いっそ、もうずっと「平成」でいいんじゃないでしょうかね(てきとう) -浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』を読む-

 浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』を読んだ。

にせユダヤ人と日本人 (1983年)

にせユダヤ人と日本人 (1983年)

 


 紹介文にある通り、「ベンダサンこと山本七平氏の世紀の詭弁師ぶり」を喝破した名著。
 ある書評にある、「イザヤ・ベンダサンこと山本七平の文章は、あまりにもメチャクチャで本来は読む価値もないのだが、たとえ論理的でなくても・事実誤認があっても、自らの主張と方向性を一致するならば良しとする『読みたいように読む』人々からの支持はいまだにあるらしい」*1という言葉は、最近の某書への一部読者の反応を想起させる。
 本書もぜひ、図書館で借りてでもご一読いただきたい。

 以下、特に興味深かったところだけ。*2 *3

皮なめし人のシモン

 新約聖書にも「皮なめし人のシモン」などという人物が登場する(使徒行伝九、一〇章)。彼は名前から考えてユダヤ人である。それなのに他のユダヤ人が彼を差別していたのである。ここでは「ユダヤ人」自身が「日本人」的差別の加害者である (72頁)

 ユダヤ人内部の差別が存在していたことを著者は指摘している。
 「この皮なめしという仕事はユダヤでは忌み嫌われたようです。なぜなら、動物の死体をいつも扱っているからです。これは日本でも同じです。そしてこれが部落差別の一因となったと言われています」という或るキリスト者の言葉の通りである*4 *5
 その指摘をすることで、著者はベンダサン=山本七平を批判しているのだが、山本ベンダサンがどんな「ウソ」をついたのかは、本書をお読みいただきたい。*6

不評を買った英訳 

 ユダヤ人のふりをした日本人がぺテンで日本人をくすぐりつつ日本の現状肯定と再軍備をあおったこの本の英訳を、まず東京で作ってみた。ところが肝心のユダヤアメリカ人から不評を買って (中略) 「本国」アメリカでは売りものにならなかった。(166頁)

 例のベンダサン本の英訳についての話である。
 荒唐無稽かつ人種差別的な個所を削除して出版したことでおなじみのベンダサン本英訳の話である*7

靖国国営化反対と宗教団体 

 そこの信徒の多くは、日頃は自民党支持者です。その人たちが、あの戦前の国家神道の復活とその強制、そして自分たちの宗教への弾圧、そういう事態の再来だけはごめんだと反対した。だから自民党内部にもきわどいところでブレーキがかかったのです。 (177頁)

 ベンダサン=山本七平とは話題が少し離れる。
 靖国国営化(靖国神社法案)反対の件である。
 法案提出が初めてなされたのが1969年、最終的にとん挫したのが1974年である。
 仏教やキリスト教の宗派・団体のほか、PL教団などを加盟団体とする新宗連も、靖国国営化に対して反対した。
 じっさい、「新青連(新日本宗教青年会連盟)は七四年の参議院議員選挙直前に、始めて大衆的な靖国反対の大デモンストレーションを行い、また楠氏自身もそのデモの先頭にたったのである。ある意味ではこの新宗達の動きは靖国神社法案の死命を制する上で最も大きな役割を果たしたのである」*8
 この「楠氏」こと楠正俊は、新宗連の選挙支援を受けた自民党議員であった。

元号の変更はもうやめよう 

 「元号」も、明治以前は同じ天皇の代に何度も変わることがざらでした。 (略) 明治天皇の前の孝明天皇の代などは、二十一年間に何と六回、平均して三年半に一回の割で改元 (略) そうかと思うと、天皇の代が変わっても全然改元のなかった例もあります(淳仁、称光、明正、霊元の各天皇)。 (略) 仲恭天皇など、たった四歳で即位させられたものの、ニヵ月少々でやめさせられたため、新しい元号をひとつも持ちませんでした。  (同頁)

