重大なものが書き落とされたとき、あるいは「セカイ系」な記事 -とある産業経済新聞の記事を読んでの感想-

 産経新聞の記事を読んで、すごく違和感があったので、書いていきます。
 (「教師が反日誘導「日本人に拉致を言う権利はない」 元生徒が朝鮮学校の実態告発」)

 ここで問題として扱うのは、?この文章そのもの「フィクション性」、すなわち(この高校生が"実在"するのかどうか)と、?無償化を止めることと学校選択の自由の関係です。
 以降検証を行います。



朝鮮学校から自分の意思で別の学校に移った高校生が初めて産経新聞に実態を告発した。

 この記事全体において、親(保護者)の存在は希薄になっています。

「生徒の立場が理解されていない。無償化するぐらいなら学校を選ぶ自由をください」。生徒は悲痛な声を上げた。

いやいや、重要なのは学校選択の自由の問題であって、無償化云々は実はこれとは無関係です。論理的には、二つは両立しますので。

「学校がそのままなのに無償化が適用されてしまえば後輩たちが苦しめられ続ける」と取材に応じた。

 いやいや無償化があろうがなかろうが、「後輩たちが苦しめられ続ける」ことに変化などないはずです。
 無償化と「学校選択の自由」は、実は関係のない問題であるはずなのに、何故か変に混同されている。
 これは本当に、実在する人なのか、と疑問を覚える所です。


日帝(植民地)時代にあれだけ朝鮮人を拉致した日本人が拉致問題を言う権利はない」

 とりあえず、もしこの高校生が実在するのなら、太田昌国『拉致異論』を読むことをお勧めします。
 この二つの問題(植民地時代の問題と日本人拉致問題)は、両方問題にされるべき事柄であって、片方だけを問題にすることも、両方とも不問にすることもしてはならないのです。
 その意味で、両方の問題にきっちりコミットしている太田昌国『拉致異論』はお勧めです。

生徒が北朝鮮について「独裁」と漏らすと呼び出された。教師の板書の間違いを指摘しても叱り飛ばされる。「目上の言うことを聞くのが朝鮮文化だ」。教師の指導は「絶対服従だった」と今、思う。

 当然この事態は批判されるべきです。
 だって、某国の「戦前」と同じレベルですからw
 ていうか、「目上の言うことを聞くのが日本文化だ」って言う言説も、当然批判されるべきですよねw

 生徒が朝鮮学校から移ろうとすると、この学校では教師や同級生が集まって思いとどまるよう圧力をかけたという。学校側は他校に受験し直すのに必要な書類の記入を渋り、「内申書はゼロだから」と告げた。

 奇妙なことにここでも親の姿は希薄なのです。
 親は出てこないんですか?将来の問題に、親が一切絡んできません。

 生徒は「人権というなら国や自治体は無償化で学校を支援するより、生徒が自由に学校を選べる環境を作ってほしい。学校を変わると一時的に苦労するが、朝鮮学校に通い続けると日本社会に適応できず苦しむ」と語った。

 選択の自由は大切です。
 なので、当然朝鮮学校を選択することも認められるべきですし、なら、無償化に反対する理由にはなりません。
 少なくとも、このことが無償化を止める理由にはなりえません。

 第一、無償化というのは結局、「父兄の負担が軽くなるだけで、学校は無関係」です。(ここら辺の論点は、既に Gl17さん が指摘しています)

 朝鮮学校から別の学校に移った高校生が耐えられなかったのが「反省会」と称するホームルームの存在だった。
 クラスはいくつかのグループに分けられ、一日を振り返って得点をつけさせられる。教室で日本語を使ったら減点。「反省することがない」と報告すると、教師から「ダメだ」と突き返された。
 北朝鮮で職場や地域ごとに相互批判させられる「生活総和(総括)」の朝鮮学校版だ。

 これが本当なら酷い話です。
 でも、これが行われたのは、「朝鮮学校」なんですか? 「別の学校」なんですか?
 多分これ、朝鮮学校での出来事、って受け取っていいんですよね?
 てかそもそも、この生徒がどうやって別の学校に移れたのか、そのプロセスが記載されていないのも奇妙です。そここそ重要じゃないでしょうか。 

 学費面での不公平感も拭えなかった。毎月、授業料に加え、施設修繕費などとして4万円近い金を納めさせられたが、学校の設備はボロボロのまま。「お金はどこに行っちゃったんだろう」と感じ続けた。

 だから、そのお金を支払っていたはずの親の姿が(ry

 在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)職員の子供たちは学費さえ免除されていた。この事実は他の学校関係者も証言している。

 かろうじて、この文章中で一番信頼度が置けそうなのは、この一文です。
 情報の確度だけは、他の分に比べ高いです。相対的な問題ですが。

 しかし生徒が通っていた朝鮮学校では、故金主席の業績を称賛する教科書記述を暗記させられ、土曜日の課外授業では、北朝鮮の経済発展をたたえる映像を見させられた。教師は「わが学校は世界的に優れた教育だ」と自賛したという。

