弱者と貨幣とエリック・ホーファーと -再び『エリック・ホーファー自伝』に向けて-

 エリックは言った。
 「弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する。明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。弱者の影響力に腐敗や退廃をもたらす害悪しか見ないニーチェやD・H・ロレンスのような人たちは、重要な点を見過ごしている。
 弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ。」(67頁)
 エリック、君が「人間の独自性とは何か」について考えようとしていることについて、何かを言おうとは思わない。
 でも、言わせて欲しい。ニーチェやロレンスが「弱者」を嫌うのは、彼らがそのエネルギーを、結局「群れる」ことに使うからではないかな
 



 エリック・ホーファーの失敗。
 ある親しかったイタリア人・マリオとのエピソード。1936年のこと。
 「ある晩、私はムッソリーニの話をした。なぜ高貴なイタリア国民が野卑で頭の悪いペテン師にしてやられたのか不思議だ、と。その途端、何か恐ろしいことが起こったことに気づいた。マリオは顔をこわばらせていた。そして急に立ち上がり、荷物をまとめて去っていた。それ以来、二度と私とは口を利かなかった。」(94頁)



 再び弱者について。
 「弱い少数派であるユダヤ人や、銀行取引が発達するなかで、いまだ封建君主の支配下に置かれていた商人階級が果たした役割を考えると、どうも貨幣は弱者が発明したもののように思われる。絶対権力者はつねに金を嫌悪してきた。」(147頁)
 意外に思われるかもしれないが、エリック・ホーファは、貨幣に肯定的だった。
 なぜなら、「高邁な理想によってのみ人びとが行動し奮闘する場所では、日常生活は貧しく困難なものになるだろう」からだ。
 実際インタビューで、お金が「老人を若返らせてくれる可能性を秘めている」とも述べている。
 貨幣は、少なくとも、それを保有する人間に対しては、平等に働く。
 同じことを考えていたのが、他でもない、ユダヤ人だったミルトン・フリードマンではなかったか。



以上、『エリック・ホーファー自伝 -構想された真実-』より引用