【正しい】母国語?、【国家的】と【国際的】のあいだ 蓮實重彦・山内昌之『われわれはどんな時代を生きているか』(7)

第二帝政時代の「国家的」と「国際的」■
 第8章では、蓮實が、「国家的」・「国際的」の語彙に関する問題や、「コスモポリタニズム」の可能性と限界について考察しています。
 まず蓮實は、フローベールの小説・感情教育』において、「国家的 - national - 」という語が三六回使われているのに対して、「国際的 - international - 」は一回も使われていないことを指摘します。このことから分るのは、『感情教育』の書かれた第二帝政時代とは、「国家的」の語が比較的高い頻度で使われた時代であり、一方、まだ「国際的」の語が出現しない時代だということです。
 蓮實は、この19世紀を「国家」の時代にしたのは、この形容詞の頻出ではないか、と述べます。人々の口に「国家」・「国家的」の語彙がのぼりはじめるとき、「国家」という存在は、人々の意識にその輪郭を見せ始めたのです。人々が「国民的 - national - 」になった、といってもよいでしょう。
 一方、「国際的」という語が頻出し始めるのは、しばらく後、社会主義運動の隆盛が時代に広まってからのこととなります。
 「国際的」という語に関連して蓮實は、「国際化」といったとたんに、たちどころに国境が消滅して、「平和な共存が約束されているかのように思われてしまう」と指摘します。例えば、本当なら「国際連合」は「国家連合」と訳せば十分のはずです。なのに、国際連合」と訳してしまったことが、「国際的」という形容詞に、どこか「理想主義的ともいえる楽天性を与えてしまったのかもしれない。」(141頁)と、示唆に富むことを述べています。

■【コスモポリタニズム】と【インターナショナリズム】■
 いうまでもなく、「国際的」という語は、現象学の「間主観性」に倣い「間国家的」とも訳せることからもわかるように、「国家」の存在を前提とします。「国際的」の語が広まり始める社会主義隆盛の時代もまた、「国家的」という語を前提とした時代なのです。
 この二つの語彙の流通具合に比べ、歴然と陰りを見せたのが、「コスモポリタン」の語です。前章で山内が書いているように、20世紀初期のアナトリア半島にある都市・スミルナは、ほとんどの家族が少なくとも二種類の言葉を使い分けるような、多言語性にあふれ多民族性に沸き立つコスモポリタン都市でした(注1)。しかし、やがてこの都市のコスモポリタン性も、「国家的」・「民族的」の趨勢によって失われていったのです。(注2)
 コスモポリタン性を失わせたのは、国家主義民族主義だけではありません。国際主義」(インターナショナリズム)もまた、コスモポリタニズムにおける階級性への考慮のなさ等を批判し、コスモポリタニズムの居場所を失わせていったのです (旧ソ連において、ユダヤ系【人民】を排斥する際、「コスモポリタン」という【侮蔑語】を用いたことを、想起すべきでしょう)。20世紀とは、アリスト・オナシスが「国際的」資本家となった時代なのです。
 問題は、「国家的」という語が激しく揺れ動く「現在」において、コスモポリタン性をどう位置づけるか、ということです。コスモポリタン性は、現在でもなお克服されるべき過渡的事柄なのでしょうか。それとも、近代を克服することで到達できる目指すべき理想的状況なのでしょうか。蓮實は、この問いにある小説で返答します。

(続く)



(注1) いうまでもなく、彼らの話していたことば(「トルコ語」や「ギリシア語」など)は、「正しい母国語」のようなものではなかったはずです。彼らの話していたことばは、方言としての特色や外国語の要素の混じりあう、いわば汽水のごときことばであったと思われます。
 「正確に言えば「○○語」として同定できるような言語などはそれ自体としては存在していないのである。「日本語」という言語がそれ自体としてあるように見えるのは錯覚にすぎない。」のです(室井尚「情報社会と「多言語主義」」『Virtual Time Garden』様)。閉鎖され固定された諸言語が複数並立するタイプの「多言語主義」が、ルペン的排外主義に利された「多文化主義」と、同じ命運を味わうことは目に見えています(これについて詳細は(1)の稿に書きました)。同じく、

「日本文化の重層性」といった修辞に現れているように、文化や人種の同一性を強調する議論は必ずしも雑種性を拒絶してきたわけではなくむしろ雑種性を横領し同一性の力学の契機としてきたからである。だから、雑種性を同一性に横領できないような形で考え抜くことが、多言語主義をめぐる議論ではまず初めにある課題であると私は考えている。

という酒井直樹「多言語主義と多数性」(『Amehare's quotes』様より孫引き)の記述は、今回のコスモポリタン性を考える上で注意すべき点です。

(注2) ただし、コスモポリタニズムが嫌われていたのは、この時代に限られません。
 「コスモポリタニズムの世紀」である18世紀ヨーロッパに触れた「[memoire]コスモポリタニズムCommentsAdd Star」(『Il faut cultiver notre jardin.』様)によると、「1762年の『アカミデー・フランセーズの辞書』では、世界市民cosmopoliteとは、「祖国を受け容れようとしないものであり、良き市民ではない」。この定義はコスモポリタニズムが当時引き起こしていた猜疑心を反映している」そうで、七年戦争やアメリカ革命等によって、コスモポリタニズムは「愛国主義者」からの批判を受けるようになっていたとのこと。
 当然ながらフランスでの大革命以前から、祖国への忠誠という、原理や主義への忠実さと強張りが、コスモポリタニズムを退かせる動力となっていたのです。

2009/10/30 一部次稿に移転