 素朴な疑問ですが、それ以外の朝鮮学校ではもっとマトモだった、と受け取っていいんでしょうか?
 この記事は、高校生の出身地などをも曖昧にすることによって、「ある朝鮮学校ではOOである」を、「朝鮮学校(全体)ではOOである」に、容易に混同できてしまう構成になっています。
 せめて、どの地域の朝鮮学校なのかが特定できればある程度防げるであろうこの混同も、それすらぼやかすことによって、こうした混同が可能になります。
 一部を全体に転嫁させる論法が、この文章では炸裂しています。
 (もっとも、地域を明示しても、混同されがちではありますが orz)
 

 しかし生徒は「小学生のころ、肖像画が外されたが、教室の横の壁に金日成の別の写真が掲げられた」と振り返る。

 こういう肖像画を飾る行為は賛成しません。だって、何か御真影みたいだしw

 神奈川県の補助金問題でも学校側は拉致問題などに関する記述を訂正したとしているが、多くの学校で変わっていなかったことが判明している。
生徒も「絶対変わっていない。教師のメンツを考えると変えられるわけがない」と断言する。

 つ http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/111002/crm11100201320000-n1.htm
 産経新聞の悪質なレトリックです。(この記事が最新の記事ですが、事態は産経新聞の言う通りにはなっていません。)

 

こうした状況でも通い続ける生徒がいるのは「幼いときからこの世界に漬かって日本の学校を知らない」からだという。

 最後の最後まで、親(保護者)の存在は希薄なままです。親の存在こそ、幼少時に大きく影響するはずなのですが。

 授業内容があまりに違い、日本の学校を受験しにくい点も挙げ、「朝鮮学校内で日本の学校の説明会を開いたりして他の学校に行きやすいようにしてほしい」と訴えた。

 それ自体は正しいことでしょう。学校選択の自由はよいことです。
 もしこの高校生が実在して、他の新聞が取材しているなら、ここが本題になるはずなんですけどね orz



 そんなわけで、まとめると、
・この記事全体において、親(保護者)の存在は希薄です。幼少期からの環境に重大な影響を与え、かつ、学校の授業料を支払う主体であるにもかかわらず。
・無償化と、学校選択の自由は、実は関係のない問題であるはずなのに、何故か変に混同されています(無償化は、「父兄の負担が軽くなるだけで、学校は無関係」です)。
朝鮮学校では、一昔前の野蛮な日本の風習が残っているのかもしれません(一昔前ではない、か?)。
・太田昌国『拉致異論』は良本です。
・地域などが特定できなっていることで、「ある朝鮮学校ではOOである」を、「朝鮮学校(全体)ではOOである」に、容易に混同できてしまう構成になっています(そうでなくても混同されやすいのですが)。

 以上のように見てみると、この高校生の実在性は疑わしいです。
 親の存在が希薄すぎる、というのが最大の理由です。
 可能性としては二つ考えられます。?この高校生が"非実在"である、?実在はするが、記者が変な「操作」を行った結果、非実在っぽくなった。

  この生徒は、複数の朝鮮学校に対する言説を寄せ集めて出来た「言説的構築物」かも知れません(個人的には、その可能性が高いと踏んでいます。入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』みたいなw)。
 もちろん、この生徒は実在するかもしれませんが、しかし、親の存在を事実上消去したのは重大な「操作」です。親すらそぎ落としたなら、他の重要な事柄も書き落とした可能性があります。
 親の存在までも消去しているというのは、大問題です。親やコミュニティの問題も絡むはずのこの手の問題を、それを書き落とすことによって、朝鮮総連だけの問題に転嫁できるからです。そこにあるはずの複雑な事情は、この「操作」によって、無視することが可能になります。
 そもそも、この生徒がどうやって別の学校に移れたのかという過程が書かれていないことに、もっと疑問を持つべきなのですが(親はそのときどう動いたのか、とか)。



 というわけで、産経新聞の記事の「モヤモヤ」する所を見てきました。
 最近、産経新聞の「レトリック」に対して興味がわいてきまして、今回の記事を読んで、上の文章をものしてみました。
 メディアリテラシー好材料として、産経新聞を是非使ってみてくださいw



後々で気付いたのですが、これまでの本稿の内容は、

 bogus-simotukare  匿名と言うことは産経名物「非実在」元生徒ですね、分かります。つうか1億歩譲って実在だとしても「元生徒の多数意見」でもないし、事実だとして「無償化除外」という差別の正当化理由に全くならないが

 というズバリなブコメを希釈したものに過ぎません orz



 更に後で気づいたのですが、結局、今回の産経の記事って、親の姿も地域コミュニティも希薄で、まるで「セカイ系」なんですよね。
 だって、家族とか地域社会とか、そういうのをガン無視して、学校と個人が直結してるんですよ。
 以降、もしこういう記事があったら、今度から「セカイ系記事」って命名したいと思います