正坐嫌いは全員集合、読んで足と心をラクにしようぜ、といういい本。 -矢田部英正『日本人の坐り方』を読む-

 矢田部英正『日本人の坐り方』を読んだ。
 正坐嫌いな人は、絶対に読んでおくべき*1。マジで。

 著者の主張には一部共感できないところはあるが、「坐る」ことの歴史について、学ぶべきところは多い。

日本人の坐り方 (集英社新書)

日本人の坐り方 (集英社新書)

正式な坐り方だった、立て膝。

 当時の茶の湯での正式な坐り方というのは、右の足首を尻の下に畳み、左の膝を立てて坐る「立て膝」だった。 (29頁)

 当時とは、将軍・徳川家綱の時代である。
 片桐石州『石州三百箇条』を引用して、著者はそう述べている。

 立て膝は元々、正しい座り方だったのである。

 茶の湯の時だけではない。

 読み書きをしながら立て膝 (略) が中世の寺院を描いた絵にも結構見られる。たとえば『融通念仏縁起』には (略) 立て膝で仏典を素読している場面が描かれている。 (52頁)

ゆったりとした服って、実は自由。

 袴を常に着用していた武士の場合、「立て膝」をするのに問題がなく、そのうえ「安坐」をするにしても、足を組んだ「胡坐」をするにしても、足はその裾に隠れているので外見的にはほとんど区別がつかないため、かなり自由度をもって足は動かせたものと思われる。 (35頁)

 袴を着ていれば、足は裾に隠れるので、けっこう足を自由に動かせたというわけだ。
 ゆったりとした服は、実は自由度高いのである。

女たちの服の歴史と「自由」の問題

 男性の場合は胡坐、立て膝、正坐などいろいろな坐り方をしているのだが、家のなかでの女性の坐り方は、すでに幕末・明治の頃には、正坐が一般的になっていた様子が窺える。 (76頁)

 幕末・明治のころの写真を見て、著者はそう述べる。*2

 女性の方が先に「正坐」が、家のなかでの正しい座り方になっていた。
 だが、

 腰のところで細紐を蝶結びにしたごくシンプルなもので、温泉旅館にある浴衣のように、誰にでも簡単に着られるものだった。細紐以外に身体の動きを拘束するものが何もないこの自由な感覚は、現代に流通しているキモノからは失われてしまったもののように思われた。 (90頁)

 室町時代の庶民の女性の服についてのはなし。
 室町期には、こうした、ゆったりとした「自由」な服もあったのである。*3
 「和服」はよく想像されるような、躰にきついやつだけじゃない。

着物の美しさと「自由」の背反

 室町時代には女性も普通に行っていた「胡坐」や「安坐」の坐り方が、江戸時代の女性にほとんど見られなくなるのは、おそらく幕府が改定した反物の寸法と密接な関係があるだろう。 (83頁)

 室町時代だと、丈が短く、身幅が広く、袖幅が狭かった。
 それが江戸期に入ると、身幅が狭くなり、縦方向の丈を長くとるようになった。
 幕府の禁令によってそうなったのである。
 これが結果的に、女性の動きを制限することになった。

 それが今の着物姿の「美しさ」を生む要因になる一方で、女性の動きの自由度は狭まることとなった。
 どこか、「纏足」を思い起こさせるようなエピソードである。

正坐が「正しい」座り方になるきっかけ

 明治時代に小笠原流が普及させた礼法とは、室町時代の昔から代々伝わってきた武家儀礼を、抜粋して公教育に移植したものである (97頁)

 明治にできた学校の礼法教科書についての話。
 引用部の通り、明治期に、小笠原流が礼法を普及させる役割を担ったが、その作法は武家のものだった。
 
 武家以外出身の、集団生活を体験する子供たちは、じっとして坐って授業を聞くことが出来なくて、読み書き算数より前に、坐り方や挨拶の仕方などから、学ぶ必要があった。
 そして、武士のスタンダードが広まった。*4

 このとき、

 明治期の礼法教科書は正坐以外の坐り方を教えていない (103頁)

 これが大きな影響を与えている、と著者はいう。
 結果、正坐だけが正式な坐り方として普及した。*5

ちなみに、下駄はラク

 しゃがんでの作業が多かった時代、人々は踵に坐ることを日常的に行っていて、その姿勢を支え安定させていたゲタは、履物としてばかりでなく、座具としての機能まで担っていた (128頁)

 「下駄あるある」である。
 下駄の前の刃と先端とで支えることで、しゃがんで前傾姿勢しても、楽に坐れる。
 椅子を使わない文化の人間にとっては、下駄は(大きさ次第だが)結構便利である。

(未完)

*1:世の中、無駄な正坐イデオロギーとでもいうべきものがあるようで、その例がこれhttp://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/life/news/140429/bdy14042903320002-n1.htm

*2:正月の将軍への拝謁のときの坐り方が、室町時代には「安坐」や「胡坐」であったのに対して、江戸時代の二代将軍秀忠の頃には「端坐(正坐)」となる(80頁)。つまり、江戸期に、「正坐」スタンダードは、広まりつつあった。ただし、それはあくまでも武家階級内のものであったし、武家階級内でも限られた時だけだった。  なお、この註について、誤字を2021/2/10に訂正した

*3:着物業界は早くアップを始めるべき(マテヤコラ

*4:儒教なども、教育勅語などを通じて、明治期に旧武家階級より下の階級に影響力を持った。

*5:なお、この著者は別に、正坐をダメだと言ってるわけではない。否定していないし、正坐の美しさについて、きちんと認めている。ただ、正坐だけが「正しい坐り方=正坐」になってしまっている現状を、歴史的観点から「批判」的に考察しているのである。