インタゲ成功のための制度的保障 岩田規久男『日本銀行は信用できるか』(2)

■ベース・マネーとマネー・サプライの間■

 中央銀行総裁が自らの金融政策の効果を殺ぐような発言をすることは自殺行為である。 (104頁)

 これこそ、日本におけるいかなる金融政策もが、デフレ期待のまま動かなかった理由の最たるものといえましょう。自分の足で自分の足を引っ張っている、と。そりゃあ、自分たちは無力です、っていいふらしていれば、期待する人もいなくなります。とにもかくにも金利を利上げしたがっていれば、その影響でデフレが促進されるのも無理はありません。
 また、「日銀流理論」(日銀の責任を問われると、「それは日銀にはどうしようもない外部の経済活動によって引き起こされたものである」というように、「日銀には責任がないことを論証する」という日銀のご都合主義理論)については、「岩田規久男著『日本銀行は信用できるか』を読んで」(『Irregular Economist 〜hicksianの経済学学習帳〜』様)も言及されています。
 アマゾンの書評には、「岩田氏の主張では「ベース・マネーの増加=マネー・サプライの増加」という直線的な関係を仮定しています。」とか書いておられる御仁もいる模様です。これについては、「『日本銀行は信用できるか』アマゾン書評について」(『廃星blog』様)が応答しています。
 少なくとも、「人が根強いデフレ期待を持っている場合、それをインフレ期待に転換できなければ、理論的にはデフレからいつまでたっても脱出できなくなってしまうのですね。(略)ベースマネーが増えても、マネーサプライが下がることによってインフレ効果が打ち消されてしまうのです。」と「インプットとアウトプット」(『株日記』様)もいっておられるように、「期待デフレ/期待インフレ」を介在させて考えるべきでしょう (結構これを忘れて議論される方が多いみたいですね。だれとはいいませんが。)。(注1)(注2)
 もちろん、わかっている人でも、インタゲの効果に懐疑的なご様子です。本書はそんなインタゲの本当の姿と、インタゲを含む金融政策の正確な実行のための方法を書いてくれているわけです。特に、期待デフレ脱却のために、他国の(先進国の)中央銀行がやってきたことに、学ぶべきでしょう。歴史を学ぶとは、他国の歴史を学ぶことでもあることを、忘れちゃいけません。

インフレターゲット政策に必要な、制度的保障■

 インフレ率が短期的に目標の上限を超える可能性があっても、急激な金融引き締めが産出量を大きく変動させたり、失業率を大きく上昇させたりする可能性が大きければ、インフレ率が短期的に目標の上限を超えることは許容される。目標インフレ率は短期的にではなく、中期的(概ね、一年半から二年)に達成する目標である。 (158−9頁)

 「インフレをたとえば+2%とか(ゼロでもいんですけど)に抑えるって、至難の業じゃないですか?」という素朴な質問をされる方もいらっしゃるようですが、「中期」っていえば、納得いただけるでしょうか。「中期」であることを忘れて、こういうことを平気で書いておられる人もいるようで。()
 インタゲにおいて重要なのは、ちょうどいいインフレ率(1〜3%)の持続をきちんと、約束することです。(注3)それも、「中期」においてです。そして、約束が守れなかった場合は、政策を行ったトップに、説明責任が生じます。ただし、説明責任というのは、

 説明責任とは説明する責任があるという意味ではなく、その説明が説得的なものでなければ、中央銀行総裁をはじめとする政策委員会のメンバーの辞任あるいは免職を伴うものでなければならないという意味である。 (173頁)

 以上のような厳しいものです。イングランド銀行の場合、短期でも、インフレ率が上下パーセント以上目標より変動すれば、すぐ説明責任の問題になるそうな。いやはや、厳しいです。イングランド銀行の人たちが「日銀流理論」を知ったら、なんというでしょうかね (もう知ってるんでしょうか?)。
 首を賭けて、政策を行う。ゆえに、その言葉には重みが増すのです。数字だから、きちんと結果が出る。そこに応答する責任を求められる。この簡潔さも、政策のキモです。

(続く)


(注1) インタゲ批判記事である藤沢数希「勝間さんのインフレ政策を実行するとどうなるのか」に対しては、「結局、みんな過去の偉大な経済学者の奴隷というわけです。」(『Baatarismの溜息通信』様)の批判がきちんとしています。
 なお、リフレ派のなかにも、財政政策との併用を認めている人はきちんといます(むしろ多数派?)。例えば、「上記の金融政策が効果を発揮するまでには時間がかかるので、1年程度は財政政策で需要を創出する。」という「池田信夫さんの「リフレ派全滅」説を読み解く」(『趣味Web 備忘録』様)の記事をご参照ください。
 リフレをやるとスタグフレーション(物価は上昇しても不況のままという状態)になるじゃないかという反論に対しては、「余は如何にして利富禮主義者となりし乎」(『archives of BI@K』様)が、「現在の日本における通貨供給増による物価上昇は、 (略) スタグフレーションが発生するおそれはほとんどない。」と簡潔に理由を説明しています。

(注2) 「市中銀行の貸出し態度によってマネーサプライの大きさが決まり、それに見合うように日本銀行ハイパワードマネーを受動的に供給するしかなく、マネーをコントロールすることはできない。/日銀は有効な金融政策をとれるのだろうか?」という心配をされている記事もあるようです。「そもそも日銀はマネーをコントロールできるのか? 」(『政府紙幣を考えるブログ』様)です。
 この点については、「金融システムが比較的健全な日本の現状を考えれば、金融仲介機能の低下によって信用創造が十分に働かないがために貨幣乗数が低下している、という可能性は低いと考えられる。」という見解を、「日本経済の実物的側面は改善する一方、デフレの定着は明確に」(『ラスカルの備忘録』様)はお持ちです。むしろ、この記事の見地を踏まえれば、「金融緩和政策の現在、および将来に向けたコミットメント」によって、期待インフレ率を上昇させる(=実質金利の低下)ことで、貨幣乗数を高める方策が望ましいでしょう。
 実際、浜田宏一ほか「信用乗数の変化はいかに説明できるか」という論文では、「80年代,90年代ともに期待インフレ率の動向が信用乗数に影響を与えている」と述べられています。また、「90年代の信用乗数低下を寄与度別に分解すると,家計の現金保有性向上昇の寄与は極めて大きい」とおっしゃっているので、信用乗数の問題は、「新しいマネーの形態」云々というよりも、貨幣の流動性に関る事柄と見るべきではないでしょうか。

(注3) 安達誠司『円の足枷』とかを読めばわかるように(岩田先生も書いてましたよね?)、2003-06までの日銀の量的緩和政策は、あくまでも対外政策上、財務省がいやいや行ったものです。いやいやなんです。これじゃあ、期待インフレなんて、期待できません。やはり、中央銀行などが市場へ明確に、「インタゲやるよ」、「我々の首を賭けますよ」位のことをやる必要があるわけです。
 ここでは、リフレ政策自体のメリットについては書きませんでしたが、それについては専門家の飯田泰之さんが、「FAQ「デフレ以外にも問題があるんではないの?」」(『こら!たまには研究しろ!!』様)でお書きになられていますので、それ以降の立論も含めご参照ください。