があります。
 例えば、個人主義を批判する傾向に対して、著者は、「私たちの日本社会で、「疲れる」ほど「強い個人」が追い求められたことがあったろうか」(55頁)と反批判しています。「強い個人」とは、自分の意思で自己決定し、その結果を自分で引き受ける個人のことです。私見では、今の日本社会にあるのは「強い個人」ではなく、むしろ、結社(会社・企業)や国家・政府へ依存しながら、それらとの距離をとることのできない「もろい個人」ばかりと思われます。「私たちの日本社会」は、「強い個人」を疲れるほど追い求めたのではなく、そこから単に逃避したのだといえるでしょう。
 日本の政治史に関しても、自由民権運動は主に、消極的自由(「からの自由」)よりも、参政権などの積極的自由(「への自由」)を尊重しており(24頁)、この傾向に沿って、1872年の中村正直訳の『自由之理』は訳された、という興味深い事実も書かれています。普通選挙法と治安維持法が同年の1925年に出た現象も、積極的自由と代替に消極的自由が制限された点で、もしかしたら、これに対応しているといえるかもしれません。
 最後に、著者は、民主主義へのブレーキを司法(憲法)に持たせるという、一種の立憲主義をとっています。本書では詳しく触れられていませんが、著者の『個人と国家―今なぜ立憲主義か』にはそれが詳しいので、ぜひご覧ください。

(終)