政教分離よりも、信仰と信条の自由を! -キリスト者よりも、「自由の敵」を相手にすることに関する試論-

 「日本は実は政教分離を欧米よりずっとはやく導入していたという説もあります」というコメントをいただいて、紹介された先の記事を見ました。
 「福沢諭吉・新渡戸稲造・丸山眞男・森田明彦に見る、西洋コンプレックス型日本知識人の特徴」 です。
 
 そのうち、鎌倉〜江戸期までの日本宗教に関する記述は、以下のようです。
 【鎌倉幕府という武家政権が、朝廷という祭政一致勢力を破って幕府の統制下に置いたのがはじまりで、江戸時代の寺社奉行においてそれが完成され、世俗に介入しようとする神道、仏教、キリスト教の勢力を思いっきり弾圧して、武家政権の統制下においてしまった。】このように要約できる流れ自体は、決して間違っていないものと思います。
 無論のこと、本当に重要なのは、政教分離という制度ではなくて、信仰・信条の自由です。ここを忘れた政教分離云々の議論は、議論として不適当でしょう。政教分離をしていても、信仰の自由や、信条の自由が著しく侵害されている国は、いくつもあるのですから。実際、江戸期は、仮に政教分離はしても、信仰の自由はあったかどうか、ということです。
 (また、本当に政教分離だったか、という反論もあるようです。 「戦乱の時代、日本には大名から庶民、インテリ禅僧から真宗門徒にまでゆるやかに共有されている「日本教」が存在した。それは、人間の運命を司る超越的な摂理、すなわち「天道」に対する誠実さを内心に磨きつつ、この摂理の見えない働きでもある神仏を分け隔てなく等しく尊崇していくという信仰形式であった。(略)この「天道」をめぐる思考はいわばひとつの「市民宗教」として、近世社会の形成を下支えしたのであった。」という神田千里『宗教で読む戦国時代』の見解もあるようですし。(注1))

 その記事を読んでいるうちに段々、これまで漠然としていた自分の宗教に関する理解が、少し整理できたように思います。これまで書いていた自分の宗教に関して書いてきたことも、有機的に頭の中で構築できて来ました。
 そこで今回、他人様のブログを出汁に使ってしまう形ですが、自身の宗教に対する観点を整理する意味でも、以下に、これについて思うところを記したいと思います。結構辛辣に書いておりますが、無論記事を書かれた方に恨み等一切ありませんし、むしろこういったきっかけを作っていただいたことに感謝いたしております。
 以下、括弧付けされているものは、そのブログ様の記事で、それに対して下部に、注のようにこちらの見解を記したいと思います。 


 「ヨーロッパ型の知識人は、特権階級の一端を担う、キリスト教の高位聖職者と戦うという名目があり、それ故に一般人からの需要があり、また一定以上の尊敬を勝ち得ることができた。」
 「たとえば革命前のフランスでは、聖職者は「第一身分」と呼ばれ、フランス全土の約1割の土地を所有し、国王でもおいそれと手が出せる集団ではなかった。だから、宗教的な迷妄と戦う知識人が誕生し、博物学を根拠とした啓蒙主義を展開する意味があった。」

ううん、「一般人からの需要があり」という具体例が分かりません。そもそも「一般人」って誰でしょう。ブルジョアジーとか市民社会とかいった視点が必要になります。
 あと、フランスの聖職者が「国王でもおいそれと手が出せる集団ではなかった」のは、カトリック教会が背後にあったからだと思います。国王とカトリックは、当時、一応の協力関係にあったわけだし。
 もっというと、「宗教的な迷妄と戦う知識人」って、具体的に誰でしょう。日本近代史に関する記述は具体的ですので、ここは重要になるはずですが。ヴォルテールは理神論でしたが、「迷妄」でしょうかね。
 以上、所々に穴があります。「西洋」という像が、いまいちはっきりしていないのが、全体的な印象です。こういった議論の前提がゆるいためか、いまいち理解し切れません。

