キリスト教の聖な おにいさん (聖人) となった釈尊 -石井公成『東アジア仏教史』を読む-

 石井公成『東アジア仏教史』を読んだ。

東アジア仏教史 (岩波新書)

東アジア仏教史 (岩波新書)

 

 内容は紹介文にある通り、「紀元前後、シルクロードをへて東アジアに伝えられた仏教は、西から東へ、また東から西へと相互交流・影響を重ねながら、各地で花ひらいた。国を越えて活躍する僧侶たちや、訳経のみならず漢字文化圏で独自に創りだされた経典、政治・社会・文化との関わりに着目し、二千年にわたる歩みをダイナミックにとらえる通史」というもの。
 広く、しかし浅くはない中身で、たいへん勉強になる。
 以下、興味深かったところだけ。

最初から超人

 こうした釈尊観はまったくの誤解とは言い切れない (57頁)

 『後漢紀』等の記述についての話である。*1
 その当時は、釈尊について、中国にはなかった輪廻と因果応報の教えを説き、黄帝老子のような超人、空を飛んだり姿を変化させたりできる異国の巨大な金色の神様、というふうに考えていた。
 だが、この釈尊観は全くの誤解、というわけでもなかった。
 というのも、インドの仏伝のなかには、釈尊が寿命を自在に伸ばすことができ、空も飛ぶ存在として出現するものがあるからである。
 仏伝が出た時点ですでに、釈尊は超人と化していたのである。 

「輪廻」の変化

 インドの初期仏教が説いた輪廻とは、業の存続であって、輪廻の主体となる何かが生まれかわっていくとする教えではなかった (73頁)

 しかし、のちには、「輪廻の主体となる何かが生まれかわっていくとする教え」に近い教義を説く部派も出てきた。
 また、中国において仏教を批判する者たちは、輪廻説を否定し、精神は肉体と一体であり、肉体が滅びれば精神も滅すると主張した。
 これに対して、仏僧たちは「神不滅(精神の不滅)」を主張するようになった。*2
 こうして輪廻の概念もまた、最終的に変容することとなった。

仏骨から「仏性」へ

 天から与えられたという意味合いが強い「性」の語に置き換えて、「仏性」と訳した (75頁)

 法顕が『大般泥【オン】経』*3を訳す際、すべての人は「ブッダ・ダートゥ」を持っているという箇所を、「一切衆生皆有仏性」と訳した。
 元は、仏の本質や原因を意味し、仏の骨のイメージも、重ねられていたものだった*4のを、「仏性」と訳した*5
 そちらの方が中国の知識人になじみやすかったためだと考えられる(孟子の「性」善説、など)。

仏教と牛糞

 南朝でも北朝でも、中国仏教はインド風な僧侶の生活様式を全面的に採用することはなかった。 (84頁)

 たとえば、インドでは、戒壇を清める際、牛糞を延ばしたものを使用していたが、中国では行われなかった。
 そして訳経の際には、「香泥」などと曖昧に訳されたのである。*6

仏教が恋愛文学を生む

 しかし、歌聖として尊崇される柿本人麻呂すら (182頁)

 『万葉集』は、日本人の純粋な心情をあらわしているとされるが、柿本人麻呂は、川の流れに数を書くような、すぐ消えてしまう命だからこそ、必ずあなたに会いたいと誓ったのだ、(巻11・2433) *7と歌っていたりする。
 『涅槃経』の比喩を用いて無常に触れつつ恋心を強調している。
 ただし、日本では、無常という仏教的概念は、季節の変移と重ねあわされ、情緒的にとらえられるようになったようだが。
 ともあれ、仏教が文学の恋愛的要素をはぐくんだのは間違いなさそうである。*8 *9

インドからも参拝者がきた。

 インドや西域も含む諸国から参拝者が多数訪れた (190頁)

 宋の時代には霊場への巡礼が盛んになった。
 なかでも五台山は、『華厳経』で文殊が住むと記されている清涼山のこととされ、インドや西域などからも参拝者が訪れた。*10
 あまりにも多くの人が参拝に来たので、皇帝の許可制にしなければならなかった。

キリスト教の聖人になった釈尊

 仏教という点がぼかされて、ある苦行者の話とされた (243頁)

 釈尊の伝記が、中央アジアマニ教徒によって、古代ペルシャ語に訳された。
 その後、それは中世ペルシャ語に改められた。
 その過程で、名前は菩薩から「ブーダーサフ」という俗語形で表記され、仏教という点はぼかされた。 そのアラビア語版は10世紀にはバクダットの本屋の目録に載る。
 そして、イスラム世界に広まった物語は、キリスト教グルジア人によってシリア語に訳されたときに、名前を「イォダサフ」と誤記された。
 内容も、インド王子がキリスト教を信仰して伝道し父をも改宗させる話に変わった。
 これが東方教会の神父によってギリシャ語に訳された。
 さらに、名を「ヨサファット(ジョザファット)」と表記されたラテン語訳も出され、キリスト教の聖人の話に変わった。
 果ては、ローマ教会によって聖人認定まで受けることとなった。
 のちに仏教説話だと判明して認定は取り消されたのだが。*11

