リフレ政策が「【世界の】常識」であるということ  【短評】

熱帯夜に、「アンチ・リフレ派」をからかってみる -「上手い話」じゃなくて「常識」です-」の続きです。

 リフレ派の主張って言うのは、「上手い話」じゃなくて、いわば「常識」なのです。プロトタイプな「アンチ・リフレ」発言する人というのは、「常識」のない人たちだから、「上手い話」と「今すべきこと」の違いがつかないんでしょうな。(━_━)ゝ

 前回、そう述べました。しかし、この「常識」という言葉に反発した方もおられると思います。「世界の常識」の方が、より適切だったかも。やはり言い過ぎたような気もしますが、ちょっと言い訳してみましょう。

 「常識」とは、『日本大百科全書小学館)』曰く、

ある社会のある時期において、一般の人々がとくに反省することなく当然のこととして共通に認めている意見や判断のことであり、その社会の歴史のなかから自然に形成される。したがって常識というとき、なんらかの立場や方法論を前提し、しかもそれを自覚して成立する判断であるところの学問的な知識と、しばしば対立させて使われる。

だそうな(出典は、こちら)。重要なのは、無反省に、共有されている意見や判断であることです。
 「無反省」という点が重要です。常識というのは、何かを考える際にまず最初に出てくる判断、です。例えば、「自分の名を先に名乗るのが礼儀だ」というのは、そのほとんどのケースでの正しさにおいて常識ですが、状況によっては、自分の名を後に名乗る必要のある場合もあります。「内線電話の一斉呼出」のケースなどです(出典は、ここ)。
 つまり、常識とは、「その大体のケースの正しさゆえに、まず最初に洗濯される判断」なのです。
 で、リフレ派の提唱する政策というのは、諸国で既に、リフレ政策の中でも、インタゲ政策が実用化されている、という共時性があります。インタゲを採用しない国はありますが、中央銀行が、自分自身の無力を喧伝して、事実上「リフレ政策」を否定するのは、わが国だけでしょうよ。その点では、「大体のケースで正しい」といえるでしょう。この点で、これは十分「世界の常識」です。リフレ政策とは、まず最初に方法として考えるべき事柄なのです。
 もちろん、世界はともかくとしても、日本においてリフレ政策が正しくない(有効でない)という可能性もあります。「世界の常識」でも、現代日本のケースではリフレ政策は有効でない、というのが日銀理論ですね。しかし今回のケースでも、リフレ派の唱える政策は有効である、とこちらは判断しています。詳細な根拠は、既に前回書きました。

 以上から考えると、正確には、リフレ政策は「世界の常識」であるといいなおすべきかもしれません。
 結論。リフレ政策は、「世界の常識」であり、まず検討すべき政策です。そう意味で「常識」です。そんな「常識」を「上手い話」なんていっていると、無駄な骨折り人生になってしまいますよ。