河西宏祐『路面電車を守った労働組合 私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』は、全労組の組合員必読の内容といってもよい。
例えば効果的なストの打ち方については、「ストライキは最も効果的な時期をねらってやる。たとえ一時間のストであっても数倍の効果を発揮する。」と述べている。
具体的には、「一番いい時期をみて、ストライキを三日やれ。いまから運動に入ったら、会社がいちばん困るのは花見どき、夏山、秋の季節がいちばんいいときだ。そういう時期に、二日ないし三日のストライキをやれ。無制限ストみたいなバカなストライキはやらない。」
これが、本のタイトルにもなっている、広電労組のリーダー・小原保行の闘い方だった。
だがストの間の資金はどうするのか。
小原の答えは、「特産品を売って歩け」だった。
短期で最も効果のある時期に集中してストを打ち、それまでの資金は、「地区労の組合員の居住者名簿をつくって、一軒一軒まわって特産品を売って歩け」というのが、小原の手法だった。
「物販(物資販売)運動で、三日分の人件費が集められれば」、その分のストができる。
当然、長期戦になるが、「何年かかっても闘争する。そのための長期闘争方針をつくれ。」
小原は少数派の第一組合に属していた。そして、多数派だった第二組合を切り崩し、幾十年かけて遂に人数は逆転する。
方法としては、(これは小原自身の言葉ではないが)、「第一組合にとって最大の問題は、第一組合か第二組合かの差別だけに埋没することなんです。第二組合のなかにも同じく差別があるんですよ。(略)だから、第二組合のなかにクサビを打ち込める条件がある」
この考えで、少しずつ、第二組合を切り崩していった。(具体的な手法は本書参照。)
小原は、「会社というのは損益分岐点を境にして、モノの考え方がコロッと変わるんです。損益分岐点を境にして、赤が出ればダメ、ちょっとでも黒が出れば、その黒をいかに大きくするかということに必死になる。」と述べている。
そして、「労働者が知恵をふりしぼって、会社側よりももっと上手に経営をやってみせる。そして、黒字経営を実現してみせる。そのことによって職場と雇用と労働条件を守る」。
路面電車が赤字となって、会社側が事業を止めようとした時、路面電車を何とか黒字にして守ろうとしたのは、労働組合だった。
そこで働く労働者を守るためだった。
そのために、あらゆる手を尽くした。
顧客の無駄な待ち時間を減らし、そのために仕事が増えることもいとわない。
さらには、県・市に訴えて、「公共交通優先の交通政策をおこなうようにと、組合役員が各党派の県会議員・市会議員に要請してまわった。県・市との交渉のさいには、議員に同行してもらったり、議会での質問を要請したりもしている」。
全国各地で路面電車がなくなっていく中で、広島には路面電車が残った。
今、広島に名物の路面電車があるのは、小原たち労働組合のおかげである。
小原の一番すごい発想はこれだろう。
「ええ、会社の資本金まで貯める。赤字じゃ何じゃといったら、会社を買ってやろうかというぐらい貯める」
労組は経営もやれる、といっているのだ。
「経営者がまた失敗して赤字を出して倒産騒ぎをおこしたら、労働者は家族ぐるみで路頭に迷うことになる。そうなったら、組合が会社を買収して、もっとうまく会社経営をしてみせる。そうして、職場と雇用を守り、労働者の家族の生活を守る。」
万年野党ではなく、政権をとって代われる野党として、組合があるべきだという。
もしかしたら、労働組合のあるべき姿は、ここにあるのかもしれない。
小原は「職制労働者にたいして「糾弾」する場合の線引きを明示」した。
当たり前かもしれないが、自分側のルールも示さずに単に糾弾だけする某マスコミの皆様を考えれば、これは実に重要なことだ。
「叩くときに、なぜ叩くのか、彼が何をしたからこうなるんだということを絶えず明らかにしませんと、何でもないようなことで叩かれるという認識をもたせると憎しみになってきますから」
公務員叩きとか、いろんなものを叩くときに、こういう言葉を忘れずにいたい。自戒。
なぜ小原は、上記のようなルールを明確にしたのか。
それは、「三井三池労組は、職制労働者を敵視して徹底的に攻撃することを職場闘争としたことがある」という経緯があるためだ。
「三井三池争議(一九六〇年)において同労組が敗北し、これを契機として日本の労働運動は衰退の一途を辿ることになった」。
小原がこの敗北から学んだのが、職制労働者を絶対的な敵にしない、ということだった。
学ぶべきことはまだある。
本書を参照されたい。