*1:金順子によると、その内容は以下のとおりである。

明帝が夢で金人を見た。それは長大で、項に日月光があった。群臣にそれは何かと問うたところ、西方に神があり、その名は仏であると申した。そこで使者を天竺に遣わして、その道術を問い、その形像を描かせたと言う。

以上、訳を引用した。(「仏教造形の伝播と展開 ― 作例と文献を通して ―」https://assets.fujixerox.co.jp/files/2018-06/d5c2159ba1c779f83d5069eab6df7187/906.pdf
 )。

*2:三桐慈海「神不滅論と宗教性」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005819209 によると、中国において神不滅が唱えられた理由の一つとして、修行本起経などの仏伝に見られる、ブッダの前世における菩薩として転生するという説話を挙げ、その説話と輪廻とを区別することなく受容してしまったことがある、という(論文71頁)。そうした菩薩の転生と衆生が輪廻することとは、教義上、別のことであるにもかかわらず、である。なお、「神不滅」の「神」を「冥冥のうちに維持していくはたらき」、「不滅の実体ではなくて作用性」という風に、「実体」ではないと解釈する慧遠の説ものちに出てくるという(論文72頁)。中国の仏教思想もけっこう奥深い。

*3: http://bauddha.dhii.jp/INBUDS/search.php?m=sch&uekey=%E5%A4%A7%E8%88%AC%E6%B3%A5%E6%B4%B9%E7%B5%8C&a= 参照。

*4:加納和雄は次のように書いている(「涅槃経における如来蔵の 複合語解釈にかんする試論」https://www.earticle.net/Article/A320968 。

(引用者注:ブッダ・ダートゥは、)格限定複合語から成る名詞であり、その意味は第一義には 「仏の遺骨」 である。これが仏の遺骨を意味する点は、同経の想定成立年代地理範囲を包含する広域において、碑文の用例などから確認できる

以上、2020/10/8にこの項目について、追記・加筆を行った。

*5:著者である石井はあるインタビューで次のようにまとめている( https://www.toibito.com/interview/humanities/science-of-religion/1813 )。

ダートゥというのは、要素、原因、鉱石などの意味を含むのですが、体の構成要素といったら骨でしょ?『ブッダのダートゥ』という言葉は、仏となる原因といった意味だけでなく、仏の骨という意味を含むんです。すると、あなたの体の中に仏舎利がある、あなたは仏塔、つまりは仏にほかならないということになるんですよ。 (引用者略) この「仏のダートゥ」という生々しい語が、中国風に「仏性(ぶっしょう)」と漢訳され、仏性説が東アジア諸国に広まっていきます。インドでは、すべての人は如来を内に蔵した存在だということで、「仏のダートゥ」よりも「如来蔵(タターガタ・ガルバ)」という表現の方が主流となりますが、この如来蔵思想も東アジアで広まっていく。

*6:『浄土宗大事典』http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A3%87 では、「インドやチベットにおいては、もっぱら七日作壇法によって建てる土壇を用い、そこに香泥や牛糞を塗った」と説明されている。香泥と牛糞とは、別のものと考えられているケースもあるようだ。また、杉本卓洲「インドの宗教にみる像供養」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110000976187 )には、仏教の儀式に使う香水を作る過程で、「陸鬱金香・竜脳香・雲陵麓香」を燻して「浄石の上で磨し」、「香泥」を作るとある。香泥は、そうしたものを指すケースもあるようである。なお、インドでは牛糞は燃料や宗教儀式など様々に使われる。乾燥すればほぼ臭いはしないとのことである(三尾稔「牛糞燃料」http://www.minpaku.ac.jp/museum/showcase/media/tabiiroiro/chikyujin185 参照 )。

*7: 「水の上に 数書くごとき わが命 妹に逢はむと うけひつるかも」 

*8:詳しいことは、作者(石井)が既に書いてくれている。以下参照 石井「アジア諸国の恋愛文学と仏教の関係」 https://www.toibito.com/wp-content/uploads/2017/08/1aef5ed3ddf85982e74f2e6913b13be8.pdf 

*9:鉄野昌弘は、「一九七〇年代までは、人麻呂関係歌に仏教思想の影を認めることは忌避されていたかに見える」と述べ、「泡沫のごとき微細な非生命現象に人の姿を認めることは、仏教のように、その比喩を探し求める中からしか起こらないのではあるまいか」としつつ、最終的に、「「泡」「沫」に関わる仏典の様々な比喩を咀嚼しつつ、具体的事物に即して、「世の人吾等」を見据える独自の表現を作りあげていた」と結論付けている(「『万葉集』「泡沫」考」https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282812769059712 )。以上、2023/2/6にこの項目について、訂正・追記・加筆を行った。

*10:文殊菩薩の住地五台山の名は、中国だけでなく朝鮮、日本、中央アジアチベット、インドにまで伝わり、各地から巡礼者が訪れた」。以上、コトバンク( https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E5%8F%B0%E5%B1%B1%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29-1537259 )より、佐藤智水の手になる解説。

*11:ルゥイトガード・ソーニーによると、「およそ 1859 年になってようやく、シッダールタ王子が保護されて教育されたこと、そして彼が老、病、死、出家者と四度の決定的な邂逅をしたことが、ヨサファトの物語の中核部分となっていることが認知された」(「世界を旅し経巡る物語 変装したブッダと井戸の中にいる男の寓話」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005695427 )。