三品和弘『経営戦略を問いなおす』を読む。
日本とアメリカの大企業のことばかり書かれている。
まあ、好著ではある。
顧客を前にして、売上目標を語る愚かしさ(34頁)。
顧客第一とかいっておきながら、その第一であるはずの顧客満足(目標)が、売上目標(手段)より劣位に置かれてしまう。この矛盾。
売上っていうのは、顧客なしではありえない。そして顧客には、当然、自社以外選ぶ権利がある。
なのに、そういった顧客を相手にするのに、売上目標なんて掲げてしまう。これは、顧客に「購入目標」を持てといっているのと同じ事。
売上目標が先立つと、結局顧客が見えなくなってしまう。
ドラッカー先生もお嘆きですな。
"指示待ち人間"を批判する経営者がいる。
だけと、たいていの場合、指示待ち人間というのは、最初からそうだったのではなくて、経営陣や上司が大量生産するケースが多い(110頁)。
社員が良かれと思って企画したものを、事前に添削して直しちゃったりしてませんか。
社員が良かれと思って出した企画を、正面から否定したりしてませんか。
現場サイドの取り決めを、鶴の一声で決めちゃったりしてませんか。
そういった行動が、結局、常に上司の顔色を伺い、上司の目の届く範囲内でしか仕事が出来ないような環境をつくってしまう。
その環境から、"指示待ち人間"が栽培される。
わが社には、経営戦略がない、と嘆く人は多い。
でも、そこでいわれる「戦略」っていうのは、必ずしも能動的なものじゃない。
むしろ、次々飛び込んでくる情報に対処していく中で、結果的に育まれてくるもの。
著者はこういう戦略観を、「受動的戦略観」と呼んでいる(134頁)。
予想外の展開にリアルタイムに対処していた結果、生まれてくるのが戦略。この事後性的なもの。
不確実なものに左右される以上、経営に確固としたマニュアルはないし、そんなものは使い物にならない。
常に予想外の展開に対処し、その判断から、結果として、戦略というべきものが生まれてくる。
つまり、マニフェストを具体的にしすぎると、某与党のように(以下略)。