イタリアにだってマイノリティはいます ファビオ・ランベッリ『イタリア的考え方』(2)

■イタリアにおける多様なマイノリティ■

 イタリアには(略)イタリア文化圏に属さない、異民族のイタリア人も住んでいるのである。 (82頁)

 よくよく考えたら、イタリアにもマイノリティはいるんです。
 ざっと見ていきましょう。まず、シチリアサルディニアの両特別自治州。
 シチリアでは、くせの強いシチリア語(シチリア方言)が話されています。「シチリア弁 その1」(『イタリア料理留学日記』様)によると、「シチリア語」も街によって違う」らしいほどに言語の多様性があるそうです。サルディニアの場合、イタリア語のほか、サルディニア語(サルデーニャ語)も話されています。農村部で、日常語として話されているようですが、衰退しているという話です。その他場所によっては、コルシカ方言などもはなされていて、こちらも言語の地方色が大変豊かです。(注1)過去のいきさつから、島のアルゲーロという土地には、カタルーニャ語話者も住んでいます。
 オーストリアと国境に近いフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州では、70パーセントの人が、ドイツ語を母語としていますオーストリアに帰属していた歴史が長いため、「住民にはドイツ語を母語または第二言語とする者が多い」のです(「フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 Wikipedia」)。また、「フリウリ語やドロミティ・ラディン語の話者が居ることでも」知られています。
 トレンティーノ=アルト・アディジェ州にはドイツ系の「南チロル人」と呼ばれる人々が住んでいます。第一次世界大戦まで、オーストリア領だったため、ドイツ語を使用する住民が多数派です。ムッソリーニの時代、国民化政策は厳しさを増し、ドイツ系住民たちのうち「約7万人の南チロル人が 1943年夏までにオーストリアへと強制移住させられました」(「駅の近くの「南チロル広場」」(『オーストリア散策』様))。その後、テロ活動を含む抵抗運動を経て、自治権を条件にして、南チロル人のドイツ系住民たちは、イタリアへ帰属することとなります。
 フリウリには、スロヴェニア人住民も住んでいます。国境近くであるためです。「フリウリ-ヴェネツィア・ジュ-リア州 州別観光」(『ジャパンイタリア・トラベルオンライン』様)「ユーゴスラビアとの国境が正式に確認されたのは1975年と新しい。お隣のスロベニアには現在もイタリア系住民が住んでいるしその逆もしかりである」とのこと。
 北西のヴァッレ・ダオスタ州にはフランス語の方言をしゃべる住民がいます。フランスとも国境を接しており、州の公用言語はフランス語とイタリア語です。ピエモンテには、プロテスタント系のヴァルデーゼ共同体というグループも存在しています。
 全国的には、ユダヤ人やジプシーたち、そしてその子孫が暮らしています。歴史家のカルロ・ギンズブルグも、小説家である母ナタリーの父(カルロの祖父)がユダヤ系であるため、ユダヤ系の子孫にはいるでしょう。プリーモ・レーヴィも忘れてはいけません。16世紀から17世紀にオスマン・トルコから逃げてきたアルバニア人なども、暮らしています。
 ざっと挙げてみましたが、イタリアというのは、歴史的・地理的背景もあって、非常に言語的・民族(エトノス)的に多様な場所です。「イタリア」と聞いて連想してしまうイメージを、一新させるに十分な多様性を持っています。

■イタリア方言の実際■

 各地方民間テレビの多くの番組は、方言あるいは方言的なイタリア語を使っているのである。 (92頁)

 国営は違うそうですが、民間では そのくらいイタリアの地方色は強いです。その強さは、上で紹介したような言語的・民族(エトノス)的多様性も関係しているはずです。国の統一されるまでが遅く、しかも日本のような強い中央集権体制を作れなかったことが、このような言語的多様性を生んだ原因でしょう。
 政府が何とか標準語としてのイタリア語を広めようとしても、このような現状であるわけです。むしろ、標準イタリア語は、トスカナ州の「上流階級の話し言葉」から来ており、極端に言えば、イタリア人にとってイタリア語は、リンガ・フランカだ、というのが著者の意見です(88、89頁)。 
 ただし他のサイトには別のことも書いてあります。例えば、「イタリア猫の小言と夢  N.3」という記事を読むと、「TVの影響とともに、イタリア各地で方言は話されなくなり、60%くらいの学生は方言を家庭でも話さなくなっているという時期が続いたのですが、最近はまた伝統の振り子が戻ったというのか、方言を勉強して使おうという州政府も現れました」と書いてあります。ナポリヴェネツィアのように方言に強い愛着を持つ地方もあれば、そうでない地域もある、というのが実情ということでしょうか。

(続く)


(注1) 陣内秀信「自著を語る38」(『地中海学会』様)によると、「サルデーニャの二つの文化圏では,町の構造にも,家のつくりにも,生活スタイルにも,大きな違いが見られる」とのこと。詳細は、本文及び、陣内秀信・柳瀬有志著『地中海の聖なる島 サルデーニャ』をご参照ください。

2010/4/25 改題済