なぜ日本は女性ホームレスが「少ない」か。あるいは、「自立」・「自律」再考 -丸山里美『女性ホームレスとして生きる』について-

 丸山里美『女性ホームレスとして生きる』を読んだ。

 珍しい女性ホームレスを扱った本書だが、その実態を論ずるだけではなく、女性ホームレスの存在を通して所謂「主体性」への批判的吟味にまで達している。

 そもそもなぜ、日本は女性ホームレスが「少ない」のか。

 例えば、他の先進国の場合、DVなどを理由にシェルターに逃げ込んだ人も、統計的にホームレスに当てはまり、そのため女性ホームレスにカテゴライズされる人が多いのに対して、日本の場合は統計に入らないため、数が少なく算出される。
 また、日本の雇用制度の帰結として、男性の場合、労働者として福祉の網から外されやすいのに対して、福祉制度の保護(生活保護)を比較的受けやすい女性は、その分ホームレスになりにくいかった。
 こうした理由から、女性がホームレスとして(統計的にも実質的にも)表れにくい、という日本の事情が、本書では説明されている。
 (日本の雇用形態の場合、女性は男性に養われるのが前提となるような設計のため、女性は例え家庭内で虐げられている場合でも、その婚姻関係のもとに忍従せざるを得ないケースが少なくなかったという事情も、本書には書いてある。)

 だが、彼女たち女性ホームレスは、数は少ないながら、それでもなお、存在していた。
 本書は彼女たちに焦点を当てることで、日本のホームレス研究に新しい視角を与えるだけでなく、人の「主体性」そのものをも再吟味しようとする。
 用いられる理論は、既知の書物・議論によって構成されている。
 しかし、それが女性ホームレスの具体的な存在に触れることによって、見事に活性化している。

 以下、簡単に面白かったところだけ。



 ギリガンは、女性が選択に際してしばしば示す躊躇や逡巡を、(略)背後には、他者の要求にこたえることを長年期待されてきたために、自分で決断してものごとを実行していくことに対して、女性は自信を持ちにくいのだと考えるのである。  (248頁) 

 ギリガンとは、「ケアの倫理」について提唱した人物である。
 「ケアの倫理」とは何か。

 こちらの記事が、本書の当該箇所を引用している。

 曰く、ギリガンは、「『ハインツのジレンマ』と呼ばれる、有名な道徳性の発達指標」にたいして疑問を抱いた。
 このジレンマは、「癌にかかった妻を救うために、夫のハインツは高価で買えない薬を盗むべきか否かを問う」ものである。
 それによると、「男の子のジェイクは薬を盗むべきだとはっきり答え、財産と生命を比べて生命の方が尊いと判断し、これを権利の問題へと修練させていく。
 女の子であるエイミーは、薬は盗むべきではないが妻を死なせるべきでもないと自信なさそうに答え、薬屋が二人の事情に配慮しないのがよくないのだと言って、これを責任の問題として解釈した」。

 そして、「従来の発達理論においては、人間の発達は他者を気遣うことから、規則や普遍的な正義の原理にしたがう つぎの段階に漸進的に発達すると想定されて来たために、エイミーはジェイクよりも未成熟であると解釈されてきた。
 だがギリガンは、発達段階をはかるものさしが男性を規準につくられており、伝統的に女性の徳だと考えられてきた他人の要求を感じ取るという特徴こそが、女性の発達段階を低いものにしてきたことを指摘した」。

 以上の内容である。

 従来の倫理(「正義の倫理」)は、選択と決断を重視し、権利の問題に焦点を当て、抽象化された規則や普遍的な正義の原理にしたがうのを良しとしてきた。
 それに対して「ケアの倫理」は、戸惑いや逡巡に留まって、利害の異なる具体的な他者の要求を感じ取り、気を遣うことを良しとする。
 これら原理は、前者が主に男性に当てはまり、後者が主に女性に当てはまるものとされ、従来は前者が注目されがちだったのを、ギリガンは後者に焦点を当てた。
 (ただし、ギリガンも述べているが、男性にも「ケアの倫理」の特徴を持つ人はいるし、その逆もあり、基本的に男女を問わない。これは、本書の引用にあるように、本質主義的にではなく、構築主義的に考えられるべきだろう。)

 著者は、この(主に女性に見られがちな)「割り切れなさ」や「選択のできなさ」を主体性に関する議論の出発点としている。
 
 (なお、本書ではあまり触れられていないが、「ケアの倫理」では、問題の解決の仕方もまた重要なポイントである。
 例えば、先の「ハインツのジレンマ」を例に挙げると、「ケアの倫理」だと、ただ逡巡するだけでなく、盗まずにお金を借りるとか、もっと別の仕方を考えてうまく調整するとか、選択肢を増やして現実と折り合うという創造的な側面がある。
 この点については、こちらのサイトの記事もご参照いただきたい。)



