「護民官」としての安全管理職と、東電及び電力不足への対策について  -竹森俊平『国策民営の罠』を読む-

 竹森俊平『国策民営の罠』を読む。
 実に読み応えのある良本だが、Web界隈では、書評が少ない気がする。
 内容については、こちらの評をお勧めしたい。


 
 内容のまとめとしては上の評でいいと思うので、それで終わりにしてもいいのだが、それじゃ何だか芸がないので、いくつか書いておこう。



 著者は、今回の原発事故の背景には、日本にずっとある「安全管理」についての、先進国とは思えぬ酷い対応があるという(まあ当然だ)。
 そして「日本は官民一体となって『安全管理』という職種の地位向上を図るべきである」という(86頁)。

 なぜ「『安全管理』という職種の地位向上」なのか?
 安全管理というのは、当然、危険と判断した仕事をストップさせることを意味し、それは(短期的な)企業の利益に反するケースが多い。(長期的には別だろう。)
 そして、企業側にとってマイナスなものとして、捉えられてしまいかねない。
 結果、安全管理の責任者は、組織の中で出世できなかったり、逆に、出世しようと職を怠って、組織の(短期的)利益におもねったりしてしまう。
 こういうのをシステム的に防がなけりゃいけない。
  
 著者の提案は、

・安全管理のための教育プログラムを作る。(国内にないなら担当者の留学を国や企業が支援する)
・企業や国で重要な役職に付く人間は、その前に安全管理職を経験させる。
・安全管理職と経営層との交流について、米国並みの厳罰を適用し管理する。
・安全管理の責任者には、決定済みの計画でも自分の判断で差し止められる大きな権限を与える。

といったもの。

 特に、下の二つは重要だと思われる。
 原子力の安全管理云々というのは、上のことをやってから言うべきことだ。
 (それにしても、この「安全管理職」って、その拒否権の強さを考えると、何だか古代共和政ローマの「護民官」に似ている気がするw



 著者の東電に対する考えというのは、すでに紹介した村上氏のいうように、

竹森教授は、東電を生かすでも殺すでもない今の仕組みを最悪とこきおろす。日本で一番不足しているのは電気で、積極的な投資が必要なのに、東電は日本で一番嫌われているというジレンマ。東電は資産を全部売って破綻(はたん)させ、賠償と原子力の負担から免れた新会社に電力事業をやらせるのが最善

というもの。
 この意見は妥当と思われる。
 (なお著者は、原子力に完全に反対ではないものの、原子力発電所のような『有毒性粗大ゴミ』」(250頁)は、新会社には引き継がせないという方針。)

 賠償からフリーになった新会社なら、電力事業への投資がしやすい。
 今後、原子力の代替のためには、火力などの発電所が必要になる。
 そんな投資が必要な時なのに、東電に急激なリストラなんぞを要求している場合じゃない(株主や経営層の責任とかは問われるべきではあるが)。

 



 で、ずっと前に出された「原子力損害賠償支援機構法」だが、これは、事故に備えた資金のプールを電力会社からの拠出によって賄う仕組み。
 でもこの法律では、電力会社に原子力事故のリスクを経営判断に取り込むインセンティブは生まれない。
 なぜかというと、支援機構への拠出金負担分だけ、電力会社が電気料金を吊り上げていいという取り決めがあるからだ(251、252頁)。
 そうなると、原子力事故のリスクを電力会社が経営判断に取り入れるためには、価格が市場競争で決まる電力自由化しかなくなってしまう。
 
 発送電分離というのがすぐ思い浮かぶけど、まずは、現行の法律でもできる自由化もある。
 例えば、天然ガス発電所なら、ガス会社に電力事業への参入を促すことだって可能だろう(254頁)。
 原発が停止するということは、送電網が空く分、新規参入は容易になる。
 現行の法律だと、新規参入する会社は、送電網を所有する電力会社に「託送料」を支払わないといけない仕組みなので、政府の指導で、値下げさせるのが吉といえる。