雨宮昭一『占領と改革』を読む。
本書の要点は、戦前戦後を貫く「協同主義」の存在。
この存在については、こちらの書評をお勧めしたい。
「協同主義」というのは、つまり「ソシアル」(俗にいう"リベサヨ"ではなく、欧州的な、増税と社会福祉を提唱し、「大きな政府」を擁護する社会民主主義)のこと。
つまり、市場主義と所有権と自由主義を優先する「リベラル」に対抗する、非・市場主義(反、ではなく)と社会福祉と平等主義を優先する「ソシアル」を指す。
(ただし、著者の言う「協同主義」のニュアンスは、欧州におけるソシアルとは、少し意味がずれている気がするが。)
本書の流れをざっくりまとめると、以下の通り。
戦前戦中を通じて、総力戦に臨む軍部とつるむ、協同主義(社会民主主義)勢力。
対抗するのは、市場原理を優先するリベラル一派(と、観念右翼や皇道派といった反動勢力)。
戦争を推進したのは、どちらかといえば前者だった。
戦後、この協同主義(社会民主主義)は、日本進歩党→民主党の系統、日本協同党→国民協同党の系統にも引き継がれる。
その後、国民民主党で、両者が合流するに至る。
そしてこれが、最終的に自由民主党に合流して、協同主義の潮流が自民党に入ってきた、というわけ(リベラルとソシアルのアマルガム!!)。
政党の対立軸がリベラル VS ソシアルにならないで、再軍備の是非や米ソとの関係、"護憲or改憲"で割れてしまった(保守路線 VS 革新路線)ことは良く知られているが、その背景をなしているのが、上の政党の流れである。
(この辺は、大嶽秀夫『日本政治の対立軸』の第一章あたりも、読んでおくべきところ)
・・・まあ、今回書きたいのはこれとは別のことですが。
50年代は、工業化社会へと突き進む時代だった。
この工業化推進は、保守・革新が対立することなく進められた政策だった。
敗戦後の日本は、軍からの帰還組、軍需工場から解放された20代前後の若者で溢れていた。
彼らは、同一世代による民主的な青年団を地域ごとに結成し、社交ダンスや農村劇などの「農村文化運動」を行う。
ちなみに、55年ごろまでは、小中学校の教師も、村の青年団に加入するのが慣わしだったそうな。
農村は、保守の地盤というイメージが強いが、少なくとも当時は、農民組合や民主的な青年団の活動が盛んで、農村のコミュニティも、革新側が主導権を持っていた(183頁)。
その流れが変わるのは、55年ごろ、農産物の自由化、保守主導による農業基盤の整備などに伴い、くらしが一変し、市場メカニズムが労働と生活に浸透してからだった。
それまで農村民主化のリーダーだった人物たちは、この時期、自民党へ移っていく。
農村の「生活保守」化は、農村の「近代化」に伴って為されるに至った。
農村が革新的であった頃が、一時的とはいえ、日本には存在していたのである。