『北一輝 国家と進化』を読む。
面白いし、勉強になる所も多かった。*1
外部的な要因(社会的変化等)から彼の主著を読むのではなく、あくまで北の内在的な思想の地点に踏みとどまって読解している。
その結果、彼自身は、(よく言われていたような)思想的な「転向」などはしていなかった、と主張する。
後期に見える思想の萌芽は、すでに前期にちゃんとあったというのである。*2
- 作者: 嘉戸一将
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/14
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ああ、斜め上の発想
北の場合、道徳的紐帯に関する危機はなく、道徳論は「進化」によって解消されるべきものとなる。 (48頁)
福沢諭吉は、身分制度解体に伴う道徳的紐帯の喪失を恐れた。
そして、西洋のパトリオティズムを単純化したもの、「報国心」の養成を主張した。*4
そうした場合、個人の「内面」に介入は不可避だとしていた。
だが、北は違った。
斜め上の発想を展開した。
進化しちゃえば大丈夫だよ。
個であることを放棄することが「自律的道徳」となる。(略)個であることの放棄こそが社会主義への「進化」である。 (68頁)
個であることを放棄して社会の一部になれば、道徳が解消される。
北は「人類」から「神類」への「進化」としてそれを語る。
社会進化論である。
北は「進化」によって道徳の問題を、社会に融解させて、"最終解決"しようとしたのである。*5
プラトン主義者・北一輝
しかし、内在的に読み解くならば、それをプラトン主義として理解することも可能だろう。 (148頁)
すでにみたように、北一輝にとって「進化」とは、欲や感覚、身体的なモノと決別して「神類」になることである。
驚いた人もいるかもしれないが、彼はそのように主張している。*6
北の「神類」における排泄や生殖の「廃滅」の主張も、プラトン主義として理解できる、と著者はいう。*7
彼の主張はプラトン主義の一種である、と。
確かに、言われてみるとそんな気もしてくる。
プラトニズムと考えれば、北の主張もあまり違和感はない。*8
性分業を主張するプラトン主義者
むしろ女性がポリスの公有財産と位置づけられたプラトンの『国家』を想起すべきではないだろうか。 (172頁)
北は女性参政権について、良妻賢母主義の日本を「正道」だとし、「母」・「妻」たる権利を完全にするためにも、「口舌の闘争」に動員すべきではない、と説明している。
この露骨な性分業の思想を、著者はプラトン『国家』の影響とみている。
これもその通りだろう。
さすが、プラトン主義者。*9
どこが無産者や。
北は「同化作用」に孕まれる強権性や暴力性を、「進化」という彼独自の科学主義的法則性によって隠蔽したにすぎないのではないか。 (220頁)
北の対外思想について。
北は、自分の社会主義と帝国主義とは違う、といっている。
しかし、彼の論述を見る限りだと、引用部のようになる。
北の社会主義が個人主義批判であったように、国際関係においても本質的には個的なものを否定しているのではないか。
「改造」論において、大東亜共栄圏のような膨張的政策を肯定している (232頁)
北は、インドや中国を西洋の列強から解放する戦争を肯定している。
そして、国際関係においても階級闘争が認められるべきだ、として、日本を「国際的無産者」であると主張している。
他国を併合しといて、どこが無産者や。*10
僕は新世界の神になる。
北一輝は自分の主張する国家論が真理であることを、彼自身が絶対者、あるいは全能者そのものとなることによって保証しようとした (245頁)
倒錯的な試み、と著者はいう。
まあ、当たり前である。*11
「説明など不要、ただ実行せよ」という中身の計画*12を立てた男は、「最終的に起源となる神話を彼自身に見出した」。
こんな計画を天皇制に依拠できるわけもない。
だからこそ、北は「神」になろうとしたのである。
(未完)
*1:正直、西欧方面だと、なんだかカントローヴィッチとルシャンドルに依拠しすぎじゃないかという感じはあったけれども、近代日本を代表する他の思想家の思想(特に国家論)を、北のそれと比較していく流れはとても面白いし、勉強になった。
*2:本書のマジメな書評としては芹沢一也の手になるhttp://blog.livedoor.jp/bisista_news/archives/1241479.htmlがある。必読である。この書評で言われるように「脱神秘化され尽くした北一輝を前にしたとき、面白味が消えてしまっているのも否みがたい」という点は、たしかにその通りだろう。
*3:なお、今回は、彼の社会民主主義的な側面については、特に書かないつもりなので、あしからず。
*4:この場合、どんな「報国心」を福沢が要求したのか、という問いにつながるわけだが。
*5:念のため書いておくと、当時このような「疑似生物学的進化論」の考えは北のみのものではなかった。ヘッケルの意見を引いて加藤弘之が述べる所によると、進化論によって「人学」は進歩して、その進歩で哲学が進歩して、その進歩で道徳も「完全」になる、という(73頁)。
*6:『国体論及び純正社会主義』等にて言及している。こちらのブログさんの書評もご参照あれ。http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20120316/p1
*7:ロシア宇宙精神論http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120923/1348404741との関係も、少し気になるところ。
*8:彼を近代の思想家だと思うと違和感バリバリだが、古代の思想家と比較すると、違和感は生じにくくなる、と思う。
*9:ただし、北の思想とプラトンの思想との違いも存在する。先に紹介した芹沢による書評で言及されているように、「終生変わらぬ国家社会主義者」である北にとって、国家とは、「人間の理想状態が実現される場所」であり「それは『実在する有機体としての国家であり、天皇と国民とが一体と化した物理的実在の国家』」である。それは「プラトン的なイデア」であるが、「プラトンと違ってそれは物理的実在として実現されうると北は信じた」。
*10:なお、北は併合した朝鮮について「朝鮮は日本の一部たること北海道と等しくまさに『西海道』たるべし。日本皇室と朝鮮王室との結合は実に日鮮人の遂に一民族たるべき大本を具体化したるものにして、泣く泣く匈奴に皇女を降嫁せしめたる政略的のものに非ず」(from『日本改造法案大綱』) と述べている。
*11:既に紹介した芹沢による書評の言葉を借りれば、「イデアを実在化する存在は誰かといえば、もちろん神だということになる」。