「プルーストってどんな人?」後編 -友情を信じることだけはしなかった人について-

 アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』をまた読む。



 プルーストってどんな人?
 喘息の人。
 日中に多発するため、夜型生活に。
 外出も控えるようになり、夏場の外出には、密閉したタクシーに閉じこもる他なかった。
 部屋でも、カーテンで窓を四六時中閉ざした。

 あるとき、ヴェルサイユの伯父のもとを訪ね、パリに戻った彼は、不定愁訴に苦しんだ。
 伯父宛の手紙によると、それは高度が変わったせいだという。
 ベルサイユとパリの高度の差は、83メートルあった。



 プルーストってどんな人?
 敏感だった人。
 皮膚が弱かった。
 そして内臓も弱かった。グラス1杯の水を飲んでしまったら、腹痛でずっとおきている羽目に陥った。(85頁)



 プルーストってどんな人?
 「友情」について、冷淡だった人。
 彼は、とても友人や知人に、懇切丁寧に振る舞う、実に気配りのできる人だった。
 実際、その友情の篤さを疑うものはなく、彼の死後も友人たちは、彼の気配りを賞賛している。

 しかし一方で、友情というものにすごく、冷めた見方をしていた人でもあった。
 友情が、真の自分や自分の胸のうちをさらけ出すこと、なわけがない。そういった類のものじゃないと、考えていた。

 友人たちにあいたいと駆り立てられる思いそのものは、否定しなかった。
 だけどそれを、「隔離病院に閉じ込められ、家族や友人たちから引き離されている患者の心のなかに、窓から身を投げたいという切望を吹き込むもの」という、実に衝動的かつ刹那的なものとしか捉えていなかった。(141頁)
 彼曰く、「友情をあざわらう人々は、・・・世界で一番立派な友人になりうる」。

 気配りある振舞いができるのに、一方で、「真の自分や自分の胸のうちをさらけ出す」類の友情にものすごく否定的な人は、現代日本にもいる。
 それが、哲学者の中島義道先生であるのは、いうまでもない。



 プルーストってどんな人?
 コンブレーの町を有名にした人。
 モデルされたイリエの町は、このプルーストの小説で有名になったため、観光地化して名前もイリエ・コンブレーに改めてしまった。
 本書でも批判されているように(これと同じことを辻邦生も批判してたっけな)、概してこういう類の真似は、つまらないものになる。
 プルーストが教えてくれたこと、それは、どんなにつまらなかったり、ありふれているものの中にも、まだ発見されていない美しさが潜んでいたりするということだ。(245頁)
 そして、その楽しさを発見できる条件は、ただ一つ。
 それこそが、プルーストのように考える努力であり、それが小説から学ぶべき第一のことだ。