枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を読む。
一見不真面目な著者だが、実は歌への姿勢は真摯であり、真面目。
小細工なしの真っ向勝負を本道とする、実に正統派な姿勢。句読点をつけると、どんな退屈な言葉だって一見意味ありげに見えちゃうんです。それは危険なワナ。記号なんか全部捨てても通用するような強い言葉を構築しましょう。 (79頁)
いっそ作家の皆さんはこの姿勢を見習って句読点なし改行なしの文章を一度でいいから綴ってみてはいかがでしょうか実際近いものとしては大谷崎『春琴抄』があるのですし出来ないことはないのだと思いますよブログ主はもちろんそんな無謀なことはしないですけどね
著者の歌。先立ったわが子の遺書を売る親よ尾崎かまちは自殺じゃないか (109頁)
言うまでもなくここでいう「尾崎かまち」は架空の人物だが、なぜか問題が発生したらしい。
さて、なんでなんでしょうね?
なるほど。ごもっとも。文章は、お互いに意見の合う人にだけ読んでもらえばいいというものではありません。むしろ、自分とは相いれない、大嫌いな人にこそ読んでもらうべきなんです。 (174頁)
パブロ・ネルーダの「ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌」はそれにあてはまるだろう。(是非ご一読を)
相いれない二人、大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』とそれに対する蓮實重彦による書評(レスポンス)もまた、あてはまる。
無論著者は、相いれない短歌観をもつ(はずの)岡井隆に読んでもらうべく、詠んでおられるはず。(ちなみに、2004年に、二人は対談してたらしい。すごいなあw)
ニッポソ国あるあるですなw野茂投手のことは嫌いではありませんが、野茂投手の活躍を遠くから見ているだけのくせして、まるで自分が野茂であるかのように得意になってしまう人々のことが大嫌いです。 174頁
野茂投手のことは良くしゃべるくせに、口にするのは彼の成績やチームの順位くらいで、チームメイトとかのことはろくに口にしない奴とか、いったい何なんでしょうねw
特に、オリンピックやワールドカップの時期になると、こういう輩が増殖しますなあ。
(なお、その心情を詠んだ歌については、本書をお読みください。)