蒋経国による台湾民主化の行方 本田善彦『台湾総統列伝』(1)

・本田善彦『台湾総統列伝 米中関係の裏面史』中央公論新社 (2004/05)

 米中両大国とのあいだで揺れる小国・台湾の歴史が、国家のトップである総統の「列伝」を通して描かれています。列伝に描かれているのは、蒋介石蒋経国李登輝陳水扁の四人です。この四人に一章ずつ割り振り、第五章で、日本における「台湾」に対する言説への批判がなされています。
 本書の最大の特徴は、これまで日本では論じられる機会の比較的少なかった蒋経国をきちんと取り上げたことでしょう。著者は、彼を国民党存続のために、台湾に根付いた政権をつくり、そのために民主化を図った人物だといいます(109頁)。この「落差」をはじめとする日本における台湾言説の【ゆがみ】を、第五章で批判しているというわけです。

蒋経国、あるいは二代目総統の複数の顔■
 では、蒋経国とはだれか。まあ略歴というのなら、wikipediaの項目を見ればいいのですが、「経国老師 〜台湾総統列伝〜」(『何となく写真日記 の・ようなもの』様)の、 「小平とプーチンマンデラを足して3倍したような、スーパー漢民族人」というキャッチコピーは秀逸です(ただし、蒋経国の出身地は、サイヤ星ではなく、浙江省寧波市です)。こんな「凄い」人物が、あまり日本では知られていないわけです。
 蒋経国は、?若いころは元共産主義者、?総統になる以前は特務機関の黒幕として暗躍、?米国から見放されるという危機を脱した、?経済的躍進をもたらした、?本省人への政治の門戸を広げた、?民主化への扉を開いた、?特に晩年は民衆に親しまれるよう気を配った、と複雑な政治的人生でした。そしてどうやら、アンケートなどによると、現在でも台湾で一番人気のある総統だそうです。上記項目の?や?、?、?、?が響いているのでしょう。(本件については、「蒋経国ブーム」(『鋼鉄的日記』様)もご覧ください)。
 上記について、「それらのアンケート調査は聯合報やTVBSなどの典型的な中国派マスコミによるものである」という意見もネットにあるようですが、そういうのであれば、非「中国派」の台湾メディアからきちんとした情報を引用して反証するべきでしょう。(注1)
 しかし、台湾では一番人気の彼も、日本では彼のことはあまり知られていません。理由は端的に、父の蒋介石李登輝も、ともに、日本と深い関係を持ったのに対して、経国は、そのような関係を持たなかった。これに尽きると思われます。
 中国共産党側を反乱軍として、憲法を棚上げし、総統に権力を集中させた「戦時体制」となった中華民国政府において、蒋経国の時代は、外交的に米国から見放された時代でした(しかし完全には見放さず、温存して利用せんとするのが、米国の台湾に対する外交手段です)。
 ここで経国は、十大建設と呼ばれる交通機関やエネルギーなどのインフラ整備などの経済的復興を果たします。そして、大陸反抗を目指した父・蒋介石に習わず、慎重に外交を進めます。議会も部分的に門戸を広げ、本省人エリートを起用し(その一人が李登輝です)、最終的に、半世紀続いた戒厳令を解除したのです。(もちろん、黒い歴史も裏側にありますが。)
 もちろん、蒋経国の民主主義的な台湾への動きは、米国など各国の世論にアピールするという理由もあったことが言及されています(106頁)。アメリカに見放されるという対外的危機を乗り越えるための民主化推進だったというわけです。欧米世論に気を使っていた日露戦時の大日本帝国を思わせます。
 なお、民主化への道は、後継者たちには、大変荷が重いもののようです(弁護するつもりはありませんけど)。李登輝政権では、これまでの特務政治が終わったかと思いきや、今度は「金権政治」という、暴力団と金権への依存を強める政治が始まります(177頁)。陳水扁の時代も、クリーンさを売りにしていた民進党は、最終的に利権政党化していきます。
 蒋経国のつけた道筋は、やはり、後継者にとっても厳しい道のりで、蒋経国は良いときに去った人だ、という印象は否めません。
 でも、それにしても凄いのは、彼の晩年のドブ板ぶりです。若いころの酒好きのせいで、糖尿にかかっていていた彼ですが、部下に止められたのに、訪れた地方の料理屋で脂っこい料理をきちんと平らげたとか。からだを張ったドブ板ぶりです。2009年の夏の選挙で、自民党の大物議員に欠けていたのは、この命がけの根性だったのだと、改めて思うしだいです。

(続く)


(注1) 本書に対する適切な書評として、「本田善彦『台湾総統列伝』」(『夢遊的日録』様)があります。「マイノリティー、特に原住民族の動向には言及がない。」という指摘は非常に重要です。また、「筆者は台湾人の各総統に対するイメージを、聯合報、TVBSの調査を根拠として示してみせるが、これらの媒体のもつ性格については全く言及がな」く、「媒体の性格について一言あってしかるべきではなかったか。」という言葉は、批評として丁寧で適切です。