 あらかじめすでに自立した人間がいるわけではない。むしろそれらのサポートがあってはじめて、彼女たちの自立能力は形成されるのである。笹沼弘志がいうように、「あるモノに出会い、それが自己の欲するものだと気づくことが多々あるように、むしろ、ニーズは後追い的に構成されるものである。精神的自律能力は、助言による選択肢の創出により、初めて涵養されるのである。まず精神的自律能力があってそのあとに選択がなされるのではなく、自覚なく選んでしまった「選択」という実践を通じて初めて精神的自律能力なるものが形成されるのである」 (252、253頁)

 これは、笹沼弘志『ホームレスの自立/排除』の本書からの孫引きである。
 ニーズ(欲しいもの、必要なもの)は、人にとって最初から明確であることは、実はまれである。

 何を欲していたかは、人から指摘されたり、それを得た後になって、判明することが多い。
 ニーズは、たいてい、後追い的に、気づかされるものだ。
 (市場的ニーズをその観点から把握して説明した本として、三宅秀道『新しい市場のつくりかた』などがあるが、今回の話とはあまり関係がない。)

 精神的自律能力というのも、同様に後追い的なものだ。
 自覚なく選んでしまう実践を通じて、初めて、精神的自律能力が涵養される。
 自律とは孤立とは異なる。
 自律能力とは先天的にあるのではなく、身に着けて終わるものでもなく、常に醸成され続ける「過程」である。

 そして、このような「自律」の性質にこそ、「支援」の存在理由はある。



 支援策を利用して野宿生活を脱却することなく路上にとどまり続ける、本書で見てきたような女性野宿者たちを、「自由意志と選択する能力が備わった人格によって」野宿生活を選択していると単純には考えられないからこそ、「女のおしゃべり会」のような取り組みは長く続けられている。 (254頁)

 たとえ保護という名のもとでも、野宿や売春をやめよという呼びかけをすることではなく、野宿や売春をしていても、どのような自分でありたいのか自由に想像し、それが尊重されるための領域を確保するよう、取り組んでいくこと  (255頁)

 主体とは、あらかじめ自立してあるようなものではなく、むしろ長いプロセスのなかで現れてくるもの、つまり、野宿をやめて居宅生活に移るという選択を、その後長い時間のあいだ、失敗もしながら他者とのかかわりのなかで維持していく、その終わりのない過程の中にこそ現れると考えるべきではないだろうか。 (260頁)

 彼ら、彼女らは、単に怠惰な存在なわけでもなく、主体的に自立した個人でもない。
 前者なら、見捨てるべきだ、という議論になるか、かわいそうだから救おう、という議論にしかならない。
 後者なら、自分で選んだ選択なら、別に助けなくていいよね、という議論にしかならない。

 そうした二項対立ではとらえられないものを、著者は見ようとする。
 (だから、ジュディス・バトラーの「エージェンシー」の概念などを登場させているし、ドゥルシラ・コーネルの「イマジナリーな領域への権利」についても話が及ぶ。)

 そこにあるのは、選択する能力が備わった人格によって野宿生活を選択している「主体である人」ではなく、支援を受けながら能力を身に着けていって、どう生きるかを選択しようとする「主体になる人」とでもいうべき存在だ。
 なりたい主体になるために、急くことなく、じっくりと選択をできるために、そして、その選択が尊重されるためにこそ、継続的な支援が必要になる。
 (引用部にある「女のおしゃべり会」の詳細については、本書を当たられたい。)



 本書を読んで、この時になされた議論を再興しようと思ったが、また別の機会にする。



 (未完)



 (未完なのに追記)
 いくつか、ブクマについてお返事(?)を書いておこう。

ricenoodles  青空ホームレスも実はホームレスたちのなかでの社会があって、それがまた結構ガチガチな排他性があるから女性は弾かれやすいって事情も聞いたことあるなあ。ホームレスとて一人では生きられないからね

 そこらへんの事情も本書に書いてあります。
 そして、そうした現場において、女性たちが生き抜く方法は、一様ではないこともまた。

spamalot 近所に一人いる。そこらへんで排泄するので、いろいろと驚きます。あと、地域の細かいトラブル情報などをよく握っている。市役所の人が困り果ててる。

 このブクマのお方と市役所との関係の方が気になりました(ソッチカヨ

fatpapa 働ける人よりも累犯障碍者同様、知的障害がある場合の受け皿の方が問題。日本の場合、善し悪しは兎も角水商売や風俗という受け皿があり、軽度なら風俗で働けるゆえ男性よりホームレスの選択は少ないと思われる

 「AよりもBを救え」論法は、あまり好みません。
 (なお、精神病患者については、この記事で、さらに児童自立支援施設の子供たちについては、この記事で扱ったことがあります。)
 女性の場合、指摘されている理由でホームレスになる数が少ない、というもの、本書で触れられています。
 ともあれ、一読をお勧めします。