「友軍砲火」、あるいは官僚答弁的な戦争のレトリック -あと、議論の作法について少し-

 ロバート・J・グーラー『論理で人をだます法』を読む。あの山形浩生訳。
 レトリック本の網羅版といった印象。
 気になった所をとりあえず二つだけ。



 60頁。軍のスポークスマンの声明が、事例として出ている。

 「昨晩、第43大隊は一連の防衛的行動を実施し、一群の住民を殲滅した。これらの攻撃は、事前指揮の航空支援を受けたものである。友軍砲火は最小限にとどまり、戦略的に無方向の目標決定行動は、低優先度地域に限定された」

 これが翻訳されると、

 「昨晩、第43大隊は、村をいくつか攻撃して人をたくさん殺した。飛行機からの空爆支援も受けた。誤射で何人か死んだが、あまり多くはなかった。標的をはずれた爆弾もあったが、さほどの被害はなかった」

となる。
 「殲滅」は、事実、(この場合は、「住民」を)「たくさん殺した」であるし、「友軍砲火」は、要するに「味方による誤射」である。
 随分と印象が違ってくる。
 まるで官僚答弁だが、官僚答弁の中でも、この手の声明は最も悪質だ。
 戦争報道でもこういう手のがけっこうあるので、気を付けたい。
 ちなみに、確か湾岸戦争でも、30名以上の米軍兵士がこの「友軍砲火」で死亡している。



 議論をするとき、気をつけなければならないこと。
 それは、目的をはっきりさせること。
 もっと具体的にいうなら、相手を感情的に追い込まないことだ。 
 「他の論者を追いつめずに、逃げ道を与え」、「相手のメンツをつぶさないこと」(238頁)。
 でないと、結局、議論そのものが成立しないまま決裂して終わるからだ。
 例え議論に勝っても、そこを気をつけないといけない。
 最悪、何らかの形で、報復される可能性さえあるからだ。
 本書では、ポーの『アモンティリャードの樽』の冒頭の一文を引用して、それを諌めている。


 ・・・と書いてみたものの、この世界に、きちんと綺麗に決着した議論なんて、存在するんだろうか(笑)