零度のシャシンを求めて (但し厳密には、決闘は行われていませんw) -篠山紀信,中平卓馬『決闘写真論』-

 篠山紀信,中平卓馬『決闘写真論』を読む。

 ただし、「決闘」とはいっても、文章の方(中平)の内容は、最終的に、篠山の写真に対する賛意で占められることになる。
 特定の意味づけをすることのない、パンフォーカス的な「写真」(アジェ、エヴァンズら)への肯定を、中平は繰り返し行っている。

 気になった所だけ。


 
 ブレヒト曰く、「人間は自分では自分が見えない」
 そして、いう。

 だから君らの勉強は、生きた人間たちの間ではじめねばならない。最初の学校は
 君らの職場、君らの住まい、君らの町内、通りや地下鉄や店だ。そこのすべての人間を
 見知らぬ者を知人のように、知人を
 見知らぬ者のように、観察することだ。(103頁) 

このブレヒトの言葉に、この本の主題がある。

 この写真論は、いわば、「知人を 見知らぬ者のように、観察すること」、そのような視線を身につけることを、要求する。
 意味づけからの脱却という点で、アジェたちの写真に、これは通じるものがある。
 (ただ、「見知らぬ者を知人のように」という言葉は、本書の中心的な主題にはなっていないと思われる。
 なぜかといえば、結構この「見知らぬ者を知人のように」は、感情移入という方法で解決されてしまうからだろう。) 



 J・リカルドウ曰く、写実主義者たちは現実を見ようとはしない。
 リアリズムとは、一本の樹木を眺めることで、今まで持っていた樹木という意味を眼の前で緩やかに崩壊させてゆき、一本の今まで見たこともない樹をそこに見出すことだ、と(224頁)。
 そして中平は、この考えは写真に通じる、という。

 決闘写真論の主題は、決して難しいものではなく、こうした、実にシンプルなものだ。



 自分が撮った十枚の写真を他人に見せて、各人に一番興味ある写真を選ばせようとする。
 すると、十人に十人がそれぞれ異なる写真を選ぶことがしばしばある(231頁)。

 この写真の本源的な「曖昧さ」。
 曖昧であるとは、作者の意図を伝えることに不得手だということだが、同時に、この曖昧さは、写真の優位性でもある。
 その曖昧さは、見る者に、規則に縛られぬ見る「自由」を与える。
 試練なしに得られない自由だけど。



 あるとき篠山がベネチア・ビエンナーレの仕事を終えてベネチアの街を散歩していた時、同行してた美術評論家の中原佑介の足にまめが出来てしまいやむなく靴を脱いで歩き始めた。
 すると、裸足だと、歩道のあちこちが暖かかったり、冷たかったりすることに気付く(245頁)。
 考えてみると歩道の下に地下水が流れている場所があるのだった。
 篠原と中原、そして同じく同行していた磯崎新の三人は、裸足になり、子供のように、街のあちこちを足の裏で感じ歩き回った。

 そして、このこういうこそ「芸術」じゃないか、と中平は篠山本人からいわれたという。

 本書で一番の印象深い記述は、ここになると思う。
 意味や感情の移入を許さない写真の優位を掲げる「視覚」の本にあって、「触覚」の話が出てくる。
 この相反するような二つの感覚は、しかし、"思いもかけぬ遭遇"という点で共通している。
 視覚における、文化的な規則(コード)をはみ出すような写真と、予想もしていなかった都市との裸足での触覚的経験。

 



 中平は、母の死後、母の小学三年生くらいのときの母の写真を見たらしい。
 そこで、「奇妙なものだと思った」という。
 自分の頭の中には、母のイメージがある。
 それが、写真を見ると、自分の子供と同じ年くらいの母が写っている。

 「奇妙な、ナゾめいた写真のあり方」(329頁)。
 この写真に写る子供が、やがて、成長して、自分を、産む。
 時間が逆転していくような感覚。

 いうまでもなく、この"母の幼年の写真"という主題は、ロラン・バルト『明るい部屋』にも書いてあるが、『決闘写真論』が1977年、『明るい部屋』が1980年。
 中平の方が言及が早い。