「皇室中心・国家本位」と「朝鮮人虐殺」からみる、警察の歴史 -大日方純夫『警察の社会史』を読む-

 大日方純夫『警察の社会史』を読んだ。

警察の社会史 (岩波新書)

警察の社会史 (岩波新書)

 以下、気になったところだけ。



 実際には娼妓の自由廃業の前には、依然としてたかい塀がたちふさがっていた。 (略) 遊郭主と警察が結託して、廃業を願う娼妓がいると遊郭主をよびだして「示談」にさせたり、警察官が娼妓を「説諭」して廃業を思いとどまらせるなどということが多かったのである(吉見周子「売娼の実態と廃娼運動」)  (33、34頁)

 日本における「自由廃業」というものはこういうものであった。
 特攻などにおける「自由意志」というのも、こうした文脈で考えた方がよい。
 少なくとも戦前、今もそうなのかもしれないが、「自由」に自由が足りない。



 日清戦争後の産業革命による紡績業の急成長は、労働力の不足をまねき、専業の紹介人や会社に属する募集人が、詐欺まがい、誘拐まがいの方法で女工を遠隔地から募集してきたという(中村政則『労働者と農民』) (65頁)

 日清戦争あたりからすでに、こういうことは行われていた。

 「詐欺まがい、誘拐まがいの方法」を軍隊や政府が放置した時、最悪のことが起きる。
 そして、御存知の通り、起きた。



 わが国民性は徹頭徹尾、皇室中心主義である。民衆の手本となるべき警察官はいうまでもない。皇室中心・国家本位の心がけさえ忘れなければ、たとえ法規や手続きに多少問題があっても大きな失敗にはいたらない (120頁)

 警視総監・岡喜七郎「警察官と思想問題」(1919年8月)が出典である。
 
 これ、アカンやつや。

 民衆は警察化させても、警察を民主(民衆)化させるのは嫌った岡であったが、その意識が端的に表れたのが、これである。
 今でもこういう意識、消えてないと思うんだけど。



 日本の警察官は国家の官吏である。国民警察は国民のための警察ということであって、国民のサーバントではない。 (120頁)

 松井茂(戦前の警察理論のイデオローグ)の1920年6月の論である。
 松井は、近年ストライキ騒ぎを起こしたロンドンやボストンの警察官のようなことがあってはならない、とした。
 警察官の労働者としての性格を否定している。

 個人的には、警察に労働組合を設立する案に賛成したい(詳細はこちら)。



 自警団の「犯罪」は免除された。それは、この「犯罪」行為そのものが警察側のあり方と密接にかかわっていたからであった。 (184頁)

 自警団の責任を徹底的に追及すれば、それは当然のことながら警察官憲の責任に及ばざるをえなかった。したがって、「事件」を事件団員の個別的な責任として処理するため、ほどほどのところでお茶をにごしたのである。 (185頁)

 関東大震災の時の朝鮮人虐殺について。

 三田四国町自警団の一員曰く、「××来襲の警報を、貴下の部下から受けた私どもが、御注意によって自警団を組織した時、「××」を見たらば本署へつれてこい、抵抗したらば〇しても差し支えない」と、親しく貴下からうけたまわった。あの一言は寝言であったのか」。

 自警団は実質、警察の肝いりであった。
 その自警団の犯罪を問うことは、警察の落ち度につながりかねない。
 ゆえに、その責任は回避されることになった。

 皇室中心主義ってこれのことかい。



 ところで、関東大震災時の虐殺については、例えば、「根岸町の自警団にとらわれた3名の鮮人(内1名女)」が「巡査派出所に逃げ込み保護を願った所、巡査は、男二人を派出所の側に縛って現場で惨殺」したという報道を紹介しているこちら記事や、横浜に「上陸した海軍陸戦隊は、 朝鮮人放火などのデマを肯定する報告を送って」いたという一文が読めるこちらの記事や、「官憲の発表に依れば、殆ど皆風説に等しく…斯くてはその犯罪者が、果たして鮮人であったか、内地人であったかも、わからぬわけである。」と喝破した石橋湛山を紹介するこちらの記事を推薦しておきましょうかね。



  安部もまた、"警視庁は人民から委任されてもいない、警視庁として不似合いな仕事に関係することを今後はやめてもらいたい"と要求した。いずれも警視庁の機能は、犯罪捜査・処理という消極的なものにとどまるべきだというのである。 (201頁)

 力士会側が、相撲協会に対してスト籠城を起こした。
 それに対して警察は調停を行った。
 この警察の対応に対して、政治家・永井柳太郎、経済学者・堀江帰一、そして、安部磯雄は批判的だった。
 上記引用は、安倍磯雄の回答である。

 安部の指摘するように、警察の日常生活に対する介入はかなりのものであった。
 (詳細は本書をご参照あれ。)



 フランスやドイツにならってつくり上げた大陸型警察の基本構造をそのままにして、イギリスやアメリカの自治的警察のもとでの警察と国民の関係をまねようというのである。 (204頁)

 大陸型警察は中央集権的だった。
 一方で、英米型は自治的警察という国民に密接するタイプのシステムだった。
 要は、日本の警察は両者の都合のいいとこ取りをしようとしたのである。
 で、最悪の奴が完成した。

 裁判員制度とかも、そんな感じである。



 民衆が自らの警察を回復するためには、国家の警察から自治体の警察へと転換させることが前提でなければならなかった。しかし、それは警察当局者によってはまたくかえりみられることがなかった (205頁)

 日本の近代警察はプロシア警察にはらまれていた自治的性格さえも否定し去り、内務大臣指揮下の知事のもとに、極度に中央集権的・国家的な制度をもって確立された。  (214頁)

 どうだい、最低だろう?w



 一九五四年二月、政府は警察の中央集権化を企図して警察法の全面改定案を国会に提出 (221頁)

 いったん、GHQによって力を抑えられた警察機構。
 だがしかし、上記改正案によって、自治体警察と国家地方警察の二本立てという新システムは廃止され、都道府県警察に一本化された。
 こうして、中央集権的な要素は格段に強められた。

 で、現在に至る。

 あとは御覧の通りだ。



(未完)