連帯保証人制度 ぷんすか(ω)、あるいは「連帯」なき国の「連帯」的隷属 吉田猫次郎『連帯保証人』

某年某月某日

 なにやら、連帯保証人制度について話題になっているらしい。残念ながら本制度について知っていることは少ない。
 でも昔、読んだ本の、メモしたものがあった。吉田猫次郎『連帯保証人(宝島社新書)』。なので、これを以下に記してみたい。
 それにしても、「連帯」などない国において、「連帯」の名前の付く制度が無惨に人命さえ奪うとは、いったいどうなっているのか。

■連帯保証人制度は日本独特なのかどうか■
 連帯保証人制度。これは日本独特のものか。
 融資の際、金融機関が「個人保証」を取るのは世界中に存在する。しかし、「催告の抗弁権」も「分別の利益」もみとめられない、主債権者と同等の責任を負うような個人保証制度を持つのは、日本だけである。
 
■じゃあ、アメリカはどうなのよ■
 確かにアメリカの場合、融資の際、個人保証は存在はする。ただし、企業が役員でも株主でもない第三者に個人補償してもらうケースは稀だという(62頁)。さすが、「自己責任」の国、というべきか。
 そもそも、米国の場合、日本と比較して、銀行の借り入れに依存する割合が低い。資金調達は大抵、投資など直接金融中心。
 しかも、個人補償するのはほとんどの場合、経営者自身。交渉次第では、全額保証でなくて、半額の保証とか、7割のみ保証とか、柔軟な対応は可能らしい。

■そんじゃ、ヨーロッパはどうですか(ドイツ篇)■
 ドイツの場合、1999年まで免責制度(自己破産した場合債務を全免になる制度)がなかったらしく、連帯保証人は一生支払い義務があったらしい(63頁)。あらま。それでも、"最低限の生活"は保障されていたという。
 実際のところ、1994年、連邦通常裁判所で「保証人の支払い能力を超える保証契約は、公序良俗に反す」という判決があったそうな。自殺はしなくてよさそうかな(涙)。

■そんじゃ、ヨーロッパはどうですか(フランス篇)■
 フランスの場合、個人補償を要求するケースはなくはないが、家族経営の小規模企業が多く、近年は保証機関が充実してきたため、個人補償を求めるケースも少なくなってきているらしい。
 実はここが重要なのだが、仏国の場合、素人保証人についての法的保護は充実していて、「保証人が契約内容を知らずにサインした場合は保障契約自体が無効となる」。また、「私は抗弁の権利を放棄し、**と連帯して責任を負います」という風な書類を、本人の手書き(**の部分のこと)で作成することを求めている。さらにさらに、年に一度、保証内容を保証人に知らせることを義務付けている、という。
 手続き面だけでも、日本が参考とすべき所が、いくつもあったはず。

■「公的保証」と、貸す側の責任■
 なお、米国の場合、中小企業庁が公的保証機関として機能している。日本にも似たような協会があるが、日本は全額保証である。それに対して、米国の場合は、金融機関にも多少のリスクを負わせるようにしている(64頁)。要は、貸す側によるモラルハザードの防止のためであろう。
 仏国の場合も、中小企業開発銀行が同じ役割を担っている。保証の範囲は、最大7割と決められ、銀行が残りのリスクを負う。
 このように、貸す側にも責任を負わせることで、無理な貸し出しを防ぐのだろう。参考になることばかり。

■印鑑社会 ぷんすか(ω)■
 世界的に見て、日本ほど印鑑が強く法的効力を持ってしまう国もあるまい。うっかり印鑑押したばかりに全財産を失うという悲劇は、決して遠くない話。
 印鑑、これは本人でなくても押してしまえる。自分の知らない所で、例えば妻や子供が押してしまったという話だってある。なのに責任は、印鑑の持ち主の責任となる。管理責任というが、そこまで管理しきれるわけはない。
 上にも見たけど、欧米の場合、基本サイン社会。
 もしも、保証人契約の際、自筆で「万一のときは強制執行などを受けても意義はありません。」といった文言を書かせねばならないような法律があれば、悲劇はもっと少なかったはず(165頁)。こういったものは、些細な
ことと思われるかもしれないが、こういった積み重ねが人命を救う。

■制度をどう変えるべきかの道筋は見えた、で、今どうする?■ 
 制度をどう変えるべきかの道筋は見えたが、いきなりは変えられまい。現状においてどうすべきか。
 連帯保証人になる前に、そうとう厳しいチェックをすること(204頁)。例えば、企業の連帯保証人になる場合、決算書も通帳も見せてもらい、謄本類を取り寄せ、分からないなら専門家の分析を仰ぐ。これを求めて主債務者に嫌な顔されるなら、絶対に断ること。連帯保証人とは、それだけ重い責任を負う存在だからだ。命に関ることをお忘れなく。

■もう連帯保証人になってしまった場合は?■
 本書を直接読んでいただくしかない。笑い事ではなく。

(終)