その米国人が保守主義者であるか否かを見分ける単純な方法。
それは、フランクリン・ルーズベルトに対する評価だろう。
「ローズヴェルトが大統領になる前のアメリカは、自己憐憫とはまったく無縁だった」
こう書くエリック・ホーファーは、紛れもない保守主義者ということになる(18頁)。
もちろん、この世界には、有能な保守主義は、当然存在する。
「ユダヤ人の神は他の神と違い、怠惰な民族ではなく、働き者の職長である。そうした神を崇拝し模倣した西洋においてのみ、機械時代が訪れた。中国人と日本人はその発明の才と技術習得力にもかかわらず、機械時代を招き寄せられず、西洋から受容しなければならなかったのだ。」(23頁)
こうした考えを、おそらく信じていたであろうホーファーの無防備さを、ここであげつらうつもりはない。
だが、彼が聖書を読む時、着目しているのは、"憎らしい"ヤコブではなく、"愛すべき"エウサであり、"邪悪"だが"魅力的"なアハブである。
聖書を、「随所で短く触れられるだけの人物たちでさえ、生き生きとし、身近に感じられる」と褒め称える彼の喜びは、至上のものだ(35頁)。
エリックはいった。
「ようやく恩恵でも施すかのように、金を手渡すのだ。もし彼が破産したら熱心な革命家になるだろう。自分の失望を毒に変えて、邪悪な世界を非難するだろう。」(53頁)
いいや、大丈夫だよエリック。エンゲルスは、破産する前から熱心な革命家だったじゃなイカ。
エリックは、インタビューでこのように述べている。
「私たちがいかに美しくデリケートな地球を汚染しているかを嘆いて騒ぎ立てている生態学者もいますが、お笑いです。彼らは、地球の大半が人間の生活に不適切な土地だということを理解しているのでしょうか。」(174頁)
そして、アメリカ人が異常なまでに若さを尊ぶ理由が、まさに、「地球で最も野蛮な大陸」に暮らしていることにあるという。イギリス人たちとは違うのだ、と。
でもね、エリック。君のいう「野蛮な大陸」には、無理に若さを尊ぶこともなく暮らしていた先住民が、既にいたはずなんだよね。
それを忘れていないかい?
以上、『エリック・ホーファー自伝 -構想された真実-』より引用