スルタンガリエフと第三世界の知識人 山内昌之『スルタンガリエフの夢』(1)

山内昌之スルタンガリエフの夢 イスラム世界とロシア革命岩波書店 (2009/1)

スルタンガリエフ第三世界の知識人■

 スルタンガリエフは、ロシア共産党の同志との論争を通して、「中心」における社会主義・労働運動にしばしば見えかくれする「植民地社会」または「社会主義的植民地政策」ともいうべき傾向を正面から批判した。これこそ、現代でも第三世界の一部で信奉者や追随者を生みだすスルタンガリエフの思想の核心なのである。 (17頁)

 平等を志向するはずのロシア共産党にさえも、広義のオリエンタリズムは存在していました。このようなロシアとタタールとの支配・被支配関係に対して、スルタンガリエフは異議を唱えます。そして、イスラムタタールナショナリズムマルクス主義の複合化を成し遂げようとします。このような彼の思考は、第三世界において少なからぬ知識人に影響を与えます。
 例えば、アルジェリア独立運動のベン・ベラや、イラン革命期のシャリーアティーを挙げることができるでしょう(シャリーアティーについては、「イスラム教と遊牧民」『heuristic ways』様も御参照)。しかし、ここで注目したいのは、次の一文です。

 スルタンガリエフが未完成のまま後世の審判に託した独特の思想は、インドネシアのタン・マラカや、ペルーのマリアテギの志とも、多分に共通している。 (V頁)

 タン・マラカは、オランダ植民時代から独立闘争期まで活動した革命家です。共産主義イスラームを両立させ、東南アジア地域一帯を社会主義的な共同体にする構想を持った人物でした。この途方もない政治的スケールと、共産主義イスラームを両立という朝鮮が、スルタンガリエフと共通しています。
 一方マリアテギは、スルタンガリエフと同時代を生きたラテン・アメリカのマルクス主義者でした。彼は、先住民の権利回復あってこそペルーに社会主義は土着する、という考えを持っていました。その点で、階級よりも先に民族の権利回復を唱えたスルタンガリエフに似たところがあります。
 彼らのような、スルタンガリエフと共通する志を持った第三世界の有志たちのために、どなたか一書を設けてください。(ただし、マリアテギについては『インディアスと西洋の狭間で マリアテギ政治・文化論集』や、小倉英敬『 アンデスからの暁光 マリアテギ論集』が存在しています。)

シャリーアティーと「ムジャヒディン・ハルク」■

 かれの思想的な影響を受けた「イスラム人民戦士機構」(モジャーヘディーネ・ハルク)は、イラン・イスラム革命に大きく貢献するとともに、革命後のホメイニー体制にもイスラムの文脈で十二分に対抗できる有力な反対派に成長したのである。 (407頁)

  シャリーアティーの話をしたので、つぎに「イスラム人民戦士機構」の話を。
 「イスラム人民戦士機構」は、いろんな言葉で訳されますが、「ムジャヒディン・ハルク」という名が一番有名でしょう。
 イスラームマルクス主義を融合させる立場をとり、イランの現体制の打倒を目指す武装組織です。イラン革命では反王政運動に加わりますが、ホメイニたち宗教勢力による弾圧のため、反体制組織となります。イラン・イラク戦争ではイラク側に協力するなど、その軍事的拠点はイラクにありました(ただし、2003年にイラクから追放を受けています)。
 なお、ロバ中山「アンチ西洋的書評 第1回」での瀬木耿太郎『中東情勢を見る眼』への書評には、「全盛時代のシャー(国王)と生命を賭けて闘い、ようやくそれを打ち倒したのは、ムジャヒディン・ハルクやフェダイン・ハルクの若者たちであった」と書いてあります。こちらの知る限り、少なくとも、ホメイニ等の勢力一派だけでなく、左派をはじめとする多様な勢力によって革命が成功したのは、紛れもない事実です(桜井啓子『現代イラン』等を参照)。 (本件詳細、「モジャーヘディーネ・ハルグ」『 Wikipedia』も参照。)


(続く)


(追記) ムジャヒディン・ハルクについては、興味深い記事があります。「M さんのこと」(『弱い文明』様)です。この記事では、ムジャヒディン・ハルクのサポーターでもある在日イラン人Mさんが、とりあげられています。
 そして、以下の言葉は重要です。

 せめて日本が「難民の地位に関する条約」に加入していながら、先進国中、難民人定数が群を抜いて少ない*、ことくらいは知っておかねば。ソマリア沖に軍艦など派遣するより、はるかに国際貢献になり、日本自身のステイタスを高めることにもつながるのに、それをやらないでいる政府は日本人の利益を阻害しているのだ、ということを。

 改憲が「普通の国」を目指すというなら、まずこの点をこそ、「普通」な制度になおすべきだと思うのです。