新聞が滅びるとか騒ぐ前に、「一般人の反論権」と「新聞社内部での発言の自由」を認めろ -ブクマを振り返っての感想-

「フランスの考え方は、表現におけるメディアの自由ではなく、個人の自由ということです。個人の自由を最大化するために、メディアは国がコントロールすべきものと考えています。少数派に発言権を与えるために、弱い新聞を公的支援で助けるわけです。ところが、日本では、メディアの自由ばかりがまかり通っています」
フランスでは、公的支援については、一般人の反論権を認めること、新聞社内部での発言の自由が与えられていることが条件だという。これに対し、日本の新聞社では、こうした条件が満たされていないと指摘する。
「明らかに、一般人の反論権を受け入れていません。トップが政権の大連立を唱えたら、それ以外の発言は許されない。意見は上層部で決め、トップが政治家と会うなど権力と癒着しています。日本の新聞は、公器ではなく私物になっているのですよ。記者クラブや社員の高給など、新聞社に特権があることも公的支援になじみませんね」

 上は、青山学院大の大石泰彦教授の論(「「苦境の新聞に公的支援を」 毎日の識者コメントに異論」『J-CASTニュース』)。
 新聞社は、自分たちが"弱者"ではなく、強者であるという自覚が必要でしょう。
 上の"メディアは国がコントロールすべきもの"という表記に、違和感があるかもしれません。しかしこれは、国家が中間団体から諸個人を解放した、という大革命時代以降の仏国の流れを考えれば、むしろ当然な事柄です(詳細は樋口陽一先生の所論をお読みください)。
 「日本では、メディアの自由ばかりがまかり通っています」という点については、まあ、記者クラブ制度での"やりたい放題"を見れば分かることです。
 そして、そのマスメディアが妨げているのが、「一般人の反論権」と「新聞社内部での発言の自由」なわけです。マスメディアの中でも、上層部がやりたい放題。まさに"私物"です。
 新聞が滅びるかどうか、ということは良く論議されますが、とりあえず新聞社側は「一般人の反論権」と「新聞社内部での発言の自由」を認めるべきでしょう。それもしないのに、公的支援とかやるようならすぐに潰れるべきでしょう。記者クラブ制度のような"独占"をやってる割に、市場の競争をネオリベ的に煽る体たらくも当然やめるべきでしょう。
 新聞が公器であるという建前があるなら、最後までそれは守るべきなのです。

(終)