日米関係における「血を流す」というレトリック 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(1)

豊下楢彦集団的自衛権とは何か』岩波書店 (2007/07)

■気を回しすぎた日本、リアリスティックな米国■

 日本の政府や外務省が、日本の側から米国に沖縄の返還を求めるならば「米国の感情を害するであろう」とか、「米国の反発を招くであろう」と逡巡しているなかで、ライシャワー駐日大使をはじめ米側関係者が、「祖国復帰」を求める沖縄の広範な世論状況を放置するならば基地の維持それ自体が困難になるであろうと判断して、文字通り事態を”先取り”する形で本国政府に決断を迫ったのである(我部政明沖縄返還とは何だったのか』)。  (75頁)

 日本の情緒的な外交と、アメリカのリアリスティックな外交という、対照的な対比。これが「安保条約を軸とした戦後の日米関係を根幹で規定してきた」、と著者は述べています。
 日本の対米外交においては、「米国の感情を害するであろう」とか、「米国の反発を招くであろう」とかの、気の回しすぎが、リアリスティックな外交をすることを妨げていたのです。それは最近まで変わっていないかもしれません。重要なのは、自分のカードと相手のカードの把握です。
 それができないと、北朝鮮の脅威が米国によって煽られる一方で、日本の”頭越し”に米朝間の関係改善がすすんでいく」こととなったブッシュ政権時代の日米関係の二の舞になります(209頁)

■さほど日本は在日米軍に依存してない?■

 江畑は「米軍は日本を必要としているのに、日本はそれほど差し迫った形で米国の軍事力の助けを必要としていない」「今の日本は、太平洋戦争後初めてと言える、米国と対等の立場に立てる安全保障・戦略環境にある」と結論付けている。 (119頁)

 江畑謙介『米軍再編』からの引用です(傍点部は除外)。在日米軍は日本防衛という役割がほとんどなくなったと断言して、江畑はこう述べています。少なくとも、『米軍再編』出版時の2005年時点で、日本はアメリカの軍事力をさほど必要としていませんでした。おそらく現時点でも、江畑の述べたことは正しいはずです。 

 在日米軍とその基地は、日本の防衛のためにあるのではなく、世界の半分をカバーする米軍の戦略展開のための最大拠点であり、むしろ自衛隊が米軍基地の防衛に当たっている  (120頁)

 小川和久『日本の戦争力』を参照して、このように著者は述べています。在日米軍基地は、陸上自衛隊が守っています。日本こそが、在日米軍のために血を流すのです。
 カードとは、まさに先に挙げた二例のことです。重要なことはあくまでも、現実的に自分と相手の持つカードをきちんと把握して、計算して、交渉を行うことです。【彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし】です。目標や理念はどうあれ、まず、この自他のカードの把握なしに外交は行えないはずです。

■日米関係における「血を流す」というレトリック■

 安倍首相は安保体制について、米国は日本を守るために「血を流す」のに、日本は米国のために「血を流す」体制になっていないと「片務性」を強調するが、こうした認識は、沖縄の歴史と現実を捨象したうえに成り立っている、と断ぜざるを得ない。 (226頁)

 安倍元首相の発言に対しては、いくつも疑問符をつけることができるでしょう。
 ?いつアメリカが日本のために血を流したのか、具体例が過去にあったか、?沖縄こそ過去に日米の捨石にされた「血を流す」過去を持ち、現在も基地によって人的被害という「血を流す」経験をもつのではないか、?そもそも、特にお偉い人たちは戦場に行かないで済むんだから、「日本が血を流さない」云々などいう資格があるのか
 著者の批判は?に当たります。アメリカは血を流し、日本は血を流さないという事実関係を無視した主張は、沖縄のことを忘却しているのです。

(続く)