戦争の扇動者、女衒志願者、熱血教師 -二葉亭四迷の顔- 亀井秀雄『二葉亭四迷 戦争と革命の放浪者』(後編)

 亀井秀雄二葉亭四迷 戦争と革命の放浪者』を再び読む。



 大津事件について。
 アレクサンドル3世は、内政では大弾圧をしたが、一方で、対外的には、露土戦争での従軍経験から戦争を忌避し、平和を貫いたという(155頁)。
 確かに、この人、在位13年近くあったが、対外的な戦争には関わってはいない。



 二葉亭は作家とか翻訳家として以外で、社会的に成功したかった。

 そんな彼が起こそうとしたのが、ウラジオストクに売春婦を送り込もうという計画だった(191頁)。
 その計画は、「その売春婦の生活習慣がロシア人に影響して日本製の雑貨の需要が増えるに違いな」い、と言う考えに基づいていた。
 彼はどうやら本気だったらしく、売春婦一人当たりいくら儲かるかを計算した跡が、手帳に残っている。

 
 実際、日露戦争後に、長崎に亡命した革命派のロシア人が、日本製の雑貨をウラジオストクの買春宿に輸出して資金を稼いでおり、その意味では、二葉亭の計画は不自然じゃなかった。

 ただ二葉亭がこのとき、外国語学校の教授をしていたw
 時代が時代とはいえw



 そんな外国語学校の先生もしていた彼の授業は、しかし、実に熱が入っていた。
 教科書の余白が、例文や注意書きで真っ黒になるほどに下調べをしていたし、生徒の訳読は原文の調子や心持を生かすことまで要求した。
 夏休み中も在京学生を自分の下宿に集めて、特別講習を行っている。

 学生には、結構熱心な人だったようだ。
 本書を読んでいるとわかるが、基本的にこの人は"人格的にダメな人"なんですけどねw(詳細、本書等御参照あれ)



 二葉亭は煙草好きで、5,6歳から喫煙していた(192頁)。



 彼は日露戦争においても、好戦的だった。

 「天風」という名義で書いた、朝日新聞の記事「敵の誤解」(1905年 )で、現在平和を説くのは利敵行為であると扇動し、そのようなことを主張する政治家は言論を慎め、と警告している。
 これは、当時、アメリカ大統領に講和の仲介を依頼する運動を開始した、外相の小村寿太郎を意識してのことだと思われる
(218頁)。

 しかし一方で、彼はロシアと日本との戦力差に敏感だったし、戦後の賠償問題については、むしろ日本側が賠償金を払う羽目になるかもしれない、と語っている(220頁)。
 二葉亭としては、もしロシアが長期戦を覚悟するなら日本は講和条約で負けの立場になると考え、各戦闘に勝利を収めて、早期の講和を望んでいたようだ。



 二葉亭翻訳のガルシン『四日間』は、次の点で画期的だった。
 『四日間』は、負傷して横たわる兵士の目に映る、一匹の蟻を描く(233頁)。
 このトリヴィアルな細部の表現は、当時の読者を驚かせた。

 これまでの漢文調の"劇化"する文体が、戦争を肯定的にする嫌いがあったのに対し、どんな劇化とも無縁な一匹の蟻という細部は戦争の意味づけを引き剥がし、殺しあうことの無意味さを露呈させる。
 蟻だけでなく、戦闘の後の静寂の青空、一積みの枯れ草、蟻なども登場して、それがますます効いている。

 この翻訳は、田山花袋『一兵卒』にも影響を与えるが、質が高いのは、やはりガルシンのほうのようだ。