「アメリカは、古都ゆえに空襲もしなかったのか? そんなことはない」 -中西宏次『戦争のなかの京都』を読む-

 中西宏次『戦争のなかの京都』を読んだ。

戦争のなかの京都 (岩波ジュニア新書)

戦争のなかの京都 (岩波ジュニア新書)

 

  内容は、紹介文の通り、「アメリカは、古都ゆえに空襲もしなかったのか? そんなことはない。数回にわたる米軍の空襲で、約100人の死者を出していた。西陣織などの地場産業は壊滅状態になったし、寺社も金属供出、宝物保護なでど大わらわだった。これまでほとんど語られてこなかった、戦争中の京都の姿を描く」というもの。
 京都は空襲を受けていない、と思っている人も少なくないだろうと思うので、その点本書は読む価値ありである。*1

京都の寺社の金属供出

 信仰の対象たる仏像もふくめ、梟の水(手水所)の竜の口(吐水口)、「音羽の滝」の滝口にいたる階段の金属製手すりにいたるまで供出した (128頁)

 戦時に清水寺が何を供出したか、という問題である。*2
 出典は、『清水寺史第二巻・通史下』となっている。
 伏見稲荷でも、銅製の神馬四体、境内の古鉄を供出した。
 また、京都市内のお寺には、いまも鐘楼のみが残って、梵鐘がないところもある。

西陣空襲

 一家全滅という悲劇に襲われた宅の隣人の証言 (146頁)

 西陣空襲に関する証言である*3
 隣人宅は、「一家はご主人を除いて四人が即死」、「ご主人も重傷を負われ、間もなく絶命」した。
 亡くなった一家の「娘さんの遺体は四散」し、「吹き飛ばされた肉隗の一部が百メートルも離れたところで発見された」。
 「肉片にからみついたままの着衣を手にした警官が町内をたずね歩い」たという。
 隣人はそれがいつも彼女が着ていた洋服の一部だと分かった。
 着衣についた血糊は「すでにどす黒く変色していた」。
 まぎれもなく、京都・西陣でも空襲はあったのである。*4

女性の人権に対する認識の欠如

 あえていえば「女は男のためにある」と無意識に意識されているのです。 (60頁)

 本書では、旧日本軍の慰安所についても言及されているが、その一文である。
 軍と慰安所経営業者の関係は、前者の存在がなければ、慰安所もあり得ないし、慰安所を経営するには前者の許可と監督を受けることが必須だった。
 まあ、これはこの分野に関する基礎知識である。
 慰安所の設置を「従業員の対策上必要な人道上の問題」という者もいるが、この場合、女性の人権は「人道上の問題」の外にあり全く考慮されていない、と著者は述べている。*5 *6
 公職にある者が慰安所設置を正当化(あるいは否認)しようとすることが後を絶たぬ地において、改めて強調すべき点である。

(未完)

*1:京都・千本の出身である山城新伍でさえ、「京都は爆撃されませんでしたから、B29は京都を越えていくんです」というふうに語っているほどである(「人間は生まれながらにして人間である ~映画「本日またまた休診なり」で感じてほしいこと~」https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_12_feature1.html )。

*2:

たとえば清水寺の場合でいうと、昭和17(1942)年12月、阿弥陀堂奥の院裏山の釈迦如来坐像、鬼子母神堂前の観音立像、阿弥陀堂横の地蔵菩薩像、本堂の吊灯籠三十基すべて、金銅灯籠五本、水盤、梟の水竜の口三個、仁王門下狛犬一対などおよそ3000貫目(約12トン)が供出されました。また、音羽の滝の滝口に至る階段の金属製手すりも供出したということです。 (『清水寺史第二巻・通史下』による)

以上、おそらく著者・中西氏のものと思われるブログ『京都の坂から』の記事から引用した。https://ameblo.jp/mado-osaru/entry-12389432679.html 

*3:以下の引用部は孫引きとなるが、元の出典については、本書を当られたい。

*4:

京都府下の空襲は、判明しているものだけで41回にのぼり、死者302名、負傷者563名を数えている。空爆の目標は軍事施設が大半で、市内への空襲は比較的小規模であったが、全国的な都市空襲がはじまってすぐに行われた (引用者略) 吉田守男や田中はるみ、小山仁示らの研究では、他都市とは異なり米軍による戦略的爆撃ではなく、途中何らかの理由による付随的・投棄的爆撃のための臨機目標であったことが指摘されている

以上、井上力省「「西陣空襲」における記憶の継承 : 空襲体験者の語りを手がかりに」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006594192 より引用した。そのような性格の空襲でもこうした犠牲が出た。

*5:著者が例示しているのは海南島の場合であるが、

海南島における慰安所の建設・経営には「軍→台湾総督府→台湾拓殖株式会社→福大公司→業者」といった組織の存在が明らかとなった。軍や政府の主体的関与が認められ、同時に半官半民の台湾拓殖株式会社の関与、さらにそれを隠蔽するため福大公司という子会社をトンネルとして融資をした事実も判明した。

(藤本この美,草野篤子「台湾における軍隊慰安婦 -女性の性的自己決定権の視点から-」https://www.jstage.jst.go.jp/article/kasei/55/0/55_0_108_2/_article/-char/ja/ )。

*6:何故本書において、海南島に言及されているのか。著者・中西氏の父上は戦争でボイラーを供出することとなったが、そのボイラーの行き先は中国の海南島であった。本書はその行方を追うべく、海南島で取材・調査を行ったのである。詳細は本書を参照。