バルザックとフローベルの文学観 -世界を丸ごと貪ろうとした人/散文によって世界から自立しようとした人 工藤庸子『砂漠論』(3)

バルザックフローベール、小説観が違いすぎる■
 先に、バルザックフローベールは、両人ともに脚フェチだよという話をしました。しかし、この二人、小説の作法がまったく違います。かたや、濫作も構うまいといわんばかりに書きまくる仕事の速いバルザック、かたや、書いては推敲し年月を文章に落とし込むように書いていった比較的寡作のフローベール
 小説観もまったく二人は違っていました。フローベールの小説の理想は、自分の主観を小説の文章に介入させず、作品世界の裏に己を潜在させていることでした。そのために、彼が『ボヴァリー夫人』完成に当たって、具体的な描写など削いで文章を切り詰めていったことは良く知られているものと思います。彼は、作品の中に遍在する不可視の存在たろうとしていたのです。そして、その作法に対して、バルザックは、自分の身元、正統王朝派のカトリックで貴族主義者あることを隠さず、作品にずけずけ介入しているとして、フローベールは批判的でした。(確認しますが、フローベールは、バルザックより後年の人です)
 実際バルザックは、自身の恋愛小説の中で、特権階級の居住する地区の政治史的・社会史的考察を開陳しちゃったりしているのです。彼は、自分が小説において、隠れるつもりはありません。うるさく介入します。しかも、描写もうるさいときている。彼の人物描写の過剰さは、スタンダールなどと比較するだけで十分でしょう。
 しかし、何故そんなものをバルザックは書いてしまうのか。バルザックにとっての文学は、法学・政治学歴史学社会学・哲学・心理学などの領域を囲い込む、大規模なものだった、と著者は言います(210頁)。後世のフローベールにとって文学が、「世界を前にした散文の営み以外のものではありえなかった」のに対して、まさにバルザックは、『人間喜劇』という全体性を、世界を丸ごと描こうという途方もない野心を抱いていたのです。二人の才能は、各々別の道を行くのでした。
 バルザックはその文学において、世界を丸ごと貪ろうとし、フローベールはその文学において、散文によって世界から自立しようとしていたのです。

■レジティミストなバルザック。で、レジティミストって何?■
 さきに、バルザック正統王朝派で貴族主義者と書きましたが、これらはいったい何を意味しているのでしょう。
 正統王朝派とは、レジティミストといい、ブルボン王家の正統な嫡子の家系を支持する一派のことで、傍系のオルレアン家を支持するオルレアニストと区別されます。後者は、ルイ・フィリップ七月王政を見て分かるように、裕福な市民層の支持を得ていました。
 貴族主義者というのは、自分の身分は関係なく、貴族が特権階級として国を支配するべきだという立場です。貴族に任せて大丈夫かよという声も聞こえてきそうですが、当時一般庶民は政治参加をする資格なぞないと見なされることが大抵でしたし、政治は専門家に任せるべきだというのが道理なら、政治の専門家として貴族が支持されても無理はありません。また、貴族階級に政治を任せて国王の専制を防ごうと考えた面もあります。
 バルザックスタンダールの小説に良く出てくる、ユルトラという存在もいます。(注1)これは、フランスの大革命を否定するのみならず、1814年にルイ18世が発布した欽定憲章をも拒むという意思表示をした王党派の一派のことです(212頁)。なんとルイ18世という現在の国王の新しい政治方針にも距離を置くという、かなり守旧的な立場です。この一派である上流貴族階級(『ランジェ公爵夫人』にでてきます)は、やがて歴史の表舞台から姿を消し、代わりに新興ブルジョア知識人層が時代の主役となるのです。なお、バルザック自身は、レジティミストとして、ブルボン王朝の立憲王政を支持しています。
 そんなバルザックですが、実は、レジティミストのはずなのにナポレオンのような英雄好みでもありました。ナポレオンが好きだったのです。こんな嗜好を持ってしまうところ、これは、かれの小説の面白さに繋がっているのでしょう。いい意味で節操がない。エンゲルス社会主義者たちも賞賛した彼の小説の面白さは、ここにあるように思います。

(続く)


 (注1) 文人シャトーブリアンもユルトラだったことがあります。Wikipediaの記述によると、「ナポレオン没落後、ブルボン王家を支持した(1815年)もののルイ18世の政策を批判して嫌われ、過激王党派(ユルトラ、次代の王シャルル10世を支持する)に加わる。しかしベリー公暗殺事件後、王とよりを戻しプロイセン大使、イギリス大使、そして外務大臣(1822年 - 1824年)を歴任した。」とあります。