吉澤誠一郎『愛国主義の創成』を読む。
ハクスリー『進化と倫理』は、進化論を背景に人間の倫理を考えた書物。
しかし、実は、その述べるところはマトモ。
曰く、例えば、ガーデニングをするとき、そこは周囲とは異なる環境の状態になる。
つまり、自然の過程とは異なる、人工の過程が生まれる。
でも、庭造りをする人が維持する努力を怠ったら、元に戻って、庭は周囲の環境と同じ状態になってしまうだろう。
教訓は何か。
曰く、人間存在は、確かに生存競争の結果生まれてきたが、これに抗うように倫理をつくらにゃならない。
これを怠ると、文明は下降線をたどるよ、と。
彼は、弱肉強食の肯定じゃなくて、その過程の克服(文明)への努力を説いているわけだ(30頁)。
ハクスリーの主張に対し、中国でそれを翻訳した厳復は、その意義を認めている。
ただし、彼の真の関心は、次のことだった。
「確かに、ある生物が現地の環境に最も適応している種なのは事実だが、比較的隔離されていた土地に、外から更に強い種が入ってきたら前の種は淘汰されちゃうんじゃない?」と。
当時の中国の状況を想定して、厳復はそう述べている。
実は、厳復が注目していたのは、進化論の中でも、「群」という概念だった。
これは、societyという語に当たる訳語。
社会進化論を唱えたスペンサーは、社会学の祖でもあり、"有機体的な存在としての社会(集団)"という考えを持っていた。
厳復は、その「群」(社会集団)として、特に「国」を重視していた。
彼は、「群」が一つの有機体であり、生存競争の単位と指摘している。
厳復の考えにある背景には、自分たちが淘汰されてしまう、という危機意識があった。
著者曰く、厳復は、進化論を「中国」に適応したというのではなく、団結して生存競争に勝つべき主体として、「中国」等の集団が想定されたのだ、と(34頁)。
すなわち、まず「中国」という集団が最初からあったのではなく、ある対外的な危機意識と、進化論の"生存競争"という発想とが結びつき、その中から「群」という概念が生まれ、それに当てはめるように「中国」という集団が発想された、というわけだ。
進化論は、有機体的(不可分)とされる「中国」なる概念を、創造する手助けをしたのだった。
「中華思想」という概念だが、中国語にそんな言い方のものはない。
古代以来連続してきたのは、「華」と「夷」の二分法的対語だけであり、その意味や使われ方は、時代によって異なっているのであって、古来より持続する「中華思想」等存在しない(35頁)。
清朝の場合、一方で「満」と「漢」の境界を維持しつつ(八旗制度)、他方では、華夷の区別を無化(「天命」という統治の正当化)するという、「その綱渡りに内在する緊張こそが、清朝にとっての華・夷の問題」だった。
他の時代の「華」「夷」二分法が実際どのようなものだったのか、本書には書かれていないが、この「中華思想」という概念を再考する必要はあると思う。
なお、「中華思想」なる概念が、中国外交に対する説明方法として一般的になるのは、、日本側が昭和初期になって使い出してからのこと。
本件詳細は、
幣ブログの「意外な中国外交の側面 -川島真,編『中国の外交 自己認識と課題』」
か、「加々美光行『裸の共和国』」(『Sightsong』様)
をご参照あれ。
デ・アミーチスの『クオーレ』は、日本語翻案されている。
これは、『学童日誌』という題で、杉谷代水によるもの。
そのなかの、ある場面。
原作だと、だいたい以下の通り。
1859年、仏・伊連合軍が、ロンバルディアの独立を助ける戦争をしている時、騎兵隊が敵のオーストリア軍を探るために斥候に出る。
住民が逃げた村に一人少年が残っていて、家にイタリアの三色旗を掲げていた。
曰く、戦争を見るために残っているそうで、高い木に登って敵情を見てくれるよう依頼すると、少年は愛するロンバルディアのためには褒美などいらない、とこれを引き受けた。
少年が木に登ったところ敵弾が飛んできたが、少年は軍人に手本を見せたい、と逃げず、遂に被弾。
騎兵隊の士官たちはその死を悼み、三国旗で遺体を覆った。
本題は、中国でのバージョンだが、そこにかかれてある問題はここでは取り上げない(詳細は本書を参照)。
問題は日本版の方で、主人公が日本人で、舞台が日清戦争に設定されている。
で、なんと、日本軍に協力している少年が、朝鮮の少年に転換されている。
日本語翻案が出されたのは1902年。
なんというか、すげー恩着せがましい設定だなww
そんな杉谷代水だが、『クオーレ』の中の話の一つである「母をたずねて三千里」は、このとき代水が初めて用いた題名だったりする。
命名者は彼だった。
もともと『クオーレ』は、統一した後のイタリアで、子供に愛国心を教えるために書かれた書物だった。
で、原作の戦争というのは、第二次イタリア独立戦争のこと。
1859年のこのとき、ロンバルディアは、サルデーニャ王国に併合されている。
念の為。