 「来世(宗教勢力)より現世(武家勢力)が常に優越していれば、宗教団体が来世についてあれこれ訴えても集客=信者増加は見込めず、現世利益にウエイトを置いた教団運営をせざるを得ない。戦争が起こらず、大量の死者が発生しない状況=江戸時代ではなおさらだ。」
 「大多数の日本人にとって、宗教の価値は現世利益の多少で決まる。これが分からないと日本人の宗教観は理解できないし、また、日本国内で宗教に拘泥する、自称「宗教を深く理解している」人達の大半は、これが理解できない。それどころか、日本人は宗教の本質を理解していないと批判する。阿呆である。」

 具体的に、「現世利益」って何なのでしょう。まじないや、祈祷、占い、げんかつぎ、さらには結婚に祭りなど、キリスト教にも現世利益くらいあるでしょう。来世の存在についても、それくらい日本の仏教にも、最低限存在するでしょう。地獄とか。
 そもそも、「宗教団体が来世についてあれこれ訴えても集客=信者増加は見込めず、現世利益にウエイトを置いた教団運営をせざるを得ない」のは、西欧のキリスト教の歴史を通じておおよそそんなものです。「来世」やら宗教の教義だけでついていくひとは、限られた少数の知識人だけでしょう。大多数の西欧の一般人にとっても、宗教の価値は現世利益の多少で決まるでしょう。
 だから教会は、「来世」も「現世」も、両方担当してたんでしょう。冠婚葬祭一切に関り、人々の生活に密着した形で、キリスト教は西欧に存在するはずなのですが。「来世」云々は、そういった生活のかかわりの中で存在するものの一つのはずなのです。
 なお、現在の宗教学では、「日本人は宗教の本質を理解していない」という議論自体が、疑われています。


 「ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティに対して、/「天地万物を創造したデウスがいるというなら、デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。デウスが自ら成り出でることができるものならば、天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」/と冷笑を浴びせたが、これは当時の一般庶民の考え方とそれほど相違がない。白石は「天地は自然発生した」と言っているわけで、シドッティよりも遥かにリアリストで、キリスト教は今風に言うとカルトにしか見えなかった。」

 このような論駁は新井白石のような知識人だからいえたことであって、「当時の一般庶民の考え方」なんて、たいしたものじゃないと思います。下手をすると、何も考えていなかったでしょう(←偏見交じり)。
 確かこういう反論って、仏教側が戦国期に、対宣教師用に用意していたような気がするけど。まあ少なくとも、白石は「キリスト教は今風に言うとカルト」などとは考えなかったでしょう。でなければ、熱心にシドッティの話を聞いたかどうか。

 「一方のアメリカだが、こちらは建国の理念が反英だったため、宗教勢力が英国国教会を反面教師とし、全ての宗教団体が在家信徒で構成され、封建的な権力にならなかったという経緯がある。」「これでは、やはり宗教権力VS知識人という対立構造は生まれない。」
 「ヨーロッパ型の知識人の大多数は、合理主義を追求した結果として土着主義、特に宗教と対峙して普遍性を目指すが、アメリカ型の「なんちゃって知識人」は概ね「土着万歳!」になり、そこから抜け出せない。」

 歴史的経緯から、アメリカがプロテスタントを中心とする各教会(宗派)の独立性を重んじているのは事実ですが、「宗教権力VS知識人」って、いったい何なのでしょう。具体的なことがさっぱり分かりません。
 アメリカ知識人=「土着主義と合理性が乖離」で、ヨーロッパ型の知識人=「合理主義を追求した結果として土着主義、特に宗教と対峙」という理解らしいのですが、「合理主義を追求した結果として土着主義、特に宗教と対峙」という記述からして、なんか違う気がします。
 M・ウェーバーとか、あるいはブルックの『科学と宗教』とか見ると、キリスト教の合理性から、科学は生まれたっぽいですし。そういう傾向は、米欧限らず存在していたと思います。理解の前提からして、間違いがあるような気がします。

 「福沢は「俺は宗教なんて信じない」と言っているにもかかわらず、天皇制=神道がOKなのがこれで、要するに江戸時代に支配的だった儒教文化は否定したいのだが、だからといってクリスチャンになる気はさらさら無いから、キリスト教国から先進技術や行政制度は頂くが、キリスト教の精神は(カルト以外のなにものでもないから)お断り、という姿勢なのだ。」

 福沢の時代、少なくとも初期は、神道は宗教の枠内にすら入らせてもらえなかったのですが(例えば、山口輝臣『明治国家と宗教』を参照)。あと、福沢の天皇論は文化的象徴という扱いで、これはバジョット『帝室論』の模倣です。当時の神道は、宗教以下の扱いであって、少なくとも福沢にとっては、「天皇制=神道」は、ないですね。あと、「江戸時代に支配的だった儒教文化」というのは、武士階級のみに当てはまる事柄ですので、ご注意を。
 『文明論之概略』によると、彼はキリスト教自体はほめてますが、日本人がそれを国教にしたりするのは、ナショナリズムとの関連もあって否定してたはずです。一応褒めていたので、「(カルト以外のなにものでもないから)」というのは、少なくとも正しくないものと思います。

 「近代的な=欧米風の教育を受けられるという「現世利益」があったから、多くの日本人がキリスト教に入信したのである。」

 というのは、実にキリスト者に失礼な発言でしょう。ちなみに森は、「スウェーデンボルグを信奉するキリスト教神秘教団に惹かれ、米ニューヨーク州の教団コロニーで1年を過ごす。この森有礼から新島襄、クラーク博士、内村鑑三新渡戸稲造などにつながり、キリスト教をベースにしたエリート教育のネットワークが広がっていく」という流れだそうな(注2)。「現世利益」だけではないご様子です。

 「この一件で内村叩きの中心となったのが、政府の御用学者で哲学者の井上哲次郎だった。彼は国家の宗教に対する優越性を主張する国家主義者、つまり伝統的な日本人だった。」

 しかし、「国家の宗教に対する優越性を主張する=伝統的な日本人」という漠然とした図式的理解は、どうなんでしょ。「国体論」という天皇制的イデオロギーが背後にあったりするので、「伝統的」とはいえないでしょう。「国体論」自体の起源は、江戸時代の後期水戸学にあるはずですので。

 「井上と対立したのが日本基督教会の植村正久で、こちらは「我輩の教会に車夫、職工の類はいらない」と放言し、上流階級のみにキリスト教を広めるような人物だった。」

 まあ、Wikipediani曰く、「植村正久の師であるサミュエル・ロビンス・ブラウン宣教師も「伝道は急務である。しかし無学な者が伝道するのは害がある」との持論を持っていた。」らしいので、師匠譲りなのでしょう。
 なお、「日本基督教会の植村正久は、キリストの肖像や聖書でさえ礼拝の対象としないプロテスタントは、教育勅語を礼拝することはないと断言します。さらに植村は、御真影勅語への礼拝は、文明に反する時代錯誤だと喝破しました」というらしいので、ここら辺は汲んであげましょう(注3)。
 そもそも、キリスト教が日本に流行ったのは、まず武士階級で。
 柄谷行人による『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』評にあるように、「徳川日本で、儒者は学者でしかない が、(李氏)朝鮮では、儒者は誕生から死に至るすべての儀礼をつかさどる。つまり、日本でいえば神主と僧侶を兼ねているのである。このような「儒者」が「牧師」になったとしても不思議ではない。他方、日本ではどの宗教も包括的ではありえなかった。キリスト教は、誕生と死にかかわる具体的な習俗から離れて、文学・芸術・学問の領域で存在してきた」。というわけで、その結果、棲み分け上「文学・芸術・学問の領域」を担当する武士階級のみに、受け継がれたのでしょう(注4)。 
 日本において、「誕生と死にかかわる具体的な習俗から離れて」いた存在こそ、キリスト教だった。なら、一般庶民が影響を受けないのはむしろ道理です。西洋コンプレックス云々は、ここのところが震源かも。


 以上、ざっと見てきましたが、整理(?)すると、
 ?大多数の西欧の一般人にとっても、宗教の価値は現世利益の多少で決まるでしょう。教会は、冠婚葬祭一切に関り、人々の生活に密着した形で、西欧に存在するはずです。「来世」云々は、そういった生活のかかわりの中で存在していたはずなのです。
 ?現在の宗教学では、「日本人は宗教の本質を理解していない」という議論自体が、疑われているのが現状です。
 ?M・ウェーバーとか、あるいはブルックの『科学と宗教』とか見ると、キリスト教の合理性(合理的側面)から、科学は生まれたっぽいです。必ずしもキリスト教と合理的な科学は矛盾していたというのではないです。
 ?日本では、キリスト教は、誕生と死にかかわる具体的な習俗から離れて、文学・芸術・学問の領域で存在してきた結果、武士階級のみに、受け継がれたと思われます。

 このような視点の重要性について、このブログでは、中村圭志氏の著作への評を通じて行っております。できましたら、ご一読を。本稿の理解に、絶対役立ちます。重要な点は、宗教を、身体とか生活とか、そういった非観念的な観点から見つめなおすことです。

 最後に、『西洋コンプレックス型』知識人云々について。「日本で知識人、つまり知識により人々を善導しようと言う欲望を持つ人は可哀想だ。何故なら、日本とアメリカでは、ヨーロッパ的な意味合いでの知識人が必要とされないからだ。」とのことですが、結局こちらにはほとんど理解できませんでした。理解力足りないのかもしれませんが。
 どうやらこの記事は、森田明彦氏への批判を目指して書かれたようです。しかしこの記事の内容では、森田氏への論難は到底難しいものと思います(一応あっちは、C・テイラーとか研究してるプロらしいですし)。「福沢諭吉新渡戸稲造丸山眞男」だの「西洋コンプレックス型日本知識人」だのは放り出して、森田氏論駁のみに注力すべきでしょう。もし彼にレッテルを貼るのなら、「西洋コンプレックス」云々ではなく、ひとこと「自由の敵」で十分でしょうし。

(おわり)


(注1)Amazonでのソコツ氏による『宗教で読む戦国時代』評より

(注2)「「学級の歴史学」:モニター制度から年令別の修身教育へ 」『ヒロさん日記』様より。
 上記記事には、「“カルト”一派で1年間の集団生活を送った森だったが、彼自身もキリスト教各派の相違について徐々に理解が深まっていたのであろう。」という記述があります。「カルト」なので、「現世利益」だけじゃないのは分かりますよね(笑)
 なおWikipediaによると、「神秘主義者への転向はあったものの、スウェーデン国民及び王室からの信用は厚く、その後国会議員にまでなった。国民から敬愛されたという事実は彼について書かれた伝記に詳しい」というかなりの信任振り。確認しますが、スウェーデンもヨーロッパです。

(注3)山口陽一「日本キリスト教の足跡を追って ?」より引用。

(注4)公式ウェブ掲載の、柄谷による『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』評より


(あとがき) 本稿は、あくまでこちらの気の向くままに書いたもので、やはり学的な正確さに欠け、全体像もちゃんと描けてません。
  宗教という概念自体を問い直しつつ、日本近代の宗教の行方を追った著作、磯前順一『近代日本の宗教言説とその系譜 宗教・国家・神道』は、その面で必読でしょう。これについては、島薗進氏による書評も含め、ご参照いただきたいところです。