 日本史をちゃんと勉強した人は知っているだろうが、歴史的には、元号の変更と天皇の即位とはそこまで密接なつながりがあるわけではない。*9
 肝心なのは、天皇の代が変わっても改元しなかった例があることである。
 ただし、著者の意見は必ずしも正確ではなく、それぞれざっくりと調べた限り、淳仁の場合は即位も退位も改元なし、称光は即位後十年以上経過してから改元、明正は即位も退位も改元なし、霊元は在位途中で数度改元となっている。
 ともあれ、歴史的には、新しい天皇が即位すればその年に改元する、というわけでもないのである。
 昨今の混乱を見るに、何十代も元号を続けていく試みをすれば、民間での対応等もより楽になるのではないかと思う。
 もうずっと「平成」でいいんじゃないでしょうかね*10

 

(未完)

*1:https://bookmeter.com/books/183785の「北条ひかり」氏の評。

*2:なお、読んだのは朝日文庫版ではなく、オリジナル版のものである。よって、頁番号はオリジナル版の方である。

*3:本書には、井上純一の論文「反セム主義のステレオタイプ」(筧文生編『国際化と異文化理解』法律文化社、1990年)も参照されるべきであろう。

 この註は、2020/3/28に追記した。

*4:日本キリスト教団・逗子教会のホームページより。http://zushikyokai.holy.jp/sermon/ser_160626.html。 なお、ものみの塔 オンライン・ライブラリー(エホバの証人)では、「タルムードでは皮なめし工が,糞を集める者より低い階級とされていました。シモンは,その仕事でいつも動物の死骸に触れていたので,儀式上は絶えず不浄な状態にありました。(レビ記 5:2; 11:39)」と詳しく言及している。https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2011408 

*5:皮なめしの職業が当時、差別を受ける職業であったことについては、例えば大宮有博「ルカ文書の描く『越境する宣教』」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110002556593 )の36頁なども参照。以上、この注について、2020/10/15に追記を行った。

*6:ところで、「ベンダサン」を「ペンダサン」を間違いそうになるのだが、https://ci.nii.ac.jp/naid/40005126588で、こういう間違いを発見した。タイプミスなのだろうか。また、イザヤ・ベンダサンといえば「百人斬り競争」の件だが、こちらのサイトにも「イザヤ・ペンダサン」という表記が見受けられる。内容には異論なしなのだが。http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/hyakuningiri/kaimaku.html

*7:「『私の日本人の友人K氏』がシカゴ大学留学中に一人のユダヤ人を含む学友たちと旅行に行き、さるホステルに泊まろうとしたところ『そこの主人がこのユダヤ人に、お前はユダヤ人だからとめてやらないと言った。K氏は彼の外観が他の人びととほとんど区別がつかないので不思議に思い、その主人にたずねたところ、『いや、においでわかる』といったという』というエピソードが語られ(119-120頁。ちなみに浅見氏によればこの部分は『日本人とユダヤ人』の英訳(笑)ではそっくり削られている)」とApeman氏が言及されている箇所https://apeman.hatenablog.com/entry/20060320/p1のことである。

*8:中島三千男「今日における政治と宗教」(1980年)の48頁参照 https://ci.nii.ac.jp/naid/120002693068 。こちらの論文では、「有事立法や靖国問題をめぐる右派教団と新宗達との間にはひらきがあるし、また新宗達加盟教団内部での幹部層と一般信者や青年層との問のひらきがあるであろう」と言及している(同55頁)。

*9:一世一元の制は明治時代からであることは言うまでもない。この件については、瀧井一博「元号法再読」が、「一世一元の制の確立は、伝統の継承ではなく、新たな伝統の創出であった。その意味するところは、江戸時代に天皇の唯一の権限と認められてきた元号制定権の剥奪である」と言及している。https://ci.nii.ac.jp/naid/120006415491

*10:まあ、元号法を廃止、もっといえば、天皇制を廃止すればいいだけなのだが。なお、元号法については、坪井秀人「僕が元号を使わない理由」にあるように、「一九七九年に成立公布された元号法という法律があるが、それは元号を使えとは言っていない。 (略) 国民や官公庁に対して元号を使用せよと強制する法的根拠はどこにも存在しない。官公庁の使用も慣行に属するし、政府(具体的には参議院での質問に対する一九八七年当時の首相中曽根康弘の答弁)の見解も、元号使用は〈国民への協力〉を呼びかける域内にとどまる」という点が重要だろう。https://ci.nii.ac.jp/naid